黒の祭壇

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月に村雲、花には嵐 - 9(完結)

 困ったこともあった物だ。
 いや、困ったというかめでたいというか、いいことなんだけど何でだろうというか。
 ハボックは最近出番のなくなった探偵からの電話を切ると、煙草に火をつける。
 探偵の電話の内容は、最近お呼びがかかりませんが?というもの。
 金払いがよかったため、探偵はハボックを上得意と思っているようで、「又なにかありましたらお願いしますよ」と言って電話を切った。
 金払いがよいのは当たり前だ。お金はエドワードから出ていた。
 あの子は金は唸るほど持っている。
 ハボックはその仲介をしているだけなのだが、探偵がそれを知るはずもない。
 ある軍人を尾行して、写真を撮るだけで金になるのだから、探偵としても美味しい仕事だったろう。

「だってなあ……」
 煙をくゆらせて、天井を眺める。
「准将、すっかり浮気しなくなったしなあ…」

 先日、鋼の錬金術師が又他の仕事でこの町を出て行ってからというもの、准将は全く浮気をしなくなった。
 浮気の事情を知っているこちらとしては、ひょっとして、とうとう?ついに?とか内心大興奮だったのだが、どう見ても二人の態度は今まで通り。
 エドワードは最後に「じゃ!また大佐が浮気したらよろしくな!」とハボックに言って立ち去るし。

 おそらく二人の関係は何も変わっていない。

 一回准将に聞いてみたい気もするが、藪をつついて蛇が出てきたら怖いので聞けない。
 だが上司の態度は別に普通で、いつも通りに印鑑を押すし、いつもどおりに働く。あの煮詰まった感じは今はなくて、どうやら男の中で何かについての何かの解決がついたようだった。

 嬉しいことだが、根本的には解決してないような。
 結局エドワードは変わらず、大佐が折れただけのような気もする。
 まあ、本人がそれで納得しているのならいいのか?
 浮気をしない准将に、中央のみんなもざわついている。
 喜ばしいことなのに浮かない顔の人間が多いのは、こういう事態が発生することによって気がついてしまった己の中の醜い気持ちに驚いているからだろう。

 そう、エドワードを奪っていった相手、ロイマスタングを公然と憎む原因が何もなくなった。
 浮気をしないのならば、あの男はエドワードをきっと幸せにしてくれるだろう。それは完全に自分に望みがなくなったと言うことであり。

 よかったと思いつつも、心の中で准将に発生している嫉妬を、面と向かって出せなくなったのだ。

 ある意味ストレスがたまってしまった人間も少なくない。
 エドワードの幸せと、恋敵への憎しみと。
 前者と後者を両立させることは不可能なのだ。

 まあ、人の恋路に邪魔して燃やされたくないし。
 いつかは時間が解決するだろう。たまに准将の愚痴を聞いてやるくらいでちょうどよい。うむうむ。とハボックは煙草を灰皿に押しつける。

「はははははハボック――――――――――!」

 と、そんな。
 凪一つ無いハボックの心を一瞬にしてひっくり返したのは、大声で叫びながら部屋に飛び込んできたブレダだった。





「おま!聞いた、聞いたか?!よりにもよって、!なんであんな!」
 がくがくと首根っこを揺さぶられて吐きそうになる。
「ちょ、おい! 待てよ!」
「これが待てるか!だって、なんであんな、エドが! よりにもよって―――――!」
「お、落ち着け! 落ち着けってば!」
 慌ててブレダを引きはがす。
 呆然とした男が目をしばたかせてがっくりと項垂れた。

「……最悪だと思わんか」

 額に手を当て、ハボックより小さい同僚は頭を抱える。
 襟の乱れを簡単に直して、ハボックはよく分からないままにとりあえず入り口に向かうと扉を閉めた。なんだか本能的に、聞かれてはいけない会話のような気がしたのだ。

「悪りぃがブレダ。俺にはなんのことだかわかんねーんだけど」
「知らねえの!?」
 鈍いなおまえ!とか言われて少し傷ついた。

 ずかずかと部屋の中央に戻って椅子にどっかりと座る。
 頭を掻いて溜息。
「しらねえよ! 俺はさっき軍部に来たんだぞ?昨日は非番で」
「あ~、そうか、そうだったんか」
 長椅子の隣にブレダが腰を下ろした。
 いつも剛胆な男が、困ったような顔をして眉を寄せている。

「エドって言ったよな」
「…………ああ」
 ブレダの応答は短いが、そこにはその数倍もの重みが含まれていて。
 嫌な予感と部屋に残る煙草の煙が、暖かい筈の部屋の温度を一度下げる。

(……聞きたく、ねえなあ…)

 命に別状が、とかならブレダはこんなに困っていない。
 そう、同僚は嘆いているのでも怒っているのでもなく、困っているから、気持ち悪いのだ。
 どうせ、ろくな話題じゃない。
 こんな気持ちは、准将が最初にエドワードが女の子だと告白したとき以来だ。
 聞きたくないなあ、聞きたくないなあ、と思いつつ口は逆のことを言う。

「大将に、なんかあったのか?」
「あったっていうか、これ、准将の耳には入れるなよ?」
「え」
 いや、あの、それは。俺は准将の狗でさ、と言おうとした口よりもブレダの沈痛な声の方が先だった。

「なんかカタリナの町で男とホテルに入ったとかですっかり噂になってるんだが」
「――――へ?」

 ほら。やっぱり。

 温度がまた一度下がったじゃないか。

(続く)