Emptiness is conceived - 40(完結)
誤魔化しようもない真剣な、あまりに先程までと違う押しつけるような視線に喉に痰が絡まるような感覚がする。
そう、腹の石のことは言わなかった。
自分が、フェルテンの求めていたたった一人だとは言わずに、誤魔化していたのに。
「あの巨大な石が破壊されている以上、現存する賢者の石は君の持つ一つだけだ。未完成だがね。――使うつもりか?」
アルフォンスに、と。
殺意と間違えそうなほどの憤怒。
瞳は赤く燃えている。さっきまでの和やかな雰囲気などそこにはなく、地下でエドワード達と会った時のような怒りでロイはこちらを見据えていた。
(ああ……そうか)
こいつが、ここまで本気で怒るの見たの、最初に怒鳴られて以来だ。
怒られているのに、何故か嬉しくて。
昔から、そうだ。
優しいだけじゃなくて厳しい。立てないと言えば、立て、と蹴飛ばす。でもその厳しさも優しさなのだ。
本人、きっとそんな自覚はなくて。
……エドワードがいつの間にかこんなに、好きになってることもきっと気がついていなくて。
鈍いんだか聡いんだか全然分からない。
だから、今エドワードが少し涙を落としただけで、いきなりぎょっと目を見開くのだ。
「……使いたい」
「駄目だ」
「言うと思った」
「駄目だ。絶対に許さん」
「……」
男の声は、明確で残酷で確実に決定事項だった。
この声をこいつが出した時にはもう、覆されない意志を象徴している。言い張る以上、何があっても止めるだろう。それこそエドワードを縛り上げて監禁してもだ。
「使うなら、自分の命を使うことだけはやめてくれ。腹を自分で裂いて引っ張り出したりするのは言語道断だ。君、するつもりだったろう」
「だって、どうなるかわかんねえだろ。二十歳になって石が完成したとして、腹食い破って出てこないとも限らないし」
普通に下から出てくれればいいのだが、そういうものなんだろうか。
「正直――腹に石があるっていわれてもさ、見える訳じゃないしな」
一度さすってみたが、妊婦みたいに腹が出ているわけでもない。あれだけ熱かったお腹ももう静かな物だ。反応する物質がなくなったのだから、又眠っているのだろう。
「半信半疑なところはあるんだよな。二十歳になって、本当にこの賢者の石が使える代物になるのか」
腹の中で育って、完成品になるのが二十歳だと言われても、その前例はない。
ただ、分かったのは、おそらくこの腹の中にこいつがいる以上、性別が男に戻る可能性はないってことだ。
「二十歳になって、腹を裂くぐらいなら私に言え。手術でも何でも外に出せばいいんだろう。命を使うことはない」
「……うん……」
一番楽なのは、この身体そのものを賢者の石に同化させてしまうことなんだけどな、と考えてみたりもする。でもそんなエドワードの考えなどお見通しなんだろう。二十歳前になったら何が何でもひっつかまえて手放さないに違いない。
……ちょっと、嬉しい。なんて、俺もう駄目かもしれねえ……。
「大佐、アルフォンスは、知ってるのか?」
「言えるわけなかろう、こんなこと。君がどうしても強行するならアルフォンスにも言うがね」
はあ、と溜息を苦々しげにつく男。諦めが漂うその表情が愛しくてしかたない。
「気味悪く、ねぇの?」
「は? 私が? 君を? ばかばかしい」
「だって、腹の中に子供ならまだしも変な石があるんだぜ?」
元々特殊事例なのは分かっているが、その中でも最高級だろう。外見で判断はつかなくても腹の中に変な物飼ってる女なんて、普通逃げ出したいんじゃなかろうか。
「私の子供なら大歓迎だが、そうでなければ石の方がいいな」
まあ君の子供なら誰が父親でも愛せると思うが、怒りはその相手に向くと思うね、燃やしても飽き足らん、とかえらい物騒な台詞を真顔で言われてくらくらする。
いや、それ以前にこいつ変な台詞をさらりと流したぞ。
「…………なんで、俺があんたの子供なんか」
「産んでくれないのか?」
「…………ええ?!」
男は真剣極まりない瞳で発言してくれたので、エドワードは数秒意識が吹き飛んだ。
「なに、あんた……マジで言ってんのか?」
「当たり前だ。前からあれだけ愛を語っているんだ。信じてくれないのか?障害だってもう何もない。……産んでくれないのか……?」
「………!!」
だからそのちょっとだけ寂しそうな顔は卑怯じゃないかと思うのだ。ほだされそうになるから。
ついつい、紅潮して返答に詰まってしまったら、大佐はおや、と呟いた。
「なんだ、てっきり嫌だ、っていうと思ったのに」
「…………」
「言葉が出ないってことは、その気はあるということかね?」
「……」
ていよくからかわれているのは分かっている。きっと冗談半分だと言うことも。本気じゃないんだろうな、ってことも。
――――――――――なのに。
「……う、二十歳に、なったら……」
「――――――――――」
胸が痛くて死にそうだ。思わずぎゅうと服を抑えたが、止まらない。なんか頭が熱暴走して、おかしい。耳鳴りまでしてきた。
「石さえ、なくなったら……」
別に。と掠れる声で言い切って。
瞬間、後悔した。
なにをいってるんだおれは。
ばかだろう。
好きだって言ったわけでもないのに、一足飛びに子供とかなんとか。
