Emptiness is conceived - 24(完結)
アルフォンスが大佐を呼びに行って数分後。
エドワード達の部屋に三人揃って、さて、と男は切り出した。
「……私の方で掴んだ事実は、今までなら喋ってもべつにどうということはなかったんだが」
ちろり、とベッドの上に座り込んでいるエドワードを見る男。
「……なんだよ」
その困ったような瞳になんだかむっとして機嫌悪そうに言えば、ロイははあ、と溜息を吐いた。
「こんなところで嫌な新事実を発見してしまったので、かなり言いたくなくなった。……が、言わなければもっと怖い」
「なんなんだよ! まどろっこしい!」
男にしてははっきりしない物言いに短気の虫が騒ぎ出した。ぎゃーぎゃーと騒ぐ兄をまあまあと宥めた弟が、どうしたんですか? と男に向き直る。
ホテル備え付けの椅子に座った男は足を組んでそんな兄弟喧嘩を見ながら
「殺された女性達は全員強姦されていたそうだ」
と、憎々しげに呟いた。
「――え?」
「ほんと、ですか……?」
ばたばた騒いでいた兄弟の動きは一瞬にして止まる。
「生前にな。その後殺害。腹を切って内臓取り出して遺棄。……腹を切ったのは、生きてる時の可能性が高いそうだ」
男は、本気で殺意まで持った声を放っていた。
エドワードもアルフォンスも声を失って、数十秒部屋には沈黙のみが響く。
世の中には、こんな汚いことがたくさんあることは知っている。殺された女性達にエドワードは会ったわけではない。惨い殺され方を目の前で見たわけじゃない。だが、これに何も感じなくなってはおしまいだ。
彼女たちの死の光景を想像できないようでは人として終わっている。
どろどろの汚濁が、エドワードの内臓を蝕む。気力までも奪うその泥は、怒りを連れてのたうち回った。
強姦だけでもどれだけ辛いだろう。なのにそんな彼女たちを生きたまま引き裂いたのだ。その行動には人を人として見る思考回路はあり得ない。まるで悪魔か化物の仕業だ。
男の話では普通に生きていた女性達だということだった。それが、こんな、惨すぎる殺され方をする理由などあるはずがない。
エドワードは白熱する脳内の衝動を抑えるために唇を噛んだ。
「それが、……サイゴンの仕業だと?」
「私はそれしかありえないと思っている。君の性別を知る前ならこの事実を今語ったところでどうということはないと思った。だが」
「兄さん! 危なすぎるよ!」
男の言葉を最後まで言わさず、アルフォンスがこちらに向かって叫んだ。
沈黙をたたき割るような声に、びっくりして目をぱちくりさせる。
「ダメだ、他の方法を考えようよ。僕がついて行けるならいいけど、兄さん一人じゃ」
「………だろう?」
叫ぶアルフォンスの背後から聞こえてきた声は諦めの響きを持っていた。
「鋼のが男性ならよかったんだが、女性となると、被害者リストに何時名前が並ぶか分からない。だから言いたくないが言わないともっと怖いと言ったんだ」
「……たしかに、言わない方が怖いですね」
エドワードを無視して、アルフォンスは大佐の方に向き直る。
「私は君達の能力を疑っているわけではない。女性だろうが男性だろうが鋼の錬金術師は特級の国家錬金術師だ。だが、今回ばかりは危険すぎる。もし本当に教祖が賢者の石を持っているのならいくら鋼のとて太刀打ちできない」
「しかも、その教祖は殺害をも辞さない危険な人間だって事ですよね」
「男性ならターゲット外だからね。殺されないとは言わないが、あんな惨い目に会わされることもないだろう。だが女性はね……」
頬杖を着いた男は、黙って窓の外を見た。
殺されるのは女性。教祖の目的も女性。男性ならまだいい。ばれてしまえばそれ以上の興味を教祖は失うだろう。だが女性であるというそれだけで、教祖はどういう行動にでるか分からないのだ。
