黒の祭壇

黒の祭壇

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Emptiness is conceived - 2

俺の女装はなかなか完璧なんだと思う。
 アルにもばっちりだと言われたし、さっきからこうして座っているだけなのに、男が何人も声をかけてくることからも成功だと思える。
 いや、一応性別は女なのだし、女装というのは違うのかもしれないが。
 だが、彼女には通用しなかった。

「貴方には必要ない」

 サイゴンに入りたい、と問うエドワードに向かって投げつけられた言葉。なぜか瞳には怒りの色。気分を害したのだと、考える間もなく、彼女は身を翻していた。

 この店のウエイトレスが、どうやらサイゴンに入ったらしいと聞いたのは、美人なのに顔に残る幼少の頃の火傷の跡が痛々しかった彼女から、その傷が消えてしまったという話を巷で聞いたからだ。
 それもある日突然のことだというから、サイゴンではないかと考えるのも当然だろう。
 仕事に行く前の彼女を呼び止めて、エドワードは自分でも女性らしくと心がけながら聞いてみた。「貴方はサイゴンに行ったの?」と。
 彼女はそうだと答えた。
 うさんくさそうにエドワードを見る瞳は一貫していて、ここまで敵意を持たれる理由がエドワードには分からなかった。
 行き方を教えて欲しいというエドワードに、彼女は一瞬目を瞬かせ、すぐに軽蔑じみた表情を浮かべる。
 そして、必要ないでしょう、と呟いたのだ。

 なにか気分を害することを聞いたつもりはないが、彼女には気に入らないことがあったのだろう。
 だが他にあてもなく、彼女には迷惑でもどうしてもサイゴンへの行き方を教えて貰うしかないのだ。それに何故必要ないのか、結局聞くことが出来なかった。
 ストーカーのようだな、とちょっと思いながらも彼女が勤める飲食店へ入り、一番隅の席に座って一時間。
 あくせくと働き廻る彼女を視界の端に捉えながら、すでに二杯目の紅茶にスプーンをいれくるくると回し続けている。
(どうしたものかな)
 彼女は、自分に気がついている。
 さきほどからちらちらと視線を感じるのだ、他の男の視線もだが。
「ねえ、君、一人かな」
 彼女の仕事のシフトは夕方5時から夜11時までという事も聞いている。あまり誉められたやり方ではないが、終わるまで待って帰りに又再度挑戦してみるしかないかも。
「誰か待ってるの?」
 とはいえ、なぜ必要ないかが分からない限り、彼女が説明してくれるのかなあ。
 はあ、と溜息をついて、紅茶を一口。
「さっきから一時間くらいここにいるみたいだけど」
「………うるせえ、消えろ」
 聞こえてないふりをしてみたが、キリがない。
 これで何人目か、果敢にもエドワードに声をかけてきた男はテーブルに手を載せると、一歩近づいてきた。
 身長は高いし、顔も悪くはない。はたからみたらもてる男なのかもしれないが、エドワードにとってはその身長がむかつくのだ。そしてその馬鹿っぽいしゃべりにも腹が立つ。
「結構口が悪いんだね」
「…………」
 紅茶の横に先ほど頼んだ、オレンジジュースが放置されていたので、ストローをつっこんでみる。頭の上から視線の光線が降り注いでいるのが心臓をぞわぞわさせて気分が悪い。
「君を待たすなんて、ひどい男だね」
 誰も待ってるなんて言ってないだろうが。
 つるるるとオレンジジュースを吸い上げながら、アホ男の声を素通りさせる作業に専念する。
「俺が相手してあげるよ」
 誰も頼んでない。頭悪すぎる。
 エドワードは一度もこの男と視線を合わせてないし、正直顔すら見ていない。脈がないのが分かりそうな物なのに、こうして玉砕しに来る男はこれで何人目なのか。
 しかも言う台詞はみんな同じだ。「一人なの」「誰か待ってるの」「俺と遊ばない?」などなど。
 おかげで全く思考に集中できない。目的さえなければさっさと店を出ているだろう。だが彼女の仕事が何時に終わるかを知るには、ここが最適なのだ。
 我慢我慢、と既に二時間も我慢している。いつもの自分ならぱちんと手を合わせてすべてをゼロに戻しているだろう。
「……さっきから、見てたけどさ」
 男の声色が変わった。悪い方へと。
 経験からそれを即座に察知してしまって、ジュースを吸い上げる口が止まる。
「お高く止まりすぎじゃねぇ? ずっと断り続けてさ。ふざけんなよ」
「…………」
 あまりにも自分勝手な言い分に、呆れて思わず顔を上げた。妄言もここまでくるといっそ清々しい。
 視線の先の男は、先ほどまでの猫なで声が嘘のように、その顔には悪意が見えた。
「誰も待ってねぇんなら、なんで一人でずっといるんだよ」
「そんなの、おまえに関係ねえだろ」
「っ…ふざけんな!」
 がしり、と手首を捕まれる。そのままぐい、と強引に引かれた。
 予測はしていたが、錬金術を使っても振り払っても店が壊れると思うと、躊躇して動けなかった。
 しょうがない、どちらにしてもここまでもめたら外に出るしかないだろう。
 諦め半分苛立ち半分、溜息をつきながら捕まれた手首をそのままに立ち上がる。アップにした髪の毛が一瞬頬を撫で、視界が消えた、その一瞬。
「――――――わたしの連れに、何をする気だね」
「いだ、いだ、いだだだだたた」
 男の殺気が一瞬にして消滅して、怯懦が空気を滲ませる。乱暴に捕まれた手首を掴んだ手が離れた。
「え」
 仰げば、そこには男の手首を捻り上げるくろかみのおとこが。いや、ぐんぷくはきていないからほんとうはちがうひとかもしれないって、ばか、そんなわけないだろ。どうみてもこのかおはあれだろ、でもいまこのせかいでいちばんあいたくないっていうかなんであんたがここにいるわけ――――――――!
「失せろ」
 凍結された声とともに、男――――大佐が手を離す。
 男は手首をさすりながら、何かを言い募ろうとした。だが、場数が違う。片や人を殺したこともある軍人、片や田舎町のちんぴらだ、勝負にならない。格が違うのだ。
 それはさすがの男も、大佐の睨みつける視線だけで理解したらしい。振り返りもせず逃げ出した。
「根性のない奴だな」
 からんころん、と音を鳴らして客の退出を喜ぶ扉の鐘を見ながら、手を払う男。嫌な物を触ったとでも言わんばかりに。
 夢だと思いたいが、あいにくとこの頭は理論的に出来ている。
 立ち上がったエドワードの前で、今まで見たこともないような柔和な微笑みを浮かべているのは、いけ好かないと書いて無能と読む、既に数年のお知り合いの上司で、焔の錬金術師と呼ばれるロイ・マスタングという男。
 なにかにつけては、はがねのー、はがねのー、ご飯食べよう、遊びに行こう、お茶しようとちょっかいをかけまくってくるいい年こいて子どもみたいな変な知り合い。
 だが、人を一瞬で沸騰させる能力と言ったらそりゃあこいつより上の奴なんか絶対にいない。それになにより気にくわないのが、皮肉嫌みを喋らせたら天下一品。お互い不毛な言い争いを何時間だってやれるという貴重だが嬉しくない相手だと言うことで。
 つまり。この状態の俺を見たらエドワードを屈辱のあまり発狂させるに違いない台詞がそれこそ立て板に水のようにぺらぺらぺらぺらと連発されるのは目に見えている。
 多分、今自分の顔面は蒼白だ。

