黒の祭壇

黒の祭壇

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Emptiness is conceived - 35(完結)

 単に、鎖の音に気づかれないように問いかけたはずの言葉が、あまりに深い真実でエドワードに刺さる。
 殺されたのだ。
 そして、燃やされて、ゴミみたいに地上に放置されて。
 彼女たちが最後、このベッドの上でどんなに泣き叫んで恐怖したかと考えるだけで泣きたくなる。
 だが、エドワードのそんな表情はフェルテンには誤解を招いただけらしい。
「あれ? 怖い?」
 首を大げさなくらい曲げて、男は続ける。
「あの女達が反抗するからいけないんだよ。さっさとやらせてくれれば綺麗な身体で地上に返してあげたのにねぇ」
「………っけんな」
 ぎりぎりと唇を噛んで、直前まで堪えた。
 押さえつけられた肩の痛みなど吹き飛ぶ。
 そんなの、ここで腹を解体された彼女たちに比べれば蚊に刺されたような痛みだ。

 人の弱みにつけ込んで。
 女性のコンプレックスを弄んで。
 従わなければ殺して終わり。

 頭の中の爆弾の導火線にはもう火が着いてしまった。唾でも吐きかけたい気持ちを必死で耐えて、呟く。
「俺さ……一番嫌いな言葉があるんだ」
「なに?」
 いきなりのなんの脈絡もない発言に、フェルテンの眉が寄る。

「囚われのお姫様なんて言葉、大嫌いなんだよ……!」

 左足を勢いよく横に蹴り上げる。鎖の音を耳の端に聞きながら、のし掛かる男に同時に思い切り頭突きを喰らわせた。
「……っ!」
 さっきまで大人しかった人質の突然の攻撃に、フェルテンが思わず額を抑えてエドワードから離れる。その横腹に生身の左足を思い切り叩き込んだ。
「ぐあ……!」
 警戒していなかったせいで、ベッドから思い切りフェルテンが吹き飛ぶ。
 転がり落ちた男が部屋の端の箪笥にぶつかって床に転がった。
 エドワードは即座に起き上がるとベッドのシーツをたぐり寄せて引っ張る。
「お、おまえ……!」
 脇腹を押さえながら起き上がり掛けたフェルテンにベッドの上からシーツを放り投げた。
 放物線を描いてフェルテンの視界を遮ってくれるシーツ。男は狼狽えて頭上のシーツを剥がそうと必死だ。エドワードはそのままベッドから飛び降りると鎖ごと左足で蹴り倒した。
「……!」
 フェルテンの身体が箪笥と床の間で一度バウンドする。その隙に足を軽く空中で一周させるように舞うと、暴れるフェルテンの肩にシーツの上から鎖を巻き付けた。
 しゃらしゃらと鋼の音を立てていた鎖は、滑車に巻き取られるようにシーツを縛り上げた。右足でフェルテンの身体を箪笥との間に押さえ込み、左足の鎖で拘束する。
 ぐえ、と小さな悲鳴が聞こえたが、手を抜く気には到底なれない。
 鎖に余分の距離を持たせるわけにはいかないので、足にひっついた鎖を左手で引っ張って、ぎゅうぎゅうと締め上げた。
「おまえ! この鎖を解け!」
 床でじたばた暴れる蓑虫シーツの言うことなど聞くバカがどこにいる。おそらく顔であろう場所を右足で踏みつけると、蓑虫は、もごもごと変な声を出した。

「ざまあねえな、鎖で拘束したつもりがされてやんの」

 バカにするように笑ってやりながら、あああ、これでもう俺、死ぬかも。と冷静に判断している自分がいる。
「君! 分かってんの? 言ったよね? 手足なんてなくたってかまわないんだって!」
 こんなことしたら、もう許してやらないよ、と声は慌てながらも言っている。
 そんなことは百も承知。いくら縛り上げたとはいえ、大ピンチなのには変わりがない。そもそもこの忌々しい鎖をといて、この地下を脱出する計画など、実は全く浮かんでいない。ただ身体が思わず動いたのだ。

 さっきから暴れる蓑虫をその度に蹴って大人しくさせる。
 ここで逃げ切れなかったら俺はどこだかに連れていかれて手足をもがれて水槽にでも入れられる気がする。
 でも、だからって怯えて助けを待つなんて――絶対、嫌だ。
 助けに来る前に、解決してやる。それが鋼の錬金術師じゃないのか。
 ぽん、と脳裏に浮かんだ黒髪の上司は、にやにやと笑っている。
『貸し一つ』
 と忌々しく言われるのが気にくわない。
 今のあいつに貸しなぞ作ったら、何を要求される事やら。だから、諦めてなんかやらない。次にあった時に、貸しなんかねえよ、自分でなんとかしたんだからな、と言うために。