「……僕、大佐を誤解してました」
「ん? 何がだね」
アルフォンスの沈んだ声に、男は不思議そうに鎧を見上げる。
「てっきり兄さんが女性だと知って大喜びしてる色ボケ大佐なんだと。そんな単純な話じゃなかったんですね」
「……当たり前だろう。性別なんかどうでもいいんだよ。ただ今回ばかりは女性だと困る、というか中枢まで入り込めて幸運だ、というべきか……司令官としては後者を選ぶべきだが、君も私も前者の気持ちの方が強い」
なんだか二人でしんみり会話が進んでいるがベッドで茫然としているエドワードは置いてけぼりである。
俺の気持ちは何一つ聞かれていないが、今の議題は俺の危険性についての話なのでは無かろうか。
「ちょっと待てよ、俺は別に平気に決まってんだろ!」
当然ここは反論するべきだろうと、少し声を張り上げたのに。
「兄さんは黙ってて」
「君の意見は聞いていない」
自己主張は一刀両断で二人に切り捨てられた。
「君が言うことなんか分かりきっている。心配するな、大丈夫、平気平気。その平気と大丈夫の根拠を四百字以内で説明して貰いたいね。私達にも理解できるように」
「そうだよ兄さん。どうせ俺を誰だと思ってるんだよ!とか言いだすんだろうけど、兄さんなんてただのミジンコちびっこ錬金術師なんだからあんまり自分の能力を過信しないでよね」
「だれがミジンコ……!」
「事実を言われるから激昂するんだろう。文句があるなら汽車の棚の荷物を自分で取れるようになってから言いなさい」
「そうだよ兄さん。この前なんて僕が取るって言ってるのに無理して自分でやろうとして、おかげですっ転んで号車の端まで回転してったじゃないか」
その素晴らしい連係プレイの苦々しそうな物言いの連発に、エドワードは反論する気力を一気に失って口をつぐんだ。
なんだよ、アルなんてさっきまで大佐の馬鹿みたいなこと言ってたくせにこの変わり身の早さはなんなわけ!
なんか他に反論するいい言葉はないだろうかと頭をぐるぐるさせている間にも二人は何事かをぼそぼそと相談し合っている。
「――と、いうわけで鋼の」
「………っ!」
すっかり己の世界に入り込んでいたので、大佐の声掛けに必要以上に驚いた。
慌ててそちらの方を見ると、剣呑そうな微笑みと有無を言わせない視線の男が椅子でふんぞり返ってこちらを見ている。
隣のアルフォンスはまるで騎士みたいに直立不動でエドワードに空の視線を向けていて、その背後に漂う気配には万に一つも穴はない。
この無駄なまでに威厳を漂わせる王様と全身鎧の頑強な騎士団長にすごまれて、嘘をつける奴がいたら見てみたい。この状況に放り込まれたら無罪の人でも犯行を自供しそうだ。
「……次は、君の方の話を聞こうか。これからの行動はその内容如何によって考えよう」
「兄さん。正直に答えてね」
嘘をついたら許さないよ?と声には出ていなかったが、その気配が言っていた。
背中にこんなにだらだらと冷や汗が垂れたのは、スカーに殺されかけた時以来だな、とともすれば遠のきそうになる意識の奥でエドワードは思った。
最初はいろいろ誤魔化せる物なら誤魔化そうかなと思ったのだ。
だが大佐の殺気だった微笑み(微笑んでいるから怖い)と隣で黙ってエドワードの動きを観察している弟二人に凄まれて、嘘をいう勇気が湧かなかった。
「……処女?」
「……初潮?」
「――――――――――ハイ」
ああ、やっぱりそこか、そこに反応するのかと、泣きたくなる思いでエドワードは返事をする。
「兄さん。絶対ダメ。考え直し」
数秒の迷いもなく、鎧の弟からはそんな声が聞こえてきた。
なんとなく両手を組み合わせて曖昧に笑うエドワード。
「あー、やっぱり……?」
「当たり前だろ!他の方法で行くこと考えようよ。大佐もそう思いますよね!」
大きく同意を求めて鼻息荒くアルフォンスが振り向く。
