Emptiness is conceived - 3(完結)
エドワードは机に懐いたまま。
己の不運と符合をひたすら呪っていた。
なんでよりにもよってこいつに会うのだ。おかしい、イーストシティからはかなり離れているはずだ。人が必死で素知らぬふりをして誤魔化していた演技がすべてお見通しだったのかと思うと、恥辱のあまり目の前で髪を弄り倒している男を、大佐だと分からないぐらい粉々にしたい衝動に駆られる。
髪の毛に触れる感触は本当に楽しげで、その自分との対比がますます怒りを煽る。
手を打ちならすのは簡単だけど、この場所がそれを押しとどめる。
とりあえず顔を上げる事はできなかった。屈辱的すぎて。
「な……」
「ん? ナタデココが食べたいか? 注文しようか?」
「誰がデザートの話をしてんだよ!」
つられて思わず机から身を起こし、にこにこと微笑む悪魔の顔を真っ正面から見る羽目に陥る。
ああ、なんて楽しそうな顔。そりゃそうだよな、こいつの頭の中では俺に対するでっかい弱みを握ったわけで。
「なんで、いつから気づいてた……」
この声で、呪いをかけてしまおうと念を込めながら呟く。
「最初からだよ」
「………、よく、分かったよな」
結構自信があったのに。
「惚れた相手ならどんな姿をしていても分かるものだよ」
「嘘付け、女だったら誰でもいいくせに」
「だったら、君なんかに声をかけたりはしないがね。いい加減信じてくれても良さそうなものだが」
「女全部を精算してからそういうこと言え」
数年前から、好き好き言われてはいるものの、その口が翌日他の女性ににこやかに笑いながら、やあ君はなんて素敵なんだ、薔薇の蕾のようだ。開花するときには私が側にいることを許してくれるかな? とか吐いてるんだから信用できるわけがない。
「精算したら、君は私とつきあってくれるのかね?」
「ぜってー嫌」
つる、と大佐の手から髪の毛が離れる。頬杖をついた男はやれやれ、と言いながらウエイトレスを呼んだ。
すたすたとやってきたのは、シルビアだ。
「――――――――――」
思わず、ぴくりと肩が揺れる。なぜか視線を合わせることが出来ず、俯いたままジュースをすする自分の向かいで大佐はコーヒーを頼むと、彼女は去っていった。
「……で?」
ウエイトレスの後ろ姿をじ、と眺めながら、促す無能。憮然とジュースを飲む俺。
「なんだよ」
「シルビアになんの用だ?」
あまりにも違和感なくさらりと言われたので、そのまま聞き流しそうになった。
ごっきゅん、とジュースを飲み込む。ちょっと背中に汗が流れた。
「さすが、……女に対しては詳しいな」
「いやあ、それほどでも」
「誉めてねえよ!」
照れてんじゃねえ、そこ!
