Emptiness is conceived - 17(完結)
二回目の面談。
前回のことがあったので、かなり心の準備をしてきたつもりだ。
何を言われても驚いたりする物かと心で一回頷いて、診察室の扉を開ける。
電話を切ったばかりらしい男は、エドワードの顔も見ずにそこにかけて、と言い放って書類に目を通していた。
荷物を籠に入れて座って待つ。
今回の面談を通ればあの教祖様に会えるのかと思えば、さすがに緊張した。
機械鎧を普通の手足に出来る、というのが本当かどうか、やっぱり気になったし。
エドワードの胸を占めているのはこの男の「実際に治したのを見た」という発言だ。その辺の話を本当はもう少し聞いてみたい気もする。
でもそんなに焦らなくても教祖に会えれば問題ないのだから聞くこともないよなと相反する気持ちがそわそわと身の内で泳いでいた。
ことりとペンを机の上に置く音が響いて、はっとエドワードは思考の手慰みから抜け出す。
「はい、こんにちは」
「こ、こんにちは」
いきなりぺこりとおじぎをされて、反射的に返す。
やっぱり、何回見ても男はやる気がなさそうで、目に力もないように見える。
どう考えても前回最後にあんな台詞を吐いたようには思えなかった。
緊張をほぐすような態度は自然なもので、演技ではない。だからついつい話している内に安心してしまう。そしてほっと息を吐いた頃にデリカシーの欠片もない台詞を吐くのだ。
傷ついた女性は今までも多かったのでは無かろうか。ある意味嘘のつけない性格かもしれないが、その穏和な顔であっさりと、女性のコンプレックスを平気で抉る発言をしてきたのだろう。
「結論から言いますと、教祖様から許可が出ました」
「ほ、ほんとですか!?」
この時ばかりは、演技も消えて、思わず椅子から立ち上がった。
腰を上げて、興奮してしまったことに気がつき、すとん、とまた座る。
「よかったですねえ」
本当に嬉しそうに微笑まれて、うっと詰まった。
いかん、いい人と錯覚しそうになる。
教祖様なんぞに爪の垢ほども好意は抱いていないが、賢者の石に近づけるのは嬉しい。そのはずだが、まるで教祖に会えるのが嬉しいみたいで複雑な気分になる。
(いや、教祖に会えるのが嬉しいから間違ってないのか、でも、俺の目的は賢者の石で、その為には教祖に会えなきゃいけなくて、やっぱり嬉しくて)
「………」
わけがわからなくなってきた。
「ところでね、教祖様に会う前に、この前聞かなかった何個かの質問があるんだけど答えて貰っていいですかね?」
「あ、はいはい、なんでも」
多分自分の顔は今にっこにっこしているのだろう。
顔が緩んで仕方ないと自分でも思っている。ぐりぐりと頬の筋肉を掌で動かしながら、エドワードは微笑んだ。
だって、嬉しいのだから仕方ない。小躍りしたいくらいだ。
かなり今回の件は信憑性が高い。今まで出会った様々な賢者の石情報のなかで一番真実に高い、気がする。
そうして裏切られ続けてきたので、過度な期待をするのは禁物だと分かってはいるが、今回ばかりはここまでくる苦労も大きかっただけに、ついわくわくしてしまう。
相対している男は、そのエドワードの喜びぶりが目に見えて分かったらしく、よかったですねえ、と優しく頬を緩ませた。
なんだろうこの和やかムードは。
前回が嘘のようだ。
二人してほやー、と顔を見合わせて笑っていると、男はその笑みを絶やさぬままエドワードに聞いた。
「じゃあまず一個目聞きますね。初潮はもう来ました?」
「……………」
文字通り、凍り付いた。
奇妙な笑みを浮かべたまま、体感温度は零度以下に落ちた。
「……へ?」
「だから、初潮来ました? アナタぐらいの年齢なら来てると思いますが」
「………………」
うわあ。聞き間違いじゃなかった。
男の笑みは変化がない。こちらだけ、いきなり氷付けの標本状態だ。
あれだけ最初は気をつけていたのに、教祖に会えるよの一言で最初の緊張は地面の下にめり込んでいたのだ。綺麗さっぱり忘れていた。
成長のない自分に呪いをかけたくなる。
「いっときますが、必要だから聞いてるんですよ?」
首を傾げて怪訝そうに言われたが、問題なのはそこじゃない。
なんで必要なのかと、そっちの方だろう。
だが、聞いても無意味だ。理由がセクハラだろうがなんだろうが、自分は必ず教祖に会わなければならないのだから。
「……きてません」
なんだか屈辱感を覚えながらも、言い切った。
男はペンを走らせる手を止めて、怪訝そうにエドワードを見た。
「え? 本当ですか? 君……もう16……でしたっけ?」
