黒の祭壇

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月に村雲、花には嵐 - 18(完結)

 言葉が出なかった。

 泣くような声。
 腕の中で、震えて許可を得ようとする小さな身体。
 こんなに、自分を卑下させているなんて、知らなかった。

 抱きしめると、収まった身体の体温に、目が回る。
 いつだって、こんなにかわいくて、綺麗なのに。
 なんて馬鹿な事を考えていたんだろう。浮気だなんて、首を絞めてやろうかだなんて思っていた自分を叩き割りたい。
 いつもなら、ロイの背中に腕を廻すはずのエドワードがただ、黙って小さくなっているのは、ロイがさっき言った台詞のせいだ。

「別れるなんて、嘘だ」

 だから、まずそれを解いた。
 ぎゅう、と腕に力を込めると、少女の涙が服に染みこむ。

「……すまなかった」

 君は綺麗だと、言うのは簡単だ。
 でも違うのだ。綺麗だから抱きたいんじゃなくて。

 謝るロイに、おずおずとエドワードの腕がロイの背中に廻った。
 それが、どんなに歓喜をもたらしているか、エドワードには分かるまい。触れる掌の部分から、ロイを狂わせる麻薬でも流し込まれているのではないかと思う。

 今まで恋人同士なのに、何も見えてなかった。
 もっと早くに、彼女の心の内を溶かせば良かったのに、それを怠ってしまったのだと思う。

「エドワード、君が綺麗だろうが不細工だろうが、どうでもいいんだ」
 発言しながら、後悔の念が胸を刺す。

「他の人間では意味がないんだ。君が、男だと思っていた時から私は君が好きだったんだ。もし君が男性でも同じように抱きたいと言った。性別さえ関係ないのに、今更美醜なんかを気にするわけないだろう」
「でも……」
 浮気相手はいつも美人だったじゃないか、とエドワードは腕の中で小さく呟く。

 エドワードにとって彼女たちは、ある意味先生であり参考資料だったのだ、ロイが求める者がどのような人間か、と言う。
 その、確認の仕方に、エドワードの中の科学者の部分を見る。
 真理を求める研究者として、サンプルを何個も用意して、反応を見るのは当然で。普通の女なら考えもしないだろう確認方法で、エドワードはロイの好みの女を割り出そうとしたのだ。

 なんて、愚かでかわいい魂。
 浮気を許可することに、胸を痛めなかったはずがないのに、だけどこれは、実験だから、と己を律していたんだろう。

 鼻を通る甘い匂い。これも又、エドワードが自分のためにつけてきた匂いと思うと、たまらない。

「君が、どんな姿形でも、なんであろうとも」
 見上げるその額に軽く口づけた。

「どうでもいいんだ。私には。それとも、君は、私が七十過ぎた爺さんでチビでデブで不細工なら、嫌になるかい?」
「――――――――――ならねえよ!」

 心外だ、と子供は身体を離した。
 その瞳には侮辱されたという怒りの炎が見える。
「だって、それでもあんたなら、ロイ・マスタングなら、俺は、別…に……………あ」

「分かったかね」
 お互い様だということが。
「う………」

 居心地が悪くなったのか、ちらちらとエドワードがこちらを見る。
 そんな仕草に、緊張から心拍数が上がる。
 体温が上昇した。
 此処はベッドの上で、そうだ、さっきまで頑なに拒んでいた少女の健気な思いを知ってしまって、それで。
 目の前でもじもじと照れている少女のいたたまれなさに、愛おしさはあっさり理性を蹴破った。

 近づいてくるロイの気配に、エドワードが気がつかなかったはずがない。
 でも気がついたところで、そんなの、数秒で触れあえる距離にいるのだから、拒むことなど出来ないのだ。

 ベッドが軋む音が、ロイの理性を打ち消した。
 此処がそういう場所だと、否が応でも知らされる音。
 少女の唇を奪って、そのままベッドに押し倒す。

「………………っ!」
 触れた瞬間に空気が吸われていく。それはエドワードの驚愕を物語っている。
 軽い身体をとさりとベッドに押さえつけて、唇を離すと、ロイの下で恋人は戸惑った顔で自分を見ていた。
 此処がそういう場所だと、流石にエドワードも気がついたらしい。

「た、大佐……」
 躊躇いがちに、服の下の胸が上下している。
 触れた肩は柔らかくて、それはシーツの膨らみと張るだろう。
 この前、いや、今まではこうすれば、本当に拒絶に満ちた瞳が返ってきたのに。
 吐き捨てるように嫌、と言われていたのに。

 ……始めてだ。

 今の彼女は、自分の上に覆い被さる男をまっすぐに見つめながら、震える身体を押さえている。
 怯えはあってもそれは、一年以上つきあってきて、初めての――――――――――

 許可だった。



 ……信じ、られない。

 此処まで、今まで拒絶をされ慣れていると、もう永遠にそんな日がこないような気がしていた。
 嬉しいはずなのに、なぜか夢の中の出来事のようで、次の行動が取れないでいる。
 こんなに不安そうな目をされたのも初めてならば、それなのに暴れられなかったのも初めてなのだ。
 こちらの頬の方が赤くなって、唾を飲み込む。
 そんなロイを黙って、エドワードは、じっと見つめている。
 不安じゃないわけがない。拒み続けていたのは、怖かったからなのだから。

「い、いい……よ」

 道路を車の一台でも通ったら聞こえなかっただろう、か細い声で、エドワードは胸の上に置いた両手をぎゅうとにぎりしめて、耳まで赤くしながら言った。

「大佐が、したいなら、いい、よ…」
「鋼の」

 こくり、と唾を飲み込む音が眼下の少女の艶めいた喉からする。

「でも、ごめん。……俺、初めてで、どうすればいいかよくわかんないし、大佐にとってはやっぱり、やめときゃよかったって、思うかも」
「………………」

 それで、キレた。
 理性が細い線だったとしたならば、それは一本残らずその言葉で粉砕された。

「君の方こそ」
 頬に手を当てて、そのまま髪を掻き上げた。琥珀色の瞳は、くすぐったそうにその色を揺らす。

「やめときゃよかった、って多分思うぞ。――――もう、無駄だが」 

 唇を塞いで、服を剥いで、もう後は、本能だけ。
 それがあれば、他には何も必要ないのだ。

(続く)