黒の祭壇

黒の祭壇

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月に村雲、花には嵐 - 7(完結)


 どれだけ飲んだかよく覚えていない。
 途中まずいな、と思ったので何回か吐いた気もする。おかげで自力で家に帰って来られるくらいの復活はした。
 ハボックは目をぐるんぐるん廻して完全に潰れてしまったので、タクシーに放り込んで運転手に金を渡してきた。
(……ちょっと、みっともなかったな)
 熱くなった頬に手を当てて少し反省。
 あまり気にしていない振りをしていたが、内心誰にも言えないことでかなり溜まっていたらしい。
 …奴の墓前で、そんな馬鹿なことを愚痴るわけにもいかなかったし。
 そんな時に、ハボックが真剣な目をして飛び込んできたのが奴にも運が悪かったということだろう。

「…まあいいか」
 車が止まって、頭を上げたところで、自宅の電気がついていることに気がついた。
「………」
 ぴくりと眉が動く。
「……まさか」
 運転手に札を押しつけると釣りはいらないから、と言って車から飛び出た。
 走って玄関のノブを廻す。
 かちりと音がしてそれはあっさり回転し、その瞬間に、ロイはまずい、と直感した。
 ……いるのだ、きっと。
 今のこんな状態のロイの家に。





 案の定。

 時計はかちかち音を立てており、リビングに広がるその音と調和するように少女の寝息がソファーから聞こえる。
 待ちくたびれて寝たのか、エドワードは毛布を被って丸くなっていた。
 黙って見下ろしてロイは一瞬途方に暮れる。
(…まずい)
 普段なら嬉しいが、散々ハボックに愚痴を零した後にこの展開はまずいだろう。
 さすがに、理性に、自信が。
 ずきずき頭痛がするのは酒の性か、それとも今の現状に精神的に弱っているからか。

 同じベッドで寝たことはない。
 さすがにそこまでされると理性に自信がないからやめてくれ、と言ったせいだ。
 少女はだったら隣の部屋で寝るといい、中央に来たら当たり前のように泊まりに来るくせに、毎回寝室は別だ。
 正直少しくらい「一緒に寝る」と言ってくれるかなあと思ったのに、あまりにもあっさり別部屋での就寝を選択されてしまい、がっくり来たのも事実。
 ソファーで猫のように丸くなって眠る少女を見る。
 このまま、起こすとしても、あのロイの大好きな薄黄色の瞳が開かれていく瞬間を目撃してしまったりしたら、そのまま押し倒さない自信がなく。
 だからといって抱えて寝室に連れて行ってもそれはそれでそのまま自分ものし掛かりそうだなと思わなくもない。

 ――――とりあえず。

 冷静になるために顔を洗おう、とロイは慌ててエドワードから視線を外した。



 結局顔を洗ったのは正解で、タオルで顔を拭きながらリビングに戻ってくると、エドワードはソファーの上でぼんやりと座っていた。
 ロイの一番危惧していた瞬間は見なくてすんだようだ。

「起きたのか」
 冷静ぶってそう言えば、エドワードは未だ完全に目が覚めたとは言えないのか、ごしごしと目元を擦りつつ、ん~と返事を返す。
 パジャマを着て、大あくびをしながら伸びをする少女の背中のラインに視線が釘づけになっているロイになんて、気がついていないのだろう。

「待ちくたびれて寝たんだな、俺」
「……みたいだね」

 待っていると知っていれば、ハボックと飲まずに速攻で帰ってきたのに。
 ならば今よりかなり理性が強靱だった気がする。
「今日中尉と飲みだって聞いてたから、帰ってくると思ってさ。女のところなら朝まで帰らないだろうからもう寝てたと思うけど」

 平気でロイの神経を抉る言葉を吐いた少女は、近づくロイを見上げて、笑った。

 その微笑みに、酔いが回る。

 焼き餅一つ、焼いてくれない恋人。
 口から出るのはいつも合理的で理性的な言葉。
 理論的に物事を考える錬金術師としてはそれは至極当然で好ましい性格。

 君は、本当に、私のことが好きなんだろうか。

 未だソファーに座ったエドワードの顎を持ち上げると、何の躊躇いも見せず彼女は瞳を閉じるから。唇を重ねるのはおそらく普通のことだろう。
「ん……」
 漏れる吐息。その柔らかい唇だって今まで何度も堪能しているのに、それ以上のことは許されない。
 どんなに深く交わるキスをしても、それだけでは足りなくて、思考が麻痺し始める。
 キスも許してくれるし、家でこうして待っていてくれるし、時には、甘えてくれたりもするけれど。ロイにはもうそれだけでは全然足りない。
 そんな愚痴を散々今日ハボックに話したばかりだ。
 すっきりしたと思ったのに、逆にそのせいで怒りが沸いてくる。
 背中に手を回しても、エドワードはその真意に気がついていないらしい。黙って目を閉じているので、ついつい手が滑って裾から入り込んだ。

