Emptiness is conceived - 28(完結)
フェルテンが言ったのは意外すぎる言葉だった。
「赤い大きな石があるんだけどそれを見てくれないかな」
なんて、たいして身構えるまでもない願い。
赤い石。
それが欲しくてここまで来たのだ。断る理由などあるわけがない。二つ返事で承諾する。
奥の扉を出て、男について歩いた。
扉を出ると、そこは複雑に入り組んだ通路だった。
フェルテンは身長が高いせいで歩幅が大きい。エドワードはかなり駆け足でついていかなければならなかった。
右へ曲り左へ曲がりとかなりの距離を歩かされる。
ここは地下のようだが、一体サイゴンは地下にどれだけ根を張っているのだろう。扉も何個かあったが、すべて閉まっているので中の様子はうかがい知れない。
時折、従業員らしき人とすれ違った。
フェルテンを見てぺこりと礼をする。ほてほてと着いていくエドワードにも一礼をしてきた。
全員が男性だった。女性はエドワード以外には見つけられず、じわじわと不安が浸食してくる。
エドワードを見ても驚かないと言うことは、彼らはこうして連れてこられる女性達を教祖が連れて歩く光景に慣れているってことだ。
だが、そもそも、なぜ従業員が必要なのか。
願いを叶えるだけならば人は不要だ。ここに教祖が住んでいるのだとしても、お手伝いは数人で済むはずだ。
そして、この長い通路。
歩数を数えているが、自分の足幅からいって、もう百メートル以上は歩いている。通路は細く、多量の人間がなだれ込むには向かない。エドワードが両手を伸ばしたら、その手の先が通路の壁に着くくらいだ。
どちらかというと研究所のようだ。
無機質な扉が並んでいるがその扉は全て閉ざされている。部屋に番号もないので何の部屋かも分からない。
女性を安心させるような配慮はどこにもない。おそらくここまで連れてきた時点で、そんな配慮は不要になるのだ。籠の中の鳥に対して、機嫌を取る必要はないということか。
(……どこから逃げよう)
着いていく間も、エドワードは視線を左右に彷徨わせて、ぬかりなく突破口となりそうな箇所を探す。
最初に来た道は確実に閉ざされているであろう。まさかあれ以外に入り口がないということはあるまい。なければアウトだが。
だが実際自由にこの地下を歩き回らせて貰えない以上、己の感である程度ルートを作るしかないのだ。
「……ここだよ」
「……わ!」
前をろくに見ていなかったエドワードは男が立ち止まったのに一瞬気がつかなかった。
思い切りどしんと背中にぶつかって、鼻が押される。
いたたた、と鼻を撫でているとフェルテンはドアノブに手を掛けたまま、呆れた顔でこちらを見た。
「前はきちんと見ないと転ぶよ」
「……すみません……」
これが大佐だったらうるせーばか、と怒鳴り返すがそうもいかず素直に謝るエドワードに、フェルテンはくすりと微笑んだ。
年相応の穏やかな笑みには、先程のような不穏な気配は見受けられない。少し息を吐いたエドワードの目の前で、待ち望んだ扉がゆっくりと開いていった。
『泉の中の赤い石』
ただのオブジェである可能性は高かった。
今までの経験上、ここまで苦労しながら空振りなんだろうな、と妙な諦めまで持っていた。
『温泉の真ん中に立つ台座。中心に置いてあるらしい赤い石。大きさは縦1m横50cm』
『教祖様が台座に手を触れると泉は赤く光り、すべての不安は解消され、病気は治る、それこそ奇跡の魅技』
それが、誇張された物であり、実際に見たらがっくりと肩を落とすような事はもう、数え切れないほどで。
――だけど。
今、目の前にあるのは、エドワード達が聞いた光景そのままだった。
扉から一歩踏みいったところで立ちつくす。
地下の、ドーム状の空間は直径50mほどの円形の部屋だった。
その円形の中心部分には部屋の半分ほどの大きさの正円の湖がある。水の色は青を通り越して透明で、その湖面からは湯気が上がっていた。
(……温泉)
噂できいた通りだ。地下から沸き上がっているのか、水ではなくこれはお湯らしい。温泉特有の硫黄の匂いはしないが、たしかにこの状況を見たならば、普通の人ならば温泉と判断するだろう。
視線を向けるのに時間がかかったのは、これは自分の願望そのもので、目を向ければ蜃気楼みたいに消えるのではないかと馬鹿な妄想をしてしまったからだ。
己の心臓が喧しく騒ぐ。期待と不安が鼓動を早めて、喉まで血流が迫り上がってきそうになった。
『縦1m横50cm』
大げさな、と笑ったものだ。あり得るはずがない。そんな大きな賢者の石など。
