黒の祭壇

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Emptiness is conceived - 29(完結)

 そういえば。
 アルフォンスを錬成した代償に足と腕を持って行かれたとき、こんな痛みだったなと思い出す。
 ――だとしたら。
 気絶なんかしているわけにはいかない、と断絶しそうな意識を必死で繋ぎ合わせる。
 片手片足をもぎ取られた状態では起き上がることすらままならない。
 今なら指一本で殺されるだろう。

「じゃあ、約束を果たそうか」

 ぽい、と放り投げられた俺の手足が湖にぼちゃんと落ちる音がする。
 故意だろうか、あんなところに落とされては、潜らないと取りに行けない。ただでさえ泳ぐことも出来ないこの身体でか。
 なにげに絶対絶命のピンチになりそうな気配が濃厚だが、心で負けると本当に敗北しかない。
 接合部の神経はむき出しで、吐き出しそうな痛みをエドワードの脳髄に伝えてくる。
 残った膝と肘を突いて起き上がろうとすれば、そっとフェルテンの手がむしり取られた腕の結合部に添えられた。
「………?」
 男の行動の意味が分からない。だいたい腕と足を取る必要も分からないというのに、そこで苦しむ俺に対して一体何をするつもりなのだろう。
 怪訝そうに見上げたエドワードにフェルテンは苦笑して謝った。
「ごめんね……機械鎧は、邪魔だから」
「何するつも……」
 最後まで言う前に、視界を光が埋め尽くした。

 先程までの激痛とは違ういやに生々しく生物的な不快感。身体の中の栄養分がすべて腕の先に押しながらされていく。
「ぐ、……あ……っ!」
 失われた腕と足の先に、小さな蟻が群がって楽しそうに毟り取っていくようなちりちりとした痒み。
 表層はそのまま、筋肉や脂肪のみを搾り取られていく気分。
 身体の中にホースを突っ込まれて吸われたらこうなるのではなかろうか。
 男の手が腕に触れている。搾り取られていくエドワードの中の内臓達は全てその場所に向かって収束していく。

 ――気持ち悪い。

 ただひたすらに不快、嫌悪。
 相性の合わない薬を詰め込まれた実験動物。身体が全身で拒否という。
 痛みはなく、気色の悪さばかりが増殖して身体を埋め尽くしそうだ。
 何が起こっているのか確認しようにも、光が強すぎて目も開けていられない。フェルテンはそこにいるのか。それすらも分からない。
 血管から喉元まで嘔吐感が走って、手足に焼きごてを押しつけられたような熱が籠もる。
 体中を啄まれて、このままただの肉塊になりそう。
「くそ……!」
 それでも、となんとか瞳を開けても、太陽より強力な光線は勝手に瞼を閉じさせる。
 耐えきれなくなった脳髄が、停止を命令していくのが分かった。
 支障のない気管から、バチンバチンと時を止めていく。
(まず……!)
 こんなところで気を失ったら、何があるか分からない。なのに、貧弱な意識は本能には勝てないようで。
「てめ……!何しやがる……!!」
 つぎはぎだった意識が、完全に途絶え始めていくのを知覚しながら、エドワードは一言悔しまぎれに吐き捨てた。

 微かな痛みで目を覚ます。
 針が刺したような微痛は、先程もぎ取られた右腕と左足からした。
 なぜか瓦礫の下に埋まったときのように、手足の感覚が曖昧だ。
「………?」
 目を覚ましたときに見えたのは空ではなく、無機質な天井だった。
 鼻には水の匂い。
 感覚的に、広い場所に寝かされていると分かった。

「起きた?」
「………」
 その声が、フェルテンの物だとは分かっていたが、飛び起きて飛びかかる元気はなかった。
 髪の毛が冷たい。どうやら俺は気絶したらしい。みっともないことに。
 ぶっ倒れた俺をフェルテンは隣で見ていただけなのか、顔を動かせば中央には相変わらず赤い石があった。
 白衣のポケットに手を突っ込んだまま、無表情に男は俺を見下ろしている。
 さっさと起き上がれといいたげた。
 てめえなんでこんなことするんだ、と言おうと思ったが、まだ意識が朦朧としていて、行動に移す気力がない。
 口を開くのも億劫で、頑張って開けたところで、声は掠れた物しか出そうになかった。
 頭に感じる冷気が酷くなってきたので、手をついてよろよろと起き上がった。
 少し頭痛がする。無理矢理機械鎧を外したので、神経が悲鳴をあげたのだろう。
「あいたた……」
 ずきずきする額に右手を当て、呻いた。
 偏頭痛のような痛みだ。長く眠りすぎた時などになる。放置しておけば治るので、できればこのままここに暫くいさせて欲しいものだが。

(……って! そんな暢気な場合じゃないだろ!)

 はたと我に返って顔を上げた。
 額から手を離して、男の顔を見上げようとし――違和感に気がついた。

「…………?」
 思わず両手を広げて眺めてみる。
 なんか変だ。
 左の手には大佐がくれた指輪が填っている。両手の平をにぎにぎとしてみるとそいつらは脳の指示どおりに的確に動いた。
「………」
 右手には何も填っていない。綺麗な両手がエドワードの指令通りに掌を見せて次の指示を待っている。

 ――左、はともかく。
 右だ。

「……へ?」
 さっき、俺の腕はむしり取られた。そもそもその激痛で俺は気絶したわけで、フェルテンはウィンリィの機械鎧をいらない、などと言ったあげくに湖に投げ捨てた。
 と、いうことはそもそも両手があるわけがない。
 真っ白な頭のまま、顔を下げると、だらしなくも伸びきった両足がそこにあった。
 半身を起こして、手と足に何度も視線を往復して観察する。

 足。

 さっきもがれた。だから俺は歩けなくて倒れた。
 よって二本の足が見えるはずがない。

 ――――けど、なんか白い物が二つ見えるんですけど。

 幻の右手でほっぺたを抓ってみた。命令通りに動いた俺の白い手は頬を掴んで捻ってくれた。
 そのまま幻の右手で左足のふくらはぎを摘んだ。
 たしかな微痛が脳に響いてきた。
 ためしにゴンゴンと叩いてみる。麻痺しているかと思ったが、骨に当たる音がたしかにして、手は筋肉によって弾き返される。
 妄想だと認識していた頭脳はそこでやっと回線を切りかえ始める。おそるおそると。

「え…?」
 意味が分からず縋るように見上げたエドワードにフェルテンは肩を竦めた。
「お約束通り、元に戻したよ」

「…………ええええええええええ――――――――――!」

 フロア中に響き渡るような大絶叫。人生、これほど驚いたのは最初で最後だと断言できる。

 失われた機械は、生身に。
 失われた手足は、持ち主に。
 あまりにあっさりと、俺の手足は元に戻っていた。

(続く)