「――――――――――っ!」
 おもむろに瞳が開いて、エドワードが身を捩る。さっきまでの甘い雰囲気はどこにもなく、顔は蒼白だった。
「や…っ!」
 今までの経験上、ロイが何を考えているか分かったらしい。そんなエドワードの肩を押してソファーに沈めると、ロイはさっさとその上を跨いだ。
 同時に左の手を完全に上から包み込んで、拘束してしまう。

「………どけよ」
 苦々しげに下から響く声。
 なんの照れもない、心の底から嫌そうな顔と声。
 それが分かっているから、今までやめていたのだ。少しでもただ照れているだけとか、嫌がってる素振りだとか言うならば強引になし崩したかもしれない。けれど、エドワードはいつも本気で嫌がっていた。

 白い身体だった。
 取り戻した手足は、使っていなかったためか、他の手足より少しだけ細くて白いのだと言っていた。
 鎖骨も、その下から盛り上がる膨らみだって多分手を伸ばせば簡単に潰れそうなほど柔らかくて、きっと気持ちいいに違いない。

 ……実際、そのくらいまではロイだってやったことはある。数秒後に後頭部を殴られたが。
 下から睨み付ける瞳は金色で、それが少し赤みを帯びて熱を持っている。
 ロイは指一本動かさず、ただエドワードの上に乗って左手を掴んでいるだけだ。錬成するためには掌を合わさなければならず、手を上から握り込まれている状態では、できない。だからエドワードは厭わしい、とあからさまに表現した顔でこちらを見る。

 それが、何よりロイには辛かった。
 この子は本気で、『嫌』なのだ。ロイに抱かれることを蛇蝎の如くに嫌っている。その為ならば、他の女と浮気をしてもいいと言うほどに。

「……君は、私が好きなのか?」
「え?」

 見開かれて、瞬く瞳。顔の朱色は消え、エドワードの顔に疑問と不思議が生まれる。
 今更、こんな事を聞いても、何になるのかな、と思った。
 酒を飲んで部下に愚痴を言って、愛されてる実感がないんだ、と零して。

 たしかに騙すようにして手に入れた。この子が何も知らないのをいいことに、自分以外を見えないようにして、告白した。
 エドワードは分かってないかも知れないが、全てが計算上のことで、ロイにはエドワードが頷くのも予想が出来ていたのだ。
 だって、その為にどれだけ周囲の者を遠ざけ、兄弟を助けたと思うのか。
 この存在だけがロイにとって世界の全てで、彼女に一生自分の隣で笑っていて欲しくて、その為ならどんな卑怯な手だって使おうと決意した。
 そして、手に入れたと思ったのに、やっぱりこんなやり方だったから駄目だったのかも知れない。

「最近、君が私を好きなのかどうか不安になる」
「……なんで」
 拘束していた手を離した。する、とエドワードの拳がロイの手の中から抜けていく。すでに少女の瞳には怒りも軽蔑もなかった。
「私に抱かれるくらいなら、浮気してくれ、とか言うし」
「だって」
「それで満足できると思うのは間違いだ。私が欲しいのは君だけで、他の人間なんて、何百人いても意味がないんだ」

 なのに、女を作り続けたのはあてつけだった。嫉妬をするかと期待して、それでも変わらないエドワードに、絶望しつつも離れられず。
 ぽかんとした顔のまま、首を傾げてエドワードは呟く。
「でも、男の下半身は恋愛と別なんだ、って俺聞いたけど」
「――――誰に」
 余計なことを言うやつがいたものだ。それは嘘とは言わないが、よりによってこの子にそれを言うか。
「雑誌に書いてあった。だから俺、下半身は恋愛関係ないって言うからじゃあ俺じゃなくてもいいよな、と」
「……」
 がっくりきて、ばた、とエドワードの上に倒れた。

「……素敵な誤解をありがとう」
 別にいやらしい態度ではなかったせいか、彼女はロイを振りほどかない。

 そうか、そうくるか。
 忘れていた。彼女はまだ女性としての経験はとても少なく、教えてくれる人もいないため、雑誌やテレビなんかの言葉をそのまま信じてしまうのだ。
 そりゃ性欲だけで女は抱けるが、あくまでそれは可能であると言うだけで心の満たされようは全然違うのだ。

「ちゃんと、……好きだよ?」

 胸に顔を伏せているロイの頬に手を当てて、エドワードは、上向かせた。
 火傷しそうなほどの黄金の瞳が自分を見ている。その中に、自分しか映っていないことに酩酊した。

「大佐のこと、ちゃんと好きだよ」
「――――――――――君、……ね」

 あ。ぐらりと来た。
 一応この感触の良い胸に倒れ込んだりして、まあ体勢的に言えばどう見ても押し倒している男に対して、そういう殺し文句を吐くって事は、それって、つまり。

 今更酒が戻ってくる。
 酒が理性を飲み込んでいくのをただ、黙って見逃した。下で小さく上下する胸とか、艶めいた唇とか。
 ロイの頭を真っ白にするこの子は、自分の恋人なのだ。