 ――――――逃げ出したい。

 だがそれはこの男に、不審感を抱かせるだけだ。下手な行動は避けたい。だがそんな俺の前で天使のごとき微笑みで、そ、と着席を要求する無能。
「災難だったね。もう君を邪魔する人はいないから、座りなさい」
 おまえが邪魔してるんだよ、おまえが!
 脳内ではそう演奏しているが、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまってよろよろと一旦尻を離した筈の椅子に座る自分。
 さも当たり前のように大佐はその向かいの席に座った。
(居座る気かよ!)
 恐ろしくて顔が上げられない。何がって、大佐が俺の正体に気がついているのかどうかが心配で、それが分からない以上どんな手も取れず。
 にこにこと無償の微笑みを浮かべる大佐は端から見たら優しい男に見えるのだろうが、裏を知っている自分としてはその後ろに悪魔の尻尾がついているような気がしてしょうがない。
「驚いたね。こんな田舎だから綺麗な女性は出会えないと思っていたのだが」
「…………」
「こんな上質の薔薇が咲いているとは思わなかったよ」
「………………」
「さきほどから、店内の視線が私たちに向いているのがわかるかね」
 大佐は頬杖をつくと、ぐるりと店内を見渡して、にやにやしている。
 こちとら脳味噌は水分不足で、できればその目の前のジュースを一気飲みしたい。だが、今は指の一本でもぴくりと動かしてしまうと、大佐に正体がばれそうで。
(気がついてない、んだよな?)
 普段の大佐なら、俺がエドワードだと分かっているのなら、ひとしきり笑ったあげく「とうとう身長が伸びないことに思い悩んで性別でも変えることにしたのかね」くらい言いかねない。
 それが、ここまで美辞麗句で並び立て、人を攻撃するのだ。
 知ってるぞ、これは大佐がその辺の女性にいつも言っている台詞達そのものではないか。
 冷や汗だらだらのエドワードとは逆に、大佐の口はますます滑りが良くなってくる。
「みんな、君の向かいの席に座りたかったみたいだね。そんな勇気のある男はいなかったみたいだが…ところで」
 するり、と大佐の腕が伸びてきた。
 俯いたままのエドワードの髪は、頬の横に流れて表情を隠すのに一役買っていたが、それを一房掬い上げられる。
「―――――――――――――?!」
 あまりにも手慣れた仕草に、反射的に顔を上げてしまった。
 目の前の男は、エドワードの顔を見ても驚愕のそぶり一つ見せず、まるで家の中にいるようなくつろいだ微笑みを見せると、そ、とその一房に口づけた。
「―――――――――――――――――!」
「お名前を聞かせて貰えるかな?」