「サイゴンだろう?」
「………ああ」
問われて、確信する。ああ、やっぱりこの話は軍部まで伝わっていたのか、と。
そうだな、賢者の石絡みではあるし、そもそもあの話自体怪しさ爆発している。ただ実害があったわけではないから、変な噂程度で収まっていると思っていた。わざわざ大佐が出てくるほどの事件性は今の段階では全くないはずで。
でも、おそらくそれだけではない何かがエドワードの知らないところであったのだろう。くそ、だったらもうちょっと考えて動けばよかった。
「大佐、これ、公私の?」
「公の方だな。最近妙な変死体達があがってね。全身消し炭の。調べたらサイゴンに行ったらしい女性だった」
「達。」
複数ということだ。
「案外君の仕業じゃないかね? はははー、とか将軍に言われたので頭に来て調査に来たというわけだ」
大佐が、ぎしり、と椅子に背をもたれさせた瞬間にコーヒーが届く。
ウエイトレスをそつのない微笑みで追い払って、大佐はカップを手に取った。
「……これを飲んだら、でようか」
「なんであんたが仕切ってんだよ!」
冗談じゃねえ、俺は今日シルビアが上がるまでこの店で見張るって、決めてるのに。
その優雅な立ち居振る舞いが気にくわない。もともと俺が一人で頑張っていたところに勝手にやってきたのはこいつだ。なぜこいつに俺の行動を決められなければならないのか。
「らしくないな、鋼の。お互い目的は違えど、サイゴンを調査するということは一緒だろう。協力するのが筋ではないか?」
「………あんたじゃなきゃな」
ぼそりと吐き捨てれば、向かいの男の形の良い眉がぴくりと動いた。
「ハボック少尉とかじゃ、駄目なのかよ」
「ほう、私と一緒に動くのは嫌だと?」
「うん」
かつん、とカップがソーサーに置かれる。うつむき加減の大佐の顔は見えない。だが、即座に立ち上る彼の背後の陽炎。彼の銘のごとき焔。
それは一瞬にしてエドワードの背骨を掴み取り、嘗め尽くした。
頬に当たる感触は確かに熱風なのに、その焔は氷のように冷たい。すべての血液がそれに巻き込まれて凍ってしまいそう。
あからさまな、隠そうともしていない怒気。普通なら身体だけでおさまるはずのそれは、こいつの場合、大気まで同化させる。
「……!」
やば、と本能が震える。怒らせた。まずい。
「わかった。じゃあ明日帰ってハボックと交替しよう。……覚悟しろよ、鋼の」
「な、なにが」
ちゃかす余裕はない。その覚悟、とやらがどれだけのものか、確認したくないほどのことであるのはわかる。
くく、と笑みがこぼれているが、それはまるでこれから世界を滅ぼそうとする悪役のような悪意に満ちたものだった。
「……次に君が司令部に来るときには、そのかわいらしい姿を東方の全員が知ってると思うがいい」
「ごめんなさいわたしがわるうございましたたいさでいいです」
立て板に水のようにさらさらと言葉が躍り出た。
やだ、本気で勘弁してくれ。そんなことされたら俺国家錬金術師やめるよ本気で。
エドワードの脳内に、軍部のいたるところに自分の哀れなスカート姿の写真が貼り付けられた想像が浮かぶ。この男は会議場の一番広い場所に特大パネルでも置きかねない。下手したら、それを中央司令部の親友のところに送りつけるかもしれない。
ぎゃー! いやー! 死ぬ! 精神的ショックで死ぬ!
想像だけで倒れそう。
顔を上げた大佐は、その額に蛇を巻き付かせたような状態でにっこり微笑むが、瞳が全然笑っていない。その上それを証明するかのごとき言葉を呟いた。
「……たいさでいいです?」
「大佐がいいですう!」
はっしと両手で奴の手を掴む。頬を汗が流れ落ちるのが分かる。心臓はばくばくして使い物になりそうもない。握りつぶされそうな恐怖とはこれのこと。
なんとかしてこいつの機嫌を取らないと俺の人生は十代で終了だ、一生の傷だ、トラウマが出来る。その予感は恥も外聞も捨て去ってくれた。
大佐は堅く握られた己の両手をびっくりしたようにしばし眺めると、ふい、と殺気をとく。
やわやわとした微笑みが、本当に嬉しそうで、なんともいえない気持ちに駆られる。さっきまで、あんなに機嫌が悪そうだったのに、一瞬にしてこの変貌。
