黒の祭壇

黒の祭壇

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Emptiness is conceived - 32(完結)

 意識が覚醒に向かって動き始めて、エドワードはぼんやりとした視界がクリアになるまで暫くそうしていた。
 天井は白かった。
 ぼんやりと、染みのある天上を眺めているだけでも己の状態がだんだんと理解できてくる。
 とにかく、ここはベッドの上らしい。
 なんだかふかふかの布団が自分の下にある。天上との高さ、趣味の悪い天蓋からいって高級なベッドだろう。
 瞼がばしばしする。泣き疲れたらしい。泣いた記憶はあまりないが、痛みのあまりに寝ながら泣いていたのだろうか。
 お腹は痛くない。
 そっと撫でてみるが、傷がつけられたわけでもなく、今までのままだった。
 とりあえずすぐに殺されるわけではないらしい。いや、それどころか何があってもエドワードが二十歳になるまでは生かすだろう。二十歳で賢者の石が完成する、というフェルテンの言葉が真実なら。
 ああ、やっとその辺のことを考えられるくらいには、頭がしゃっきりしてきた。

 ゆっくり起き上がると、ぎしりとベッドが泣いた。
 部屋は20平米ぐらいだろうか。
 ベッド、ソファー、そしてテーブルと暖炉。クローゼットに箪笥もある。
 トイレも着いているし風呂もあるようだ。
 つまりはこの部屋に食料さえ持ち込まれれば、いつまでも生活できるということだ。
 服は着せ替えられていた。
 といっても上からすっぽり被るだけの患者着だから動きやすい。パンツもブラも脱がされているのは気になったが、妙なことをされたわけではないのは身体の状態からしても分かる。
 そもそも着替えさせたのはすれ違った部下達という可能性だってあるわけで。
「とりあえず、軟禁か……」
 ぼりぼりと頭を掻く。
 泣いて、寝て。さすがにすっきりとしてきた。
 起きたときに部屋に一人というのも気が利いている。おかげで冷静に物事を考える時間がありそうだった。
 お茶か水がないかなと見渡せばベッドサイドのボードに水が置いてあった。気が利くもんだ。
 毒が入っているはずもないので、そのまま口をつけて含む。
 食道を水が滑り落ちていくのがはっきりと分かった。
 それだけのことで狼狽えていた心まで一緒に洗い流してくれるようだ。
 全てが至れり尽くせりの部屋。二十歳まではエドワードはそう扱われるのだろう。中身が実験動物と同じでも、だ。
 死んで貰っては困る実験動物。そして失敗すれば、次に結果が出るのは二十年後。そりゃ慎重にもなる。自殺でもされては困るわけで、せめて環境を素晴らしい物にと考えるのは当然だ。
 腹をさする。
「……あの、くそ親父……!」
 どうせ腹にこんなものを入れたのはあの男以外に考えられない。男で生活しろと言ったのも、女ならば子宮に石があるとばれる可能性が高いからだ。
 親父は、この石の実験場所が欲しいが為にわざわざ息子の身体を娘に弄くったのだ。人の身体をなんだと思ってやがるのだ。
 昔、青い鳥という童話で、最後は自分の横に鳥がいました、というオチがあったがまさにそれと一緒だ。
 探し求めた賢者の石は、俺が持ってました。産まれたときから。

「…………」

 ばたん、とベッドに再度倒れ込む。
 なんて虚しい。
 二十になれば、自分の腹をかっ捌いて石を取り出し、アルフォンスを錬成しなおせばいいだけだ。あと数年アルフォンスが我慢してくれさえすれば、弟の身体は元に戻る。
 アルフォンスは泣くかもしれないが、別に弟が元に戻ればどうでもいい。
(……大佐)
 は、泣くかな。
 泣かねえよな。あと数年経ったらとっとと諦めて他の綺麗なお姉ちゃんと遊んでるよな、きっと。
 そうして欲しいはずなのに、胸が痛んだ。
「……たいさ?」
 すっかり忘れていたあるものを思い出す。
 左手を慌てて見たが、そこにあるべき『もの』はなかった。
「うわ………やべえ……」
 男が絶対に外すなと言った指輪が消えている。
 慌てて枕をめくったがない。
 シーツをひっくり返して、そのまま床をうろうろと歩いた。
 箪笥の奥にでも隠れてないかと床に這い蹲って眺めたがない。
「……うげー」

 何もはまっていない左の薬指。
 そして信じられないことに白い右腕。
 両手に白しか見えないなんて何年ぶりだろう。
 本来ならばココに指輪が填っているはずなのだが。
 逃げるだけなら簡単だが、指輪を探すとなると大変だ。
 落としたと思いたいところだが、おそらくフェルテン達が取り上げたのだろう。
 困ったら呼べと言われているが呼ぶアイテムが手元になければ意味がない。
 入った時に落ちたのかな、と入り口近くまで歩いていって、足が滑った。
 床のワックスが効き過ぎなのか、エドワードが汗を掻いたのか、つるん、と指先が跳ねて腹から床に直撃する。
「いて!」
 ごちん、と鼻が床で踏まれて、鎖がしゃらしゃらと音を立てた。
「あいたたた……」
 鼻を押さえながら立ち上がる。
「うーん……」
 上半身だけ起こして、さっきから見えていたがあえて気のせいだと思いこもうとしていた左の足首を眺めた。
 数年ぶりに見た己の左足は、帰ってきたばっかりだというのに無骨な鎖を足輪にされている。憐れなことに。
 足首を動かすと、じゃりじゃりと蛇みたいに床を這う鎖は、ベッドの後ろの壁から繋がっているらしい。
 長さがあるので取るのは後だ、と思っていたがやっぱり絶妙に扉には届かない長さに設定してあるようだ。まごう事なき虜囚の証。
「やっぱ、とりあえずは外すか」
 鎖をつけたままで歩き回っていたのは、突然部屋に誰かが入ってきた時に逃げようとしているのを悟られては困るからだ。
 だが指輪を探す間ぐらいは構わないだろう。フェルテンの発言からいって、サイゴンが大佐の言ってる連続殺人集団であることは確定だ。
 本当なら、その証拠を見つけられればよいのだろうが……それにしても指輪がないと、ちょっとまずい気もする。

 ぱん、と手を叩いて身体を一つの大きい円にする。
 力を全身に巡らせ、頭の中にイメージを描く。鎖の成分と、それを分解するために必要は方程式。自分自身を式とする作業は嫌いではない。全が一で一が全、だという錬金術の、いや世界の理を一番実感できる瞬間だからだ。
 頭の中のイメージどおりに、両手を鎖に押しつける。
 いつもなら軽い錬成光が発せられて、思わず目を閉じることもある。そして分解された鎖を見て、やれやれと息を吐くはずなのに。
 ――錬成は失敗した。

「……あれ?」
 ぺん、と今度は軽く両手を叩いて、もう一度試す。
 変化はない。
「……」
 少しだけ、血の気が引いてきた。
 これは、ひょっとして、ひょっとすると。
 再度ぱちん、と手を叩いて、今度はベッドのシーツを錬成し直そうとした。だがシーツは相変わらずシーツのままだ。
「――まじ、かよ……」
 頭の中がどうするんだよとやかましい。
 なんでなんでと喋っているが、しらねえよそんなの。
 ただ、原因は……おそらく俺の腹の中か、あそこのでかい石のせいだ。
 へたへたと床に座り込む。
 じっと両手を見たら、いつもどおりの掌なのに。

 エドワードの錬金術は、作動しなかった。

(続く)