 ――――一瞬にして。

 思考が熔けた。
 心臓が。暴走機関車のエンジンと交換されてしまったようだ。さっきまで蒼白だったのに、今度は真っ赤になっている。

 たらしだ。
 こいつは天然のたらしだ。

 ぱさりと、先ほどまで大佐の手の中にあった髪の毛が自分の横に落ちてくる。男は微笑を絶やさず、こちらを見ていた。
 何を言えと。
 いや、逃げればよいのだ、逃げれば。
 向こうは幸い気がついていない。ばれて馬鹿にされるよりはさっさと目の前から消えるのが最善策。これがハボック少尉やホークアイ中尉ならともかく、大佐にだけは知られたくない。きっと大佐も似ているな、とは思っているに違いないがあまりの差に本人だとは考えられないのだろう。よし、セーフだ。
 後は何とかして違和感なくここを立ち去るかだけであって。
 だがその考えが浮かばない。
 すでに一分は返答もないままのエドワードを見て、大佐は又髪に手を伸ばして弄び始めた。
「言いたくなければ偽名でもいいよ。いつまでも君、と呼ぶのでは味気ないだろう?」
 己の顔と声をよく分かっている男の、計画的な口説きモードだと思った。
 どうすれば女が落ちるか、どうすれば女が喜ぶか、恐ろしいくらい熟知しているのだこの男は。
 頭の中では様々な計算がされ、どうエドワードが言葉を返してもそれに最適な解の言葉を返すだろう。哀しいかなそういう言葉遊びはエドワードには圧倒的に経験値が足りない。
「な……」
「な?」
 かろうじて出た言葉はそれだった。
「名前は……好きに、呼べば」
 トリシャとも、ウィンリィともどんな名前を言っても自分を連想されそうで言えなかった。適当な名前を逆に呟いて、それを突き通せるとは思えない。こういう時に偽る名前は知人の物がよいのは常識だ。だが、自分を知っている人間相手にはその手は使えない。だったら相手に勝手に呼ばせた方がよいかと思ったのだ。
「……これはこれは、君は面白い女性だね」
 大佐はくくく、と笑うと金糸から手を離した。
「名前を好きに呼んでいい、なんて言われると、私を好きにしていい、と言われているのかと誤解してしまうよ」
「や、ちが……!」
 慌てて言いかけ、すぐに口を閉じた。
(あぶねえ、よけいなことは言わないに限る)
「期待していいのかな?」
 ―――何をだ。
 男が目を細めて、こちらを見る。瞳を射抜かんとせんばかりに直視されて、本気で狼狽えた。
 逃げたいのに、全く逃げさせて貰えない。やっぱり手管が巧妙すぎる。
「お言葉に甘えて、好きに呼ばさせて貰うよ……エディ」
「――――――――――――――あ。」
 状況は、最悪だということを、高速で理解。
「小さいテディベアみたいで君にあった名前だと思わないかい?」
 微笑みがうさんくさいよ大佐。しかも小さいって、今強調しなかったか?
「て、てめぇ……」
 わなわなと拳が震えている。こらえろ、こらえろ俺の拳。1秒後にも理性に反乱をしかけそうだが、そこをなんとか堪えてくれ。
 泣いていいかな。俺。いや、泣かせて欲しいマジで。ああ、ここで両手をあわせれば、こんな男地平の彼方まで飛ばせるのに。
 だがそんなことをしては苦労が水の泡。
 ごん、と机におでこをぶつけて、沈没する。大佐はそんなエドワードの髪をリリアンをするように弄りながら、楽しそうに笑って。
「で、これは何の余興だ? ―――鋼の」

(続く)