椅子に座った大佐は片手を口に当て、何事かを考え込んでいた。
てっきり一緒になって猛烈反対すると思っていた兄弟が、拍子抜けして口を閉じる。
「……処女で初潮が来ていなければ最高だと、そいつは言ったんだったな」
横顔は精悍。言っている内容さえ聞かなかったことにすれば、女性は普通にうっとりするであろう整った鼻梁と憂いのある表情だ。
「……初潮はともかく処女でなければ最高の状態にはならな……」
「大佐が何考えてるかすごいわかりましたけどそれ以上いうならここから突き落としていいですかいえむしろ今から突き落としていいですか」
エドワードにはさっぱり分からないがやっぱり弟と大佐は仲がいい気がする。だって最後まで言わずとも考えていることが分かるなんて凄いんじゃないだろうか。エドワードでもそこまで分からない。
「冗談に決まってるだろう」
やれやれと息をつく王様はエドワードでも震え上がるアルフォンスの逆鱗をさらりと受け流している。
何を考えていたか知らないがどう見ても先ほどの表情は冗談には見えなかったので、それでも冗談だと言い放てる根性には尊敬を覚えた。
「まあいい、アルフォンス。私は鋼のに行かせるべきだと思うね」
またもやふんぞり返った大人は、充満している弟の怒りをしっしと散らすように手を振りながら、アルフォンスに答えた。
「え?」
驚いたのはエドワードの方だ。
てっきり大佐は「絶対にダメだ」とアルフォンスと同じく言うと思ったのに。
「なんでですか?だって、どう考えても危ないじゃないですか。それとも大佐は兄さんのことが心配じゃないんですか?」
ちょっと胸の痛む台詞を吐いてくれたアルフォンスだが、エドワードの痛みは弟には分からない。
……あからさまに、心配じゃない、とか言われると。
さすがに辛いな、となんとなく手元の枕を引き寄せる。
まあロイにここで猛烈反対されるとエドワードとしても困るので、賛成してくれるのは嬉しいのだが、その理由が特に心配じゃないから、だったりするとそれなりにけっこう傷つくというか…。
うう、でも別に恋人同士じゃないんだから、それでもいいじゃないか。そんな予定もないわけだし。
「理由は一つ。どうせ止めてもこの子は勝手に抜け出して行く。そのくらいならこちらでそれなりに用意をさせて行かせた方がいい」
「…………」
指を一本立てて、身も蓋もない理由をアルフォンスに説明するロイ。
アルフォンスの身体の動きが止まった。
「無理矢理やめさせてみろ、抜け出して勝手にサイゴンに行くのが関の山だ。首に縄をつけてもどうせ引きちぎるのなら、発信器でもつけて放し飼いの方がいいね」
「……大佐」
どう考えても褒められているようには思えないが、エドワードは少しだけほっとする。心配していないわけではなかったらしい。
「どう思うかね。アルフォンス」
「………そう、ですね」
兄の無鉄砲は弟もよく分かっているようだ。ロイの問いに俯きながらもぽつりと呟く。思い当たるところがありすぎるのだろう。なんといっても大佐の数百倍は無鉄砲な兄を側で見ている弟だ。じっとしておけと言ってもじっとしない兄であることは百倍承知で。
「たしかに、こんな状態を目の前にして、兄さんにいくな、っていっても無駄ですね。宿を壊してでも行く気がします」
だろうだろう、とロイが頷けば、二人はまた仲良しに戻ったらしい。
どうもこの二人の関係はよく分からないとエドワードはげんなりして枕を抱きしめる。
「というわけでな、鋼の」
エドワードがぶつぶつ愚痴ている間にいつの間にか二人の間で話がついたようだ。俺の意志はどこに行ったんだろう。
「今から私の部屋に来なさい」
「………………」
一瞬熱が上がってしまったのは、男を意識してしまったからなんて理由じゃ、絶対にない。
(続く)
