黒の祭壇

黒の祭壇

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月に村雲、花には嵐 - 1(完結)

それはある天気の良い水曜日。
 鋼の錬金術師が帰ってきたらしい、という話を廊下で漏れ聞いたので、ハボックは己の机に戻った。
 あの子供が帰ってくると、司令部中が何故かざわざわと音を奏で出すので、何となく分かるのだ。
 タイミング良く、自分の机の周りには誰もいない。一応辺りを見回して、机の引き出しからそっと一つの封筒を引っ張り出すと、中身を確認する。
 一枚の写真と、一枚の地図。よし、あってる。
 そのまま煙草吸ってきます、と窓際で本を読んでいるファルマンに声をかけて部屋を出ると、いつもの待ち合わせの場所に向かいながら考える。
 毎度毎度、大将が旅から戻ってきた時に行われているこの慣例行事。
 別に皆に隠しているわけではないのだが、なんとなく逢い引きのようにこっそり屋上で待ち合わせ、物々交換をする。
 手にしたA5サイズの封筒を、じっと眺める。
 子供のお願い。物々交換で貰える物は旅先の銘菓。
 本当は、代償にするにはあまりに安いのだろう。でも子供に他のことを願えるとしたら、ちょっとだけ変なことを頼んでしまうかもしれないからこの程度でいい。
 これで十回目か。
 一年くらいこうして彼女との逢い引きを繰り返している気がする。
「……彼女、ねえ」
  未だに慣れない自分の往生際の悪さに軽く溜息。 



 昼休み以外に、屋上への扉は普通閉ざされている。
 だがエドワードがここにいるときは当然、その鍵は元から開いていたかのようにアスファルトの床に転がっているのだ。
 ぱん、と軽く手を叩いて彼女がこの鎖を握るだけで、それは簡単に転がり落ちる。
 こんな事が出来るのは国家錬金術師では彼女くらいしかいない。この扉の鍵が開いているということは、エドワードの存在証明。
 示し合わせたわけでもないのに、中央に戻ってきた少女は最優先でハボックに会いにこの場所に来る。恋人であるロイマスタングよりも先に、だ。
 扉を開ければ、日差しがこれでもかと降り注ぐ屋上で、金色の尻尾が揺れていた。
 まあ、眩しいのは太陽だけじゃなくて。
 それを背にして佇む女性のせいでもあるんだけど。


 トレードマークだったあの赤いコートはもう入らなくなったのだと言っていた。動きやすいから、と平気で膝上の高さのスカートを好んで履いているので、頼むから止めてくれ、と何度も上司が言っているのだが、そう言われると止めないのが大将の大将たる所以で。
 でも今日は珍しく白のワンピースで、ひらひらと裾の部分がフリルになっており、一部がカットされて和紙状に皺の入ったデザインのそれはえらくお嬢様然に見せていた。
 もとより身体は鍛えているために、足には無駄な脂肪ひとつなく、すらりと伸びていて、カモシカのような洗練された筋肉が一本通っている。そこにはもう鋼の足は何処にも見あたらない。
 屋上の手すりに置かれた掌も、すでに両方とも元の白い色を取り戻している。
 ぼんやりと柵に肘を載せて、軍部の玄関を見下ろしている彼女の後ろ姿をしばし目眩を起こしながら見た。
 これが、数年前にどう見ても少年にしか見えなかった子供だろうか。
 今なら誰一人として、この子を少年とは見間違えまい。それどころか、中央の何処にこんな美少女が隠れていたのかと、己の今までの人生を悔やむだろう。
 金の髪は太陽に晒されてもなお美しく、整った鼻梁はその造形を作り出した奇蹟とやらを信じるに違いない。
 ああして動かずに静かに佇んでいると、それこそ美しい彫刻の少女のように見える。
 その彫刻は、ばたん、と閉められた扉の音に反応して、人間に戻った。
 くるりと振り返ると、いきなり生を感じさせる躍動感で、身体が揺れる。
「おつかれー中尉」

 頭をアップで一つに纏めて、太陽さながらに笑う少女は既に十八になっていた。





 今から一年ほど前のこと。
 鋼の錬金術師とその弟が身体を取り戻しました、と中尉から聞かされた。
 さきほど大佐に電話で報告があったそうで、落ち着いたらこちらに顔を見せに来ます、と。
 ファルマンやフュリーとみんなで大騒ぎをして喜んだのを覚えている。
 だってあの一対の兄弟は、神はここまで試練を与えなくても良いだろうと思うほどにあの小さい身体にいろいろなものを背負っていて。
 彼らの身体が元に戻って欲しいと思っていたのは、あの二人だけじゃないのだ。
 そこまでの試練を負わされるほどに、彼らは酷いことをしたのかと思う。小さい兄弟が、母親を失った。そして彼らにはそれを取り戻すだけの能力を、たまたま、持っていた。
 それだけだ。
 その代償があまりにも惨い。あそこまでいろいろなものを奪われたのに、まだその上奪うのかと。
 取り戻そうとすればするほど奪われているような気がして、ほんの少しだけ、もうこのまま何も取り戻せないのではないかとか思ったり、した。
 だから、一週間経って鋼の錬金術師が顔を見せに来た、と聞いたときはみんなでわくわくして待ちかまえたものだ。
 会えたらなんて言おう。
 お疲れ様、かな。それともよくやったな、と誉めてやるべきか。
 頭をぐしゃぐしゃ掻き回してそれこそ嫌がらせみたいに抱きしめてやろうか、とか。
 ………まさかね。
 大佐と中尉に連れられておずおずと顔を出した少年が、少女だったとは思わなかったけどさ。

(続く)