月に村雲、花には嵐 - 11(完結)
駅に着いたときには、まだ電車は来ていなかった。
(燃えてない……)
頭をよぎった嫌な妄想が現実にならずにすんでほっと息を吐く。
駅はいつも通りの姿でそこに存在していて、ハボックの胸を落ち着かせた。
ぐい、と汗を拭く。
とりあえず問題は准将だ。
エドワードがどうするつもりなのかは知らないが、准将のことだから駅のどこかで待っているのではないだろうかと思う。
彼女が姿を軍部に見せない可能性だってあるかも知れないし、そもそも准将なら、見つけてすぐに捕獲したいのではないかと想像した。
あの男が、罠を仕掛けて軍部に来たエドワードを捕らえるのもありとは思うが、なんとなく、そんな余裕は今の男にはない気がする。
もともとそんなに広い駅ではない。
准将みたいな男がいれば、目立つのですぐに見つかるはずだと、ハボックは構内を見渡しながら歩く。
……でも、結局。
俺は何をしたいんだろう。
見つけたら、准将を止めるのだろうと思う。馬鹿なことは止めろと。
……馬鹿なこと。
それはなんだ?何を准将がすると、俺は怯えているんだろう。
あのエドワードが浮気をするだなんて、ハボックは信じていない。そんな器用なことが出来る少女ではないと思う。
でも、不器用だからこそ残酷で、知らずと准将を傷つけている。
男の振りをしてきて生きてきたといっても、やっぱり男ではないということにあの子は気がついているんだろうか。
どれだけ准将が我慢をしているのか、知っているのだろうか。
恋人に浮気をしてでもいいから自分を抱かないでくれと言われたらどれだけ男が傷つくか。
…………ああ、なんだ、結局、自分は。
エドワードより、准将の方が心配なのだ。
ひょっとしたら、少女が燃やされてしまうかもしれないという危惧と、そこまで追い詰められた准将を止めたいという思いと。
恋人同士という関係にありながら、少女と大人はその実、なにもさらけ出してない。
少女に嫌われるのが恐くて強引に言えない大人と、ただひたすらしたくないという自分の望みばかりをぶつける子供と。
どこか、歪んでいると思った。
なぜだろう、どうしてあんな、お互いがお互いを好きであることは明白なのに、間違った糸を繋いでいるんだろう。
改札で軍の許可証を見せてホームに入る。
四時の列車が到着するまで後三分。
駅中を探したが見つからなかったので、もうホームの中にいるのかと思ったのだ。
だがそこにも准将の姿はなく、これから来る汽車に乗るために待っている人の列があるばかり。
人混みなので、たしかに見つけられなかったという可能性も捨てきれないが、なんとなく、拍子抜けする。
ひょっとしてまだ、准将の耳に噂が入っていないのかもしれないし、仕事を抜けられないのかもしれない。
だとしたら、今からやってくるはずのエドワードに事の詳細を聞き出す時間的余裕もあるかなと思っていた所で、ホームに汽車が滑り込んできた。
止まった汽車から人が次々とホームに降り立つのを煙草を咥えてぼうっと眺める。
准将はやはり視界には見えない。エドワードがこちらに気がついてくれるとは限らないので、改札口の側で待っていたら、三両目を降りてくる少女の姿が見えた。
「あれ、中尉」
ハボックに気がついたらしい紺のキャミソールに白いボトムの少女が、両手に旅行鞄を抱えて、こちらに走ってくる。
(……ちょ…!)
ハボックの焦りなど理解していない少女はヒールの靴をモノともせず二つの旅行鞄を持ってけっこうな早さで改札の壁に凭れているハボックの前に立った。
下着かと見まごうような露出の高い服から、白くて細い腕と、胸元が見えていて、一瞬戸惑った。ボトムも細身で、尻から足のラインが丸見えで、下手なミニスカートよりも体型が目立って仕方がない。
本人に自覚があるのかないのか知らないが、全身に健康的な女性の色気を漂わせた少女は、上手に編み込んだ髪を後ろで団子状にまとめていて、首筋ぐらいは隠せばいいのにと思う。
服装は実にカジュアルだが、今の大将ならこのままどこかの夜会にも出れるのではないだろうか。
「どうしたんだよ、仕事?」
首を傾げて見上げられ、ハボックの位置からだと胸の谷間が丸見えだ。もともとの色素が薄いので、その肌は象牙みたいに白い。
「う……」
思わず煙草を口から離してしまう。
(うわぁ………)
即座に頭に浮かんだ言葉。
(准将かわいそう……)
代わりに泣いてあげたくなった。
自覚の全くないフェロモンを巻き散らかされて、手を出すなと言われたのだ。恋人なのに。
これをもう、何ヶ月も我慢しているのだ。
俺なら耐えきれずに襲うかもしれない。いや、事実やってみたと言っていたな。そりゃあそうだろう、それに「なんてことを!」なんていう男は誰もいないだろう。今のこの彼女の姿を見れば。
「中尉?」
未だ不思議そうに見つめる視線に我に返った。
「いや、仕事じゃなくて、大将に用事があって」
「俺? あ、土産なら……」
人一人入りそうな巨大な旅行鞄を二つも持ったエドワードがそのうちの一つを開けようとした。
「土産じゃなくて、話が」
「……話? なんの」
上半身を心持ち下げて鞄の鍵に手を伸ばしていたエドワードが、その言葉に手を止める。
いくら可憐な少女に見えても、どう考えても一つ二十キロはありそうな旅行鞄を片手で持ち上げるのがさすが大将だと思う。
前に軽い気持ちで手にした荷物を持ってやったら思ったより重くてびっくりした。
口に指を当てながらそれを抱えたハボックを
「いいなー、中尉は力持ちで」
とか言って羨ましそうに見つめていたが、普通の女性は三十キロの米俵を平気で二つも抱えないからと答えれば、だって大佐は五十キロ近い物だって平気で片手で抱え上げるし、と反論された。
そもそもあの男と同列で荷物を持とうとするのが間違いだと思うのだが。
「悔しいから、俺も大佐を抱えてやろうとしたのに、持ちあがらねえの」
ぷくーと頬を膨らませてあの時少女は拗ねていた。
五十キロ近いもの。
が何を指しているか如実に理解してしまったハボックは遠い目をして溜息をつく。
そんなこと出来たら、多分あの男は喜ぶだけだろう。
後日准将にその話をしたら、結局「でぶ!」とか言われて走り去られたと言っていた。失礼な、と言っていたが何故かその瞳は優しくて。
なんだかんだ言っても、幸せそうなカップルに見えたのに。
「とりあえず、荷物片方持とう、大将」
ひょい、と床に置かれた鞄を一つ手に取る。
二つとも持つことは可能だったが、大将はなんだか嫌がる気がした。
残った一つを両手で持ったエドワードがやっぱり不思議そうにハボックを見上げている。
「……なんか、重要な話っぽいな」
「結構な。とりあえず駅は出ようぜ。車そこに置いてるから」
「ああ、うん……」
それはたしかに、と、切符を出すためにポケットに手を突っ込んだ彼女を見たのが、多分ハボックが最後にまともな思考を持っていた瞬間だったと思う。
かつ、という靴の音がして。
ぞわりと背筋を危険信号が駆け抜けた。
長年の軍人の経験は、ハボックに退却を促す。それほどの死臭と悪寒。
「……私を差し置いて、ずいぶんと楽しそうなことを考えているな?」
先ほどまで、目の前にいた少女の場所には、何故か黒い悪魔が立っていた。
(続く)