「……っ!ちょ……」
 獣みたいだった。
 目の前のこの存在を捕食して、頭の先から足の先まで食べ尽くしたいと思う。
 文句を言う唇を塞いで、食べるのに邪魔な服など取り去って、…悪いのは、こんな身体を持っているエドワードのせいだ。
 どんどん綺麗に魅力的になっていくのが悪い。男に食べられたいから綺麗になるんじゃないのか、と邪推した。

「あ……」
 服に手をかけようとしたら、エドワードは一瞬震えた。
 怒りより先に、その瞳には恐怖だ。いつもならやめてやるそれを、興奮と捉える間違った頭。
「やだ、やだって大佐、やめ…」
 大好きな声も今だけは五月蠅いと思う。否定なんて拒絶なんて聞き飽きた。

 この子は、あまりにも天然過ぎる。言ってる言葉は理解不能だ、だから聞きたくもなくて、又口を塞ぐ。
 いつもならさっさと蕩けてくれるはずなのに、今はひたすらに首を振るエドワードに、ロイはこんな事をしながらも泣きたくなった。

 嫌なんだろう、そうなんだろうな。このまま事を為したら、きっと明日の朝には、泣いてる。

「……なんで……っ!」
 それはすごく、哀しそうな声だった。
 キスの合間のこの空白は呼吸を整える時間であるはずなのに、そのわずかな隙間にエドワードが発したのは非難だった。
「なんで、最近、大佐、そればっかり」
 …前言撤回。もう、この子は泣いていた。

「いつもいつも会う度にこういうことばっかり」
「……鋼の、でも」
 聞きたくない、と首を振る少女。
「抱きたい抱きたいばっかりで、それしかないの、あんたの頭」
「……君が、子供だったときはそれは我慢したが。もう十八ではないか。結婚だって出来るのに。なのに」
 ロイにとっては当然の疑問、なのにエドワードはそれこそが理解不能だと、首を振り続ける。
「だから、なんでそればっかりなんだよ。どうしても必要なの、それ」
「そういう…わけでは」

 ――――必要か。

 言われれば、必要ではない。
 セックスをしなくとも成り立つ恋人関係だってある。
 遠距離だったり、身体の事情でそういうことができなかったり、それでも恋愛関係は成立する。
 身体も大切だけれどそれよりも重要なのは心の部分で、心が欲しいから身体も一緒に欲しくなるのだ。身体が先で心が後ということはない。だからどちらか一方しか取れないと言われればロイは心をとるだろう。
 だからエドワードが必要かというと、違うと、言うしかなかった。

「俺はどうしても嫌だって言ってるのに」
 ロイを抉る台詞を吐きながら、エドワードはそれには気がつかない。
「大佐はどうして、分かってくれないんだよ」
「………」

 ここまで、言われて。

 もう、事を為す気力などなかった。
 手を離す。乱れた服の下から覗く肌は確かに今でも魅力的で、気を抜けば理性を持って行かれそうなのに、手を出す力は萎えた。
「…………そこまで、嫌かね」
 自嘲めいた笑い。そんなロイのダメージなどきっと分かっているだろうに、彼女は一言
「嫌」
  と言った。



 そこには、なんの躊躇いもない。
 鋼の名を大総統に貰って不敵に笑ったときのように、自信に満ちた、他者の意見など聞く気もない声。

 エドワードは無意識に、心か身体かどちらかを選べとロイに問うている。
 両方取れば、離れていくのだろう。
 ここで、もういいと言えるほどに自分が彼女に惚れていなければ良かった。だが自分が手を離し、誰かが「心だけでいいから側にいて」といえば彼女は手を取るのかも知れない。
 それを思うと、脂汗が出た。
 情けない。十以上も下の少女に捨てられることをこれほど怯えているのだ。

 それはエドワードがこうして拒絶するからで。
 世の中には軽い気持ちで抱かれてくれる女もたくさんいるのに、どうしてこの子は頑ななんだろう。好きだと言ってくれるのに、じゃあなぜ、それ以上のことは嫌がるのか。

 騙して手に入れた。
 子供なのを利用して、恋愛感情を自分以外に持たせないように、男の振りを徹底させた。
 口では君のためだと言いながら、それは半分ロイのためだ。
 罪悪感よりも、失うことの方が怖かった。
 卑怯だったという自覚はある。一生この子に真実を告げることはないだろう。彼を彼女、と気づきそうになった人間は全て裏から手を回して異動させ、この子が自分で女性であると言うことを自覚する要素は、すべて奪った。
 残ったのは自分だけ、だから彼女には選択の余地はなく、ロイの他に恋愛感情を抱かせる成分は何一つ存在しなかった。
 


 だから、エドワードのロイに対する愛情が、ただの錯覚であったとしても、それに気がつく術はなかったのだ。

 でも、この子の身体の中のどこかで、これはロイとは違う愛情だと分かっているから、こうして拒み続けるのかも知れない、と。
 ――――そして、それに文句を言う資格など、ロイにはないのだ。

(続く)