Emptiness is conceived - 7(完結)
数十秒止まったままの男が、しばらくすると靴を響かせて付いてくる。
「私だけじゃない。君のあの態度は問題だ。自覚がない。普段ならともかくこんな格好をしているときはやめたほうがいい」
「そんな事考えるの大佐だけだって」
男はしつこい。そして結構俺はどうでもいい。
顔も向けずさっさと歩みを早めれば、男は粘って追いかける。
「女性の格好をしている時は、嫌でも自分を女性だと思って行動した方がいい。女性だったらこういう時にどう思われるかを考えろ」
「――――――――――」
咄嗟に立ち止まる。目の前が真っ白になった。
自分のことがばれているわけではないはずなのに、まるで知られているような錯覚に肺が押しつぶされる。
脳内回路が突然のブレーキに絡まり、ぎちぎちと嫌な音を立てて、止まった。
「女性だと、思って……?」
声は、きっと緊張したものになっている。
「そうだ。君はあくまでも認めたくないようだが、今の君はどこからみても完全な女性にしか見えないんだ。だから普段なら起こらないようなトラブルにだって巻き込まれる。自重しろ」
大佐の瞳はちゃかしたものでもなく、本当に真剣だった。
その瞳の中には、俺のことを何も疑っていない色が見えて、先ほどまでの嫌な予感を払拭する。
……そうだった。
もともと自分がこんな格好をして男の振りをしているのは、親父のせいもあるけれどもそちらの方が便利だからではなかったか。
だって、昔。
昔……、あの時だって、もしアルフォンスがいなかったら。
あの時だって、俺が奴らに気がつかなかったら。
あの時も、あの時も、あの時も。
―――――――何度だって、あった。
ほとんど忘れ去っていたそれを、今突然にすべて思い出す。
あれがトラブルだったのだ、大佐には一回だって喋っていないのに、この男は無意識にそれを人に思い知らせる。
「…………昔、こんな格好をする必要があったことがあって、そこでアルと一緒の部屋に泊まってた」
「……鋼の?」
突然朗読するように言葉を発した俺に、大佐が立ち止まって、視線を怪訝そうな物に変更する。傀儡のごとき虚ろになった精神状態で、放つ言葉すら、無意識だった。
「俺が熱を出して、アルが夜中に薬を買いに行ったときかな、男が数人入ってきて」
「――――――――――」
何故だろう。何故こんな話を俺は大佐にしているんだろう。
「いくら熱があっても錬金術は使えるから別にそいつらを追っ払うのは簡単だったけど、そうだな、たしかにアルがいないときにこんな格好してると、ろくでもないことが――――――――――」
続きを口に出す前に、頬に当たった温度は、人の体温だった。あ、と思う間もなく唇は男の胸に押しつけられることで塞がれる。
ぼす、と大佐の服に埋もれる。ああ、どこかで嗅いだ匂いだと思った。
「……アルフォンスが、鎧で良かったよ」
「なにそれ」
「ぬいぐるみとかだったりと思うとぞっとする」
背中に大佐の掌が当たっているのが分かった。押しのけようと思えば押しのけられるけれど、なんとなく気分にならなかった。
今、抱きしめられているんだと分かる。
そんなのは、もうここ何年経験していないだろう。
自分の鼻や額や口に他人の服が触れる感触。その下にある鼓動が聞こえる。目を閉じると、それは早くて、生きているんだと思える。
アルフォンスには、心臓がないから。
他の人に抱きつくなんて、弟に悪い気がして。だからこうして大佐から抱きしめてくれないときっと一生自分からは出来ない。
昨日みたいなのは嫌だけど、こういう事をされるのは嫌いじゃない。
「君が普段通りの格好でも、変なことを考える人間はいるだろうが、その数は今の格好の君の時に変なことを考える奴の数よりは圧倒的に少ない。だから、君がこんな格好をしてるのは危険なんだな……、私はうかれて全く気がついてなかった」
男の溜息。ちょっと耳に染みる。
路上で、男に抱きしめられておとなしく胸に埋もれているなんて、それこそシルビアの言うように恋人同士と言われてもおかしくない。そりゃあ、あんな女性一人、簡単に騙せる。
――――騙した。
さっきからずっと、それが喉を焦がし痛め続けている。
「シルビアが、いい彼氏ね、だって」
「ほう、嬉しいね」
そんな虚構に騙されてくれた彼女。
「冷たくて、きつい人だとおもってたのに、凄い優しかったよ。あんたのいう機械鎧のせいで親族から交際を反対されているんです、という言葉であんなにあっさり喋ってくれるとは思わなかった」
「彼女が顔の火傷のせいで婚約者との結婚を許して貰えないっていうのは知ってたからね。相手の男は名士の息子で。シルビアの傷さえなければ問題ないと常々言っていたようだから」
だから、ああいえば彼女は君を仲間だと思い、教えてくれると思ったのだと大佐は言う。
完璧なまでにそつのない調査。ただシルビアに会えば何とかなると思っていた自分と、彼女自身を調査していた大佐ではやっぱり経験が違うと思った。
何を言えば成功するかを理解した上で実行に移す手腕とその情報収集力には舌を巻くけれど。
「騙した」
「……そうだね」
男は否定しない。その通りだからだ。大佐が昨日言った言葉は、彼女に嘘をつけと言ったのと同意語。こくんと頷いた俺も共犯。
「あんなに、一生懸命に心配してくれる優しい人を騙した」
「そうだね。だからあんなに機嫌が悪いのだろうなと思ったよ」
最初に大佐の顔を見たときに八つ当たりとしりながら吐き捨てたのは、彼女への罪悪感を持って行く場所がなかったから。
そんな作戦を言った大佐のせいにしようとしたかったから。
あんなに優しい人だなんて知らなかったから、こんなに胸が痛むことになるなんて昨日は思わなかったのだ。
「それでも、覚悟の上だろう?」
「……当然」
本当に嫌なのは、それでも前に進もうとしているこの心だ。罪悪感があっても、きっと何度でも繰り返すと分かる自分の性根に一番腹が立つのだ。
「だが、彼女に迷惑が掛からないようにはしないとな。くれぐれもサイゴンの中では君の性別がばれないようにしたまえよ」
「…………」
ばれても問題はないのでそう言うことは全く考えていなかった。
だが言えるはずもなく。
俺は、一番騙している人の腕の中で、シルビアを騙した、と懺悔している。…それが。
今まで何とも思っていなかったそれが、本当に痛い。
(嘘をついてる)
俺が男だと思って、本気で心配してくれている大佐に、大きな嘘をつき続けて、積み重ね続けているのだ。
大佐に愚痴を言う資格なんかあるのか。シルビアよりもっと近くて多分大切な人を、もっと酷いペテンにかけているのに、俺は何をしている?
