Emptiness is conceived - 15(完結)
最近は一緒にご飯を食べることに抵抗がなくなってきていることに気がついて、なんだかがっくりする。
見送られながら宿を出て、大佐と一緒に夜道を歩きながら、何も言わずについて歩いた。
エドワードが何も考えずぼんやりしていても、男に付いていけばいつも美味しい店が待っている。
いつもなら率先して前を歩くエドワードもうまい食事にありつけるなら、といつも男の後ろを歩くのだ。
つくづく、どこで美味しい店を覚えるのか。きっとその辺の通りすがりの女性達から情報を仕入れているのだろうと思うと、なんだかその膝を蹴り上げてやりたくなる。
10分も歩かされただろうか。
別に1時間歩いても辛くはないが、エドワード自体あまり好きではないこのひらひらすーすーするスカートでは、正直さっさとどこか人目のないところに行きたい。
それでなくても大佐と一緒だと周囲の人の視線が痛いのだ。じろじろ見られている気がするのはおそらく気のせいではない。
「うわ!」
橋の上、ぴたりと立ち止まった男にぶつかる。
あまりにも唐突で、気がついたときには突進していた。
くるりと振り返った男は、鼻を押さえたエドワードに真剣な眼差しを落としていて。
「もー、なんだよ、大佐、急に……」
「――――なにがあった?」
先ほどまでとは違う、切羽詰まった声で問うてきた。
そこで、エドワードの歯車は止まり。
「え……?」
思わず、見上げて男の背後にそびえる月輪に断罪された錯覚に陥る。
そのくらい、男の表情が薄光に隠れて見えなかったとしても、大佐の声色には有無を言わせない強制力があった。
「なにって」
失敗した。
エドワードはそう悟る。
あの時、自分はこんなに怯えを含んだ声で大佐を見上げてはいけなかったのだ。
いつもどおりにふてぶてしそうに、は? と言わなければならなかった。
最初の失敗は、たいてい取り返しが付かない。
いや、ある程度は誤魔化せるだろうが、この男には通用しないだろう。その証拠にもう、肩を掴まれ、エドワードは逃走を塞がれていた。
「鋼の、なにかあったんだろう」
「……なん、でそんな」
ダメ、ダメだ。こんないい方ではなにかありました、と言ってるような物だ。
男の声はエドワードをこれ以上怯えさせないようにか、優しい。けれどそこには圧倒的な強制力が籠もっている。
すなわち、言え、と。
なにかあったのかと問うようでいて、大佐の頭の中ではすでにエドワードになにがあったのか言いなさいと脅迫しているに等しい。
だいたい、なんで分かるんだ。俺はあの時普通に振る舞ったつもりで。
多分アルフォンスだって騙せている。大佐だってあの時は俺に何一つ聞こうとしなかったから、ばれてないんだと思っていたのだ。こんな微かな動揺など。
「……あまり私を馬鹿にするな。部下を一人敵地に送り出してきた事など何度だってある。帰ってきたその人間が、普通に任務をこなしてきたか、精神的にダメージを受けていないか、寝返っていないか、判断するのには慣れている」
独り言だと思った言葉は漏れていたらしい。男はとても、司令官らしい言葉を吐いた。
それは、すなわち。
大佐にとって、エドワードは敵地に送り出した部下でしかあり得ず。
なにがあったと聞くのは、自分の任務に支障をきたすかも知れない原因を突き止めたいからだけにしかならない。
即座に、身体中の血流が、いきなり零度以下に落ちた。
「……違うから」
大佐はエドワードの強張った頬に手を伸ばす。
「違う、鋼の。そうじゃない、私は君が心配なだけだ」
言葉が、堰を叩く水流になって流れ込んできた。耐えていた物を、それが壊そうとする。
ここまで読まれてしまっているのなら、もう、……泣いてしまってもいいんじゃないのか、と囁く声がある。
一人で知らない振りをしても、男はエドワードを連れ出し、部下扱いに一瞬ショックを受けた事を察して、こうして宥める。
ここまでされているってことは、もう。
気がついてるんじゃないの?
とっくの、昔に、俺が、大佐を――――
眼球の奥に、じわりと水分が溜まり始めた。
ああ、まずい。これがその瞳から逃げ出すと、男に気づかれる。でも、瞳を閉じればそれはきっと溢れ出て、顔を逸らせばその衝撃で漏れる。俯けば地面に落ちるし、逃げたくたってその肩は掴まれている。
……逃げられないのだ、結局。この男から、自分は。
エドワードが選んだのは、黙って目を開き続けることだけだった。
どれを選んでも同じ。硬直したように動かない少女の瞳からは結局涙が漏れて、頬に当てられたロイの手を濡らす。
「……鋼の」
見ていられないのか、男はエドワードを抱き込んだ。
それでみっともない水分は男の服に浸透して、安心してエドワードは瞳を閉じる。
「なにもなかったなんて、嘘だな」
もう、それは確信の声。
気がついても気がつかない振りをしてくれればよかった。
先ほどのホテルでのやりとりですっかり安心していたエドワードに、あんなタイミングで声を掛けるのは反則だ。
戦いを熟知している男だからなのか、一戦交えた後の安息の時にこそ、奇襲は効果を発すると知っていたのかも知れない。
深夜の橋の上で、一人の男が小さい子供を抱きしめて。
恋人同士だと誤解されるかも知れないと思った。
そんな誤解、この町に来てから何度も受けている。あのサイゴンだってそう思いこんでいる。今更、なのだ。
それに俺は、もしかしたら、それを誤解にしたくないのかもしれない。
でも、まだそこまで考えるには時間が掛かりそうで、エドワードはその思考は蹴り飛ばす。
「身体を触られたのか?」
そんなの、男なんだから平気だろうとか言っていた筈の大佐が、なぜか少し躊躇いながら発した言葉には、ある意味驚いた。
そんなことをされて俺が泣くと、本気で思っているのだろうか。少女じゃあるまいし。
ちりちりと、こめかみの後から痒みを伴った否定の声。
(……なに、言ってるんだ、俺)
少女じゃないか。女じゃないか。
あんなことで、あの程度のことで、こんなに見えない鉛を食らって動きが鈍って泣くくらい、自分は弱った女だった。
「……なにもされてない」
それは本当。本当だったので、首を振る。
「嘘をつくな」
だが大佐は認めようとしなかった。ますますぎゅうとエドワードの身体を囲い込む。
みちみちと締め上げるようなこの力は、大佐の怒りだ。
正直に言わないエドワードへの。
「違う、本当。本当に指一本触れられてない。服は脱げって言われたけど、それは本当に機械鎧の調子を見るためで、大佐が思ってるような事じゃ」
「では、なぜ……」
なぜ、きみはそんな、泣いたりするのだと。
大佐の声は戸惑った物に変化した。
呼応して込められた力が緩む。
……何故って?
そんなの、俺の方が聞きたいくらい。
俺だって、まさかあんなことでこんなにショックを受けるなんて、押しつぶされたようになるなんて、思っても見なかったのだ。
呼吸が苦しい。
身体が震える。俺は今、恐怖していて、その恐怖する理由に気がついているのだ。
『気持ち悪い』
――――――――――弾けた。
(続く)