だいたいあっちは冗談で、本気にされても困るってもので、本来なら、バカ言うなと怒鳴って終わりだろ。予定調和のようにあっちもそれを想定していただろうし。
呼吸が出来ない。それでも視線だけ見上げてみたら、男は今まで見たことがないくらい真っ青な顔で砂になりかけていた。
「……はが、ね……、の」
「かかか、勘違いすんなよ……!俺は、別に…!」
「別に?」
灰になりかけているくせに、問い返すのはやめて欲しい。
そのまま瞳で促されて、一言も喋らないなんて、卑怯だ。時を止めているのはこちらになってしまう。
「子供が欲しいとか、そういう訳じゃ……」
言い訳は途中で遮られた。
さっき離れたばかりの身体が、勢いよくエドワードを掻き抱く。
「わ……!」
プレスされそうなほど抱きしめられて、咳き込みそうになる。何が起こったのか分からなくて混乱していたのもつかの間、男は少し身を起こすとエドワードの頬を両手で包み込んだ。
黒い睫毛と、黒い髪。息をすれば大佐の肌に当たると思えば、なぜだか声も出せなくなった。
「鋼の、本気にするぞ?」
「え?」
「冗談だと言っても聞かないよ。もう決めた」
「な、なにを?」
大人の瞳が抱える感情は明確に、歓喜だった。いつも余裕の大人らしくもない。頬に添えられた手はまだ離れそうになくて、自分の肌が朱を刷いているのはお見通しのはずだ。
顔が近くて、胸が苦しい。まっすぐに向けられる視線がいたたまれなくて瞼を閉じたくなった。
……だが、それをすると確実に俺は後戻りできなくなる気がするのは気のせいか。
「――――――――――指輪を」
「え?」
そ、と左手を取られた。
「送ろう。もう一度」
「え? だって、もう貰ったじゃ……」
って、突っ返すとか言ってたじゃないか俺。
さっきから赤くなりすぎてるからこれ以上動揺してもきっとばれまい。なのに人間どこまで混乱できるのか。
「あんないい加減なのじゃなくて、正式な物を君に」
「でも」
「いやか?」
「……」
さっきからこいつ、俺が答えに窮する事ばかり聞いてくる。
嫌じゃない、と答えても嫌だと答えても、結局は同じような気がして。
困ったように微笑みながら、人の左手を取る男。そこには真白い腕だけで、あの指輪は填めていない。
こっちはさっきから胸が痛くて、鼓動がありえないくらい働いている。そんなこっちの気も知らないで、幸せそうに笑ってるんじゃねえよ。
なんで、こんな男にこんなに惚れてしまったんだろう。
冗談にしては質が悪いぞ、びっくりした、と笑ってくれれば良かったのに、どうしてそんなに嬉しそうなのあんた。
自分が、完全に白旗をあげてしまったのはこの瞬間かもしれない。
ああ、もう駄目だ。
ほのかに温かい体温とか、優しく髪に触れてくる手とか、甘い気配とか、自分を呼ぶ低音とか。
全部に溺れてしまって、目を凝らしても海面が見えない。そして自分は、もうそれでもいいのだと、諦めてしまっている。
諦めることが、こんなに心地いいものだとは知らなかった。
視界がじんわりと透明な膜に覆われて、雫がぽとりと落ちる。なぜこんなに泣けてしまうのか分からない。
「なあ……もう、ばれてる?」
「ん?」
「どうせもう、知ってるんだよな、俺の気持ちなんて……」
告白しなくても、いくら逃げ出そうとしても、あんな事を言ってしまえば告白も同然。隠し通すなんて無理だったのだ。だってこんなにさっきから喜ばされてばっかりで。
左手を絡めて、男は軽く額にキスをした。
「自信はないね、いつでも」
「……でも、あんた、いつも余裕たっぷりじゃねえか……」
「そう見えているなら、私のハッタリも成功していると思っていいのかな」
沈み込んだエドワードをあやすように触れてくる男。
もう嫌でもなんでもないので、されるがままにまかせてしまう。
触れる場所が、暖かいタオルを巻かれたようで思わず瞳を閉じたら、溜まった涙にまで口づけてくる変な男。
「………っ!」
そのまま降りてきた唇は、エドワードの唇を塞いだ。
「んん……っ」
昔一度だけ触れた、軽いとおりすがりのようなキスではなかった。
ワケが分からず閉じこもるエドワードの舌を追いかけて、絡めて。大佐の舌は、唾液が漏れるのもかまわずに咥内を蹂躙する。
遠慮なんか、どこにもない。落ちてきた鳥は、骨の一本まで口にしないと気が済まないとその行動が伝えてくる。
息苦しくて腕を突っ張った。だが男は許してくれず、腰に廻された手に力が篭もってますます密着させられる。
胸も苦しいのに、この上息まで苦しくなったら本気で死んでしまう。
「……ゃ、あ……」
舌先を吸われて、唇を甘噛みされる。歯列を辿る男の舌は容赦がない。いやだ、とか細く囁いたら何故か動きは激しくなった。
違和感はいつのまにか押し流され、麻酔を流し込まれたように思考がぼんやりと形を崩していく。逃げる気力も奪われて、甘い吐息が漏れる。
こんなに乱暴な男は初めてだった。
いつも、エドワードが少しでも嫌がればすぐに手を離してくれていたのに。
――――許可を、求めてこなかった。
それはもう、キスするのに許可が必要がないと男は思っていると言うことで。
自信がないなんて、絶対大嘘。
やっぱり自信まんまんじゃねえかと朦朧とした意識のまま、エドワードは大佐の背中に手を廻す。
その行動こそが大人に自信を与えたということに、鈍い子供は唇が離れるまで気がつかなかった。
(続く)