二重の裏切りも甚だしい。どの面を下げて、大佐に愚痴を垂れているのか。言う相手が違うだろう。
今になって、かなり長い時間こうして抱きしめられ続けていることに気がついた。
「大佐」
「……なんだね」
「なんでこんなことしてんの?」
素朴な疑問。
抱きしめる男と、そして甘受している自分にも自答しているのは内緒。
「いや、君の話を聞いているとどうしても抱きしめたくなった」
「……セクハラ」
でもそういいながらも、逃げない俺がおかしいってことくらい、大佐だって分かっているはず。耳に響く大佐の鼓動は結構早くて、この男でも緊張しているのだと分かったら、この平気そうな軽口も許せる気がした。だから、逃げようと思えない。
でも、こうしていると何かを搾り取られて大佐に吸収されていく気がする。布団の中にくるまったときに、身体を覆う暖かい毛布の感触に、ほっと息を吐くことがある。
アルフォンスに見えないように、聞こえないように頭までかぶって、その温もりをじんわりと味わう。今、それを思い出した。
「大佐、最近……やたらこういうことが多いな」
項にキスしたり、抱きしめたり。
少なくとも軍部では言葉で言われることはあっても実力行使はなかった。
「うーん、軍部と違って人の目がないからかな」
大佐は空を見て、一瞬考えて口に出したようだった。
「……やっぱり人の目が気になるのか?」
「君が嫌だろう」
軍部みたいに周りの人間が自分を知っているようなところで、上官の同性に迫られるのなんか嫌だろう、と補足される。
「今だって嫌だけど」
そのわりには、腕から抜け出ないんだけど、そこは頼むから突っ込んでくれるなと目を瞑る。
「でもまわりはみんな知らない人だからな、ここでこうしていても恋人同士に見てもらえる。誰も私たちが国家錬金術師だなんて、分からない」
「………」
男はみないふりをしてくれたようだった。
「私だって軍部で君を追いかけ回していてはなんの噂が立つことやら」
男が呟いたと思われる何気ない言葉で、エドワードの胸が詰まった。
そうだ、仮にも国軍大佐が、軍部で少年を追いかけ回していたら何をいわれるものやら分かったもんじゃない。それは、ゆくゆくは大総統を狙っている男にとっては、とても不利益なもののはずで。
ばれたら彼の周りに集う蝶達も潮を引くように逃げていくだろう。
男の野望はエドワードが思う以上に真剣なもので、それを叶えるためにおこなう労力は多分俺達兄弟の苦労に匹敵する。それほどまでに渇望するものを、少年を追いかけることなんかでだいなしにするわけがない。
だったら、最初からこういうことなんかしなければいいのにと思った。人の目を気にするくらいなら、最初から興味のない振りをしてくれる方がよっぽどいい。
中途半端にかまわれて振り回される身にもなって欲しい。
(……いたた)
心臓が痛む。手術の時に忘れた小さな石が、中で暴れているようだった。
最近大佐の言葉に勝手に傷ついている気がする。傷心した己の心を気がつかれないように、口を開く。
「噂立ったらこまるよな、女たらしなのに」
声は掠れそうだった。口に出す端からなぜか気持ちがトーンダウンしていく。それが如実に声に現れていないかとひやひやした。
「まったくだよ。君に固執してるのがばれると上がいろいろちょっかいをかけてくるしな」
「――――――――――」
はあと溜息一つが降りてくる。
なんだか泣きそうにいたたまれなかった気持ちが凍結して、声は耳に浸透した。男がエドワードに軍部で声を掛けない理由は、自分の地位とか女性達の為だと思っていた。だが、この男は言う。
「君が私の弱点だとばれたら、君を盾に何をされるか分からない」
「……だったら、弱点作るなよ」
ほっとしている自分に気がついている。上昇する顔の温度と、軋む心臓の音にどうにかなりそうだった。
さっきまで、あんなに身の内を粘土みたいにどろどろと嫌なものが渦巻いていたのではなかったか。アレは一体何処へ行った?
そんなエドワードのひび割れた脳のことなど、大佐が分かるはずもなく。
「君は、弟を弱点ではないといえるか?今更捨てられると?」
大佐の疑問はもっともだった。答える俺も、決まっている。
「できないな」
「そういうことさ。無理なんだよ、一回作った弱みというのは、気がついた瞬間から守るしかなくなるんだ」
それが弱みだと、気がついた瞬間に。それは守らなければならないものへと変貌するのだと男は、呟いた。
(続く)