 ぎゅ、と鎖を持ったままの左手を掴んだ。
 逃げてやる。絶対に。
 たとえ手足をもがれたって、生きてれば、――絶対、望みは、あるのだ。

 右足で丁度フェルテンの首の辺りと思われる部位を軽く蹴った。ぐえ、と小さな呻き声がする。
「おまえ、鎖の鍵持ってないの?」
「奪わ、れるかもしれないのに、持ってくるわけないじゃん」
「……そう」
 でも、この男が丸腰でこの部屋に来るはずがないという確信があった。鍵がなくてもナイフの一本でも見つかれば御の字だ。
「じゃあ、寝てろ」
 そして、その間にナイフでも探そうと鳩尾に向かって腕を振り上げる。
 扉が開いたのは、その時だった。

 あーあ。
 エドワードは、足で教祖を踏みつけながら、苦笑した。

「……もうちょっと、持つと思ったのに」

 一人ぽつりと呟いてみる。
 いきなり荒々しく開いた扉の向こうにいたのは、拳銃を構えた人間達だった。
 覚えがある。さっきすれ違った研究員だ。
 しゃらしゃらと足下で鳴る鎖の音が、妙に綺麗で、この静かな静寂を掻き回す。
 きっと、今から流れる拳銃の音は、同じ鋼なのに、とても汚いんだろうな。

「教祖様から離れろ」
「……」

 冷たく見つめるエドワードに動じもせずに男達はそう言った。
 向けられた拳銃の数は三。
 これから数秒で、踏みつけた教祖から離れて、こちらから飛びかかり攻撃するのは不可能。距離が圧倒的に足りないのだ。鎖さえ解いていればなんとでもなったのに。
 これで、男達が震えているのだったら、まだエドワードも勝機があると思えた。だが彼らの瞳は教祖と全く同じで――感情が、一欠片も見えなかった。

 あーあ。
 俺、やっぱ、次にアルに会えるのは水槽の中かもしんない。

「もう一度だけ言う。教祖様から離れろ」
「……嫌だと言ったら?」
 微笑みは、何故か自然と漏れ出した。
 瞬間、躊躇いもなく男の拳銃が火を噴く。
 手を離せ、とか。早まるな、とか。
 そんなことを言って引き留めようとする奴らではないと分かっていた。もう一度だけ、と言ったなら確実に一度だけだろう。眉間を打ち抜かれることはあるまいが、そのほうがよっぽどマシな事態が待っているかもしれない。
『せめて』
 アルを元に戻すことだけでも頼めないだろうか。今は無理でも二十歳になってエドワードの腹の石が育ちきったら。
 拳銃が火を噴き、弾丸が己の腕に貫通するイメージのまま、それでも瞳は瞑りたくなかった。
 つん、と鼻を通る火の気配。
 薬莢と、微かな火の粉の暖かさ。
「ぐあああああ!」
 ――――火を噴いたのは、まさに男達の拳銃自身だった。

 火柱が上がる。
 皮膚の焦げる匂いと、鉄の溶ける匂い。
 火事場のような熱風が扉から押し寄せる。
 部屋の温度は急激に上昇。部屋中の紙が燃えないのが不思議だった。
 がしゃんがしゃんと鋼の物体が落下する音。拳銃が床に転がり落ちて、エドワードの手元に飛んできた。
 茫然と足下に転がった武器を見るが、手に取る勇気はない。
 そりゃそうだ、こんな色が真っ赤に変わり果てた拳銃を握ったら、一瞬で手は大やけど。
 入り口の男達が次々と呻き声をあげながら倒れていった。真っ赤に腫れ上がった手からは未だ火が燻り続けていて、このままでは炭になりそうな勢いだ。
 生きながら焼かれる悲鳴は耳障り。崩れ落ちた男達の後ろに立っていた人間は、もっと、目障りで。

「大佐、殺しちゃ駄目ですよ」
「――――ああ、そうだったそうだった」

 ひらひらと手を振って、黒髪の上司は手袋を脱ぐ。
 その後ろで立っている鎧の弟は、さっき頼んだばっかりなのに忘れないでくださいよ、と自分より十以上も年上の男に説教していた。

(続く)