黒の祭壇

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Emptiness is conceived - 18(完結)

水飛沫がぱたぱたと背中や胸を滑り落ちて、エドワードは目を閉じた。
 結局、質問はそれだけで。
 あっさりと教祖に会えることになったらしい。
 処女で初潮が来てないからだそうだ。笑わせる。
 湯船につかって、ため息を吐く。天井は白く靄がかかって、まるで自分の心みたいだ。

「……明日、かあ……」

 じい、と水につかった自分の身体を眺めてみる。
 普段身体を洗うときにしか触らない胸なんかを触ってみると、当然だがむにむにと柔らかかった。下をもぞもぞいじってもやっぱりどこにも男性のものなんか着いていない。

(……女って)

 生理もないのにほんとに俺、おんななのかな。

 腰に手を当てると困ったことにすっかりくびれてしまっている。昔は寸胴だったのに。
 手首を湯船から出して、眺めた。
 手首の細さも、やっぱり男とごまかし続けるのはそろそろ限界な気がする。
 本当はこうなる前にアルの身体を取り戻せているのが一番よかったのに、間に合わなかった。
 大佐が鈍いからまだいいけれど、時間の問題かもしれない。

 生理がこないと言うことは、エドワードにとって実は最後の砦なのだ。
 身体の外側がどんなに変化しても、内臓が女性のものかどうかは分からない。生理がこないと言うことが子宮がないということかもしれないというかすかな期待に直結している。
 もし、生理なぞきてしまえば、俺はもう、……認めなければいけない。

 自分が女であるということを。

 ずるずると沈み込んで、頭の先まで湯船に沈めた。
 ほんとはちょっとだけ、女でもいいかなと思い始めていたのだけれど、そんなの言えない。
 女性だったら、ずっと側にいればあの男がいつかはほだされるかもしれないなどと、一瞬でも頭をよぎらなかったかといえばそれは嘘だ。
 湯に沈んで、身体をぎゅうと丸めて縮こまってしまえば、胸は太ももに押しつけられて形を変えることがどうしようもなく恨めしい。

 ……不安、なのかな俺。

 どんな危険な場所に乗り込む時でも、いつもアルの背中を叩いて、行こう、と言ってきたのは自分だった。女であることをここまで意識しなければいけない機会は、思えば一度もなかったのだ。
 明日自分が行く場所は、女としての自分を必要としていて、多分そこを痛めつけてくる。今まで、そんな経験はない。
 いつもみたいに両手を叩いて、暴れればすむ話ではないのだ。おそらく。

  時計は風呂場にないけれど、多分もう三十分は浸かっている。さすがにのぼせて頭がぼーっとしてきた。
 ぱしゃぱしゃと意味もなくお湯を回して、ぼんやりと考える。
 そもそも、これからこのことをアルにどうやって説明しよう。何を聞かれたか、という質問に正確に答えれば、きっと弟は半狂乱になって、絶対に行かせないだろう。

(……でも、大佐にだけ言うのもなあ……)

 あいつは俺を男だと思っているから、笑ってくれるだろうが、それをなぜアルフォンスに言わないんだ? というつっこみは確実にくる。
 ということはやはり、双方ともに嘘をつくしかない。

(……)

 嘘は苦手である。しかも弟につく嘘は半分はばれる。その上、今回鈍いんだか聡いんだか分からない大佐も騙さなければいけない。
 前途多難。

 ざばん、と湯船から顔を出して、浴槽の縁に頭をくっつけた。
「……いかん、本気でのぼせた……」

 頭がくるくると廻る。
 たしかアルフォンスは夕飯を買いに行くと言っていたし、大佐はなんだか知らないがこちらの軍部にまた用があるらしく、出かけている。
 さすがに出ないとまずいだろうと立ち上がると、お湯を弾きながら浴槽から出る。
 くらりと目眩がした。

 がしがしと乱暴に頭を拭いても、やっぱり身体が火照って思考がとぐろを巻いている気がする。
「う~」
 ちょっと、マジでいい気になって風呂に入りすぎた。
 考え事をするにはお風呂はいいのだが、最後に頭の先までお湯に浸かっていたのは敗因だ。あれで一気に血が上った気がする。

 ぱたぱたと手で仰いでもそんなので体温は下がらない。
 髪の毛をくるくると団子にして、紐で纏める。首に掛かると暑苦しくてしょうがない。
 当然服を着るのも暑苦しく感じて、身体を拭いたバスタオルを籠に投げ込もうとして、やめる。
 いつもならさらしでぐるぐる巻きにしているので、服を着るのは最近結構苦行で。
 今服を着ると、拭いた汗がまた吹き出てきそうな気がする。意味がない。
 まあいいかと、バスタオルを簡単に巻いて、脱衣所を出た。

「……あじぃ」
 脱衣所を出ると少しは涼しい風があったが、それでもやっぱりまだ暑いのは、身体からこれだけ湯気を出していたら当然だろう。
 大佐は違う部屋だし、アルが帰ってきたら起こしてもらえばいいや。
 今のエドワードの気分的にはこのまんまベッドの上にばたん、と横になってのぼせが治まるまで寝ときたいということだけ。
 もう布団などいらんので、その上でぼてっと。

 ああ、その前に水を一杯飲みたいかもしれない。
 着替えた下着を両手に抱えて、脱衣所の扉を足で乱暴に閉めると、部屋に戻る。
 適当に水気を落としたので、まだ髪からは少しぽたぽたと水滴が落ちた。
 エドワードがさっさと飛び込もうとしていたベッドは奥の方。別に手前でもいいが、一応手前はアルのものということになっている。
 そしてその奥のベッドはさきほど清掃の人が綺麗にしてくれたはずで、皺一つない。

 ――――――――――はずだった。

  
「ああ、あがったのか、鋼の」

 なぜか、大佐の声がした。
 おかしいな、と首を傾げる。
 エドワードが今から寝ようと思っていたベッドは皺皺で、なぜか今は軍部に行っているはずの男が、手にした書類から顔を上げて、ベッドに座り込んだままエドワードを見ていた。

 そんなことは、ありえるはずがない。

「――――――――――っ!」

 意識が白くなる。
 喉に大きな石が埋め込まれて、呼吸が止まった。
 足下が泥の沼になって、大気には霧がかる。素肌を包む空気が、妙に気に障った。今まで寒気など感じなかったのに。
 力が入らない。現実として、数メートル先に人がいる。それだけのことなのに、本能が身体の全てを凍結させた。

 心臓が喉から飛び出るとは、こういうときに使うのか。
 息を飲み込もうにも、詰まった石のせいでそれもできず。蛇に睨まれたように硬直したエドワードの身体を見ている男の瞳は、今まで見たことのないもので、ぞく、と背中を悪寒が駆け抜けた。

 ……なに、その目。
 見たことない。だから瞳の中の一瞬だけ歪んだ光が、どういう意味のものかわからない。

 反射的に、すり、と左足が一歩下がる。でもその距離はせいぜい数センチ。
 なぜかそれ以上は、足が動いてくれなくて。
 頭の中の遮断機は、さっきから鳴り続けている。

 …………やだ。
 やだ、やだ、やだ。
 固まった心が、壊れたように一つの単語を吐き出す。

 ――――――――――怖い。

(続く)