だが、泉の中央に島はあり、島の真ん中には大理石作りの台にはめ込まれるように赤い石が鎮座していた。
巨大すぎる石から漏れる赤い光は、部屋の端の地面にまで到達している。床は、この部屋だけただの土だった。つまりこの部屋より下にはもう部屋はない。完全に人工で作り込まれた物だった他の部屋とは、意味合いも役目も違う部屋なのだということが、それだけでも充分に読み取れる。
輝きは血の色を連想させるほど赤い、ガラスのような石だった。削り取られた加工のしてあるものなら、巨大な宝石と思ったかも知れないが、まるで原石をそのまま置き場所に困ってどかんと転がしたような歪な石だ。
本物かもしれない。
石を追い求めて数年。
それに近いことは何度も考えて、そして裏切られた。
でも今度こそ、今度こそ最後かもしれない。教祖は手足を治すといった。あれが賢者の石ならば、可能だ。
エドワードが聞いた数々の奇跡も、詐欺やホラでなく、真実かもしれない。
秒速で早まる心臓と、頭脳が弾き出す確率計算に、エドワードはすっかり捕らわれていた。
だから、思いもしなかったのだ。
何故、フェルテンが石を見てくれ、などと言ったのかという事なんて。
男は、凍えるような瞳で、隣に立つエドワードを見ている。
その瞳の中の冷酷な気配に、常のエドワードなら絶対に気がついていたはずなのに。
フェルテンは茫然と立ちつくすエドワードの機械鎧の手首をあっさりと掴んだ。
すっかり石に魅入っていたエドワードは掴まれた手首を見て、やっと隣に教祖がいたことを思い出す。
「……え?」
長針の男は隣に立っていて、見上げるエドワードに対して何の感慨も抱かせないような無表情で、口に手を当てた。
「……腕は、邪魔だなあ」
「――――っあ!」
みし、と嫌な音がした。
腕の先から一瞬にして、気持ちの悪い音と雷撃のような痛みが突進してくる。みちみちと、嫌な音を立てる機械鎧。神経ごとフェルテンが引っ張っているせいだ。
突然の事で、頭は狼狽えて現状を理解しようと試みた。
さっきまでのほほん、とした風情でここまでエドワードを促していた教祖は、今はガラス玉みたいに感情のない顔で、黙って右腕を捻り取ろうとしている。
なんで……?!
激痛をはじき飛ばしながら、エドワードは混乱のまま隣の男を見上げた。
殺気があるのならまだいい。だがこの男には何もない。
怒りもない、愉悦もない。
ただ、機械のように無慈悲だった。
瞳の中には歯車があるのではないだろうか。こいつはもし今、背後から斧で真っ二つにされたとしても眉一つ動かさずにエドワードを捻じ切る。
エドワードにとっては危険で異常な事が、こいつにとっては普通なんだ。だったら、絶望的に救いはない。情に訴えるだけ、時間の無駄だ。
反応として出てくる涙を堪えながら、無事な左手を伸ばして止めようとする。だが、あっさりとその手首を掴まれて阻まれた。
その間も、接合部の悲鳴はどんどん大きくなり、喉から空気の固まりが悲鳴として押し出された。
「あ、ああああ……!」
みしみしと捻り上げられた腕はあり得ない方向に曲がる。人間の腕ならば、とうの昔に折れている。なんとか抵抗している健気なウィンリィの機械鎧が、もげる、と直感した数秒後には身体から毟り取られた。
バチン、とゴムが飛んでいったかのような音。ぼとぼとと落ちていく何かの部品達。
鼓動を止めてしまいそうなほどの激痛が心臓を突き破る。
機械鎧を破壊されたことはあれど、繋がった神経ごとむしり取られたのは初めてだ。身体の中の神経が直接弄られ踏み潰されるような痛みに、吐き気が襲って来る。
「う……」
突然のことで何が何だか分からない。
なんでこんな事になっているんだろうと思いながらも、腕を失い、突然の痛みに狼狽えた足は勝手に地面にくずおれた。
片腕を慌てて地面で支えたエドワードが荒い息を吐くのに、男はその正面に平然と座り込む。
睨み付けようにも、首一つ動かなかった。
あと数十秒もすれば身体も少しは自由になるだろうに、じんじんとした痺れが力を奪い取っていく。
完全に気を抜いていた己の失態に歯がみする。
腕を奪われたのは大きな戦力ダウンだ。なにせ錬成できない。
逃げるつもりも、腕があったという前提な訳で。
この細い腕のどこにそれだけの力があったのか、フェルテンは息をつくエドワードの肩をどん、と押した。
床に尻餅をつきそうになるのを必死に堪えて、睨み付けようとすれば、今度は機械鎧の足を掴まれる。
「――――――――――!」
瞬時に悟る。
さっきが腕なら今度は。
「……足も邪魔」
ぽつりと呟かれた何よりも残酷な宣言に息を飲んだ瞬間に、抱えきれないほどの激痛が心臓を食い破った。
(続く)