ぱらぱらとカルテらしきものをめくる男。やっぱり相当珍しいらしい。
「はあ。何故か来ないんです。旅生活だし、不規則な食事や生活してるからかなとは思うんですけど」
実際は、俺は偽者女性なので、来ないのではないかという気がする。
年頃になって胸も尻も出てきたが、中身まではどうなのか。医者ではないから分からないし、父がどんな風に作り替えたのか、俺は知らないのだ。
だから来なくても気にしたことはないし、正直そんなものがあったら旅がしづらくて困るので、無くてありがたいと思っている。
「はあ、それは……大変ですねえ」
男は同情するように呟いてくれたが、その同情は間違っている。
来た方が俺には大変だ。落ちこんで三日ぐらいベッドで寝込む気がする。
だがそれは秘めておくべき事なので、そうなんですよ、とせいぜい寂しげに呟いてみた。
「じゃあ、次なんですけど」
まだあるのか、と身を固めた。
だが、どうせろくな質問じゃないだろうな、と何を聞かれるか少し想像してみる。
「彼氏がいるんですよね?」
「………」
さきほどよりはましな質問で驚いた。
すぐこくこくと頷く。
一応そういう設定になっているので、頷かなければならないだろう。
脳裏にぽん、といけ好かない黒髪の男の顔が浮かんで、頬が染まった。
(う………)
演技だと分かっているのに、なんかほんとみたいで恥ずかしい。
男は自分のことを好きだ好きだと前から言ってくるし、先日こちらも気がついてしまったし。
こちらが大佐にYesというだけで、嘘から出た誠になってしまうのだ。
なのに、幸福なはずのその想像は何故かエドワードの脳髄を軽く何度か叩いて、目が回った。
(……いえない、けど)
本気で、男だと信じているあいつに、ごめんなさいと白状したらどうなるんだろう。
呆れて後見人を降りると言い出すかも知れないし、侮辱されたと怒って口も聞いてくれなくなるかも知れない。
好きだと言われている今の状況を、エドワードはずるいと思いつつ喜んでいる。
未来に、彼が他の人を好きになって、エドワードに好きだという言葉を伝えなくなることがあるかもしれない。そして俺は、その日を待ちながら来て欲しくないと思っている。
きっとよかったと思う以上に寂寥感に駆られて一人泣くのだろう。
――卑怯だと思う。
男の愛情に甘えているのだ。勇気がなくて、ほんとのことも言えないくせに。
愛しているのかと聞かれたら、上手く答えられない。
そのくせ、じゃあどうしたいのかと聞かれたら、抱きしめて欲しい、と願ってしまうと思う。
抱きしめられるのは諸刃の剣だ。
前回ああして、胸に触られる羽目になった。男がいつかそのエドワードの胸が偽者ではないと気がついてしまったら終わる。胸に限らず、いつまでたっても成長しない身体や、男にしてはあまりにもついてない筋肉や丸みを帯びつつある体型を認識されたら、アウトだ。
本来なら指一本触れさせてはいけないはずなのに、それを願う。
理性と本能は、よく矛盾する。どちらか一方しか人の身が持たなければ楽だろうに。
ああでも、人は理性があるから人なのだ。だとすれば、やはり従うべきは理性なのか。
「……ほんとに好きなんですねぇ」
「うぇ?!」
いきなり振ってきた声に、裏返った声が出た。
は、と気がつけば男は呆れたような、からかうような表情でエドワードを見ていて、温度が上がる。
「顔見てれば分かりますよ、年の離れた恋人だと聞きましたが、好きなんですねぇ」
「ち、違………!」
大慌てで首を振る。
本来ならば頷かないといけないのだろうが、嘘でもそれはできない。
やばい。自分でもだんだん熱が上がっていくのが分かる。
恥ずかしすぎて穴があったら入りたいとは昔の人はいいことを言った物だ。
頬が熱くて、鋼の手を当てた。
冷たい金属の感触に少しだけ理性が戻ってくる。
なんだかいたたまれない。
「違うって言ってもそんなに真っ赤になって言われても信憑性ないですよ」
かわいいですねえ、と重ねて言われてもう床に座り込んでしまいたくなる。
どうも喋れば喋るほど墓穴のようだ。
泣きそうになって、俯いた。
……なんだ、これ……!
なんなんだ、この恋する乙女みたいな仕草は。この、俺が!
とかく恋愛とは不思議だ、自分が此処まで乱れることがあるなんて想像もしていなかった。
「そんな、可愛いエドワードさんに質問なんですが」
「あ、はいはい」
すっかり忘れていた質問の再開に、少し落ち着いた顔を上げた。
「処女ですか?」
「――――――――――」
今度こそ、本当に。
エドワードの表情は凍り付いた。
(続く)
