黒の祭壇

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Emptiness is conceived - 26(完結)

 待ち合わせ場所はいつものところ。
 現れたのはこの前と同じ運転手。
 今日は着飾るな、となぜか弟と上司が懇々と説教してきた。
 おかげでGパンとTシャツというラフな格好だ。
 たしかにごてごてしていないし、男の格好で気は楽なのだが、いかんせんこの手の服装はいつもは隠している胸の膨らみが一目瞭然なので。
 時計台の下で一人立ちつくして、胸にぴと、と手を当てた。

(……慣れないんだよなあ……)

 服を脱げば胸があるのは当然だが、服を着ているときは基本的にさらしのせいでぺったんこだ。窮屈ではないのはいいのだが、慣れない。

 だがそんなことを言っている場合ではない。
 今回で良いにしろ悪いにしろ全てのことにケリがつく。
 今度こそ賢者の石があればいい。ここに辿り着くまでの苦労が並大抵ではなかっただけに、その気持ちは強くなる。
 苦労も多かったが同じくらい危険も多い。
 大佐はエドワードに何も言わなかったが、出来れば最近の焼死事件の犯人がサイゴンであるという証拠も掴みたいと思っている。
 あれだけ尽力してくれたのに、「サイゴンの中に入った時に焼死事件の件も一緒に探れ」とは言わなかった。何故なのだろうか。いつものあの男なら俺がどんなに嫌がっても仕事を頼むはずなのに。

 ひたすら、エドワードを心配する台詞ばかり吐いて。
 危なくなったらすぐに逃げろと繰り返すばかり。
 結局あまりにもしつこい二人に、ほぼ喧嘩みたいな感じで別れたことは少しだけ後悔している。

 左手の平を空に翳すと、昨日男が押しつけた指輪が光った。

 『君への結婚指輪のつもりで選んだんだ』

 恥ずかしい台詞まで思い出して、赤くなる。
(……ほんき、なのかな)
 男の愛情表現は強引になったが、前とあまり変わらない。こいつはこの結婚指輪とやらを、俺が男だと信じていた時でも言っただろうか。
 ……言わないだろうな。本気で迫ると困るから、といって大佐はずっと俺に何も言わなかったのだから。
 では、迷惑ではないと答えていたらやっぱり婚約指輪を差し出してきたんだろうか。
 あいつは天性のタラシなので、本気にすると馬鹿を見ると思う心もあるのに、本当なのか、と問いただしたくなる気持ちもある。
 頷かれたら多分、――嬉しいんだろうな、俺。

 好きだなんて、絶対言えない。
 アルフォンスを元に戻すことが一番で、それ以外のことは捨てると決めた。
 男が百回愛を囁いたら、こちらは百回の拒絶を返す。
 でも、もし。もしサイゴンに本物の賢者の石があったなら。
 アルフォンスを元に戻すことが出来たなら。
 エドワードには大佐を拒絶する理由が無くなるのだ。

 それにどうしてこんなに恐怖心を感じるのだろう。
 駄目だダメだと首を振る。それどころじゃない。アルフォンスが元に戻った後の心配なんて妄想もいいところだ。
 そんなの賢者の石を手に入れてから考えるべき話で。
 ぺちぺちと頬を叩いて思考回路を叩き直していたら、目の前に迎えの車が止まった。

 車の中に入ったら、目隠しをしろと言われ、徹底してるなと溜息をつく。
 弟と大佐が尾行してきているのは分かっていたので、不安はなかった。目を閉じて、曲がった回数とだいたいの時間を頭に叩き込む。
 それによりどうやら車は一時間程度走り続け、待ち合わせの場所からはるか東の方角に行ったということが分かった。
 こんな遠くまで来たことがないので、エドワードにはここがどこかは分からない。だが確実に町を何個か越えていることだろう。
 車が止まったので、さすがに目隠しを外してくれるのかと思ったのに、手を引かれてそのまま車を降ろされた。
 自分の手を引く運転手が扉を開ける音。中には何人かの声。声の反響状態から言ってそんなに広い場所ではない。
 床はおそらく木造だ。歩く度に木の軋む音がする。
 目隠しを外されたのは、家の中に入って三つほどの扉をくぐった後だった。

 久しぶりの光に少し目がちかちかする。
 瞬きをしながら正面を見たら、迎えに来た運転手はもうおらず、この前人に問診したセクハラ医者がいた。
 咄嗟に口がうめき声をあげそうになる。
 苦手なのだこの男は。
「やあ、遠いところなのにすまないね。ずっと目隠しされてて疲れたろう」
「……はあ」
 警戒心露わに見上げると、男は苦笑する。

「だがそれだけ教祖様の能力が凄いということなんだ。分かってくれるかな」
 わかんねーよと内心突っ込みつつも黙って頷く。
 教祖様の能力が凄いからじゃなくて、あんたらがやばい事をしているからじゃないのかと思うが、ここで口に出すほど馬鹿じゃない。

 やっときょろきょろと当たりを見渡すと、そこは民家の一部屋のようだった。
 普通に窓もあるが、カーテンが閉められていて外は見えない。金属に覆われた、軍部の取調室のような部屋かと思っていたので拍子抜けした。
 それもおそらく予定の一部なのだろう。
 一時間も車に揺られ目隠しをされた女性がここで機械的な取調室に連れてこられたとしたら不安は膨れあがるばかりだ。
 知っている男が目の前にいて、ただの民家で。患者の不安を解すためか。

「さて、とりあえず着替えてくれるかな」
 服はそこにあるから、と指さされた方向には木製の籠と、手術着のような綿製の白い肌着があった。
 上からすっぽりと被るタイプで、前や横を紐で縛る。脇を覗き込めば胸も丸見えだろう。
 遠目で見ただけでなんとなく予想がついた。

「……これ、やっぱり全部脱ぐんですか」
「もちろん。診察の邪魔だから」

 なんの診察だ。

 ある程度予期していても眩暈がしそうだった。
 だがまだ教祖に会ってすらいないのに暴れるわけにはいかない。わかりましたと頷いて籠に向かうと、男は一応部屋を出てくれるようだった。
 本当に機械鎧の人間には興味がないんだなあ、と思うとなんだか感心した。
 あの時はあんなにショックだったのに、今はなんとも思わないのはおそらく大佐のせいだ。
 恥ずかしい台詞を吐いてみっともなくも縋った事を思い出す。そんな男が自分に対して何をしたかまで明晰に。
 ……いかん、体温調節に失敗し始めた。
 首を振っても頬を叩いても、冷水でも被らないと気休めにもならない。
 思い出す度に恋情が募る気がする。こんなに惚れてしまうなんて誰が想像しただろう。
 少し低音の声も、時折混じる焔の気配も、夜の闇より際立つ黒髪も、自覚のない優しさも。

 全部。
 今は、忘れよう。

(続く)