ちょっと自分が「大佐がいい」と言っただけで。
その場しのぎの嘘だって、分かってるだろうに。
「――――――――――!」
ふいに、その掴んだ両手に触れた感触に身震いする。ほんの一瞬、奴の唇が落とされただけなのに、そこは火傷したような熱を持った。
慌てて両手を剥がす。
目を白黒させる自分に、大佐は穏やかに笑った。
「最初から、そういえばいいんだよ」
笑顔の大安売り状態の大佐が、本当に幸福を身に纏わせてこちらを見るから。
見てるこっちが恥ずかしくなるほどのそのスマイルゼロ円はなんなんだ。
「今、私たちがきっとカップルだと思われているかと思うと気分がいいね」
「へ?」
どんどん打ち鳴らされる胸の音を、手を自然に置くことでばれないようにごまかしていると、大佐が変なことを言ってきた。
「周りを見ればいい」
一番端の席にいる自分達は、こちらが意識をしない限り周りの状況が目に入ることがない。さきほどまではシルビアを見張るためにちらちら店内を見ていたが、大佐が来てからそんな余裕はなかった。
優雅にコーヒーを飲む男は放っておいて、店内に目を向ける。
「……!」
たくさんの視線と一瞬にして目があった。あった、と思った瞬間に店内の全員の目がエドワード達から一斉に逸らされる。
いや、どう見てもさっきまで見てたな、あんたら。
「……大佐」
「いちゃいちゃしてるカップルにしか見えないからな。きっと目立ってたぞ」
くら、と視界が歪む。目眩に倒れ込みそう。
俺が、こいつと? 恋人どうし? しかも。
「いちゃいちゃ?」
「いきなり女性の方がはっしと男の手を掴んで何かを呟けば、愛の告白だと思うだろうな」
ひゅう、と息が詰まった。頭の中に先ほどの光景がよぎる。違う、俺は脅迫されていたわけであって、そんなあいのこくはくなんてご立派で気持ちの悪いことをしていたわけでは全然ない。
だけど、普段の格好ならともかくこちらが女であちらが男にしか見えない状態ではそう思われるのも仕方ないかもしれないわけで。
でも、でもでも。
「そ、それは、あんたが!」
「私は何もしてないよ?」
たしかに、してない。
自分が勝手にこいつの手を握っただけ。
結局からかわれているのだ、最初からずっと。
………泣きたい。
もうやだ、くそう。
どう考えてもこの格好な時点でこっちが不利なんだ。戦いを挑んでも勝てる気がしない。さっきから連戦連敗じゃないか。
「だから、言ってるだろう。ここを出よう、と。彼女には明日も会える」
周りに人がいない方が、君も普通に話せるだろう。と言葉を紡がれて、さすがに肩を落とした。
今日中の解決は諦めよう。たしかに、大佐と情報を交換しあって明日動く方がいいのだろう。認めたくないけど。
本当に泣きそうな表情で、俯く自分の姿に、ぽりぽりと大佐は頭を掻く。
「実は……、私もこのままここで話してると、浮かれて何を言い出すかわからなくて」
「?」
見上げた大佐の頬は、こころなしかピンク色だった。
「ほんとに君と恋人で、しかもデートしてるみたいでな。周りの人たちが私達を恋人同士だと思っているのが分かるから、ますます嬉しくなって、……このままだとキスしてしまいそうに…」
「――――――――――出よう、大佐」
反応は素早かった。
一瞬にして荷物を掴むと立ち上がる。
大佐は先ほどまでの余裕を突然失い、あうあう、と変な声を出した。
「鋼の。……そんなに嫌かね」
「あたりまえだろ! ほら、出るぞ無能」
レシートをひっつかみ、ブーツをカツカツ鳴らしながら競歩の速度で逃げ去る。
冗談じゃない、本気でやられかねん。なんだあの照れた顔。気持ち悪いんだよ、いい年こいて照れてるんじゃないっつうの。
さっきまで人を散々こきおろして壁際に追い詰めて高笑いしてたくせに、どうして突然あんな風に、あんなささいなことで喜ぶのだ。
まるで本気で好きみたいじゃないか。
ああ、やだ、きっと顔が赤い。
でも、あのたらしのテクニックは覚えておこうと思った。
いつか役に立つことがあるかもしれないから。
(続く)
