黒の祭壇

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月に村雲、花には嵐 - 6(完結)

 させてくれない、と男は言った。
 それってなんだ、あれか、やっぱりあれなのか。
 下手をすると子供が出来てしまう、いわゆる性行為というやつか?



「――――――――――は?」
 頭真っ白の俺。
「そりゃあ、恋人同士なんだから、したいだろう、そういうこと。だから当然迫ったら、嫌だ、と言われた、嫌だ、だぞ?!」
 どん、とビールのグラスを思い切りよくテーブルに叩きつけられる。男の目は完全に据わっていた。
「私だって、そんなのあの子のことだから、意地張ってるだけで口だけかと思ったさ、だから」
 まあまあと口で誤魔化してなんとかするつもりだった。そしてそのテクニックは過剰なくらいに持っていた。
 のに。
「……本気で抵抗された。本気でだ」
 一転、威勢の良かった口調は情けない物に変化した。
「ええと……」
 額に手を当ててハボックは唸った。
 あまりの突然の変化に頭がついていかない。
 ほんの数分前まで俺は「大将を哀しませる准将に文句を言ってやるのだ」と意気込んでいなかったか。
 だがなんだ、この目の前の失恋した俺みたいな男は。

 ………鋼の錬金術師の抵抗。
 彼女は両手をあわせればその気になれば町一個壊せるのだ。准将が両手を拘束したところで、体術がかなりの腕の大将をどうにか出来るとは思えず、いや、それでも准将が本気になればどうとでもできるだろうが、そこまでくるとそれは強姦だ。
 押し倒されて本気で抵抗したエドワードの姿を想像して、数ヶ月前の准将の腕の包帯を思い出した。
「……あれって」
「痣は一月消えなかったぞ、しばらくは両手で物が持てなかった」
 どぼどぼとハボックのコップにも酒が注がれる。どう見てもストレートのウイスキーだが飲まなければきっと俺は裏切り者だと言われるだろう。
「……あれって、家で机の角で打ったって言ってませんでしたか」
「ああ、机が変形したもので攻撃してきたエドワードにしこたま打たれたぞ」
 ごちんと再び机に沈没する准将。
 ……なんだか、頭を撫でてやりたくなった。
「……准将、すんません、俺、もうやりまくりなんだと」
「あははははー、そう思うだろう、だろう。みんなそう思ってるのが分かるからなおさら腹が立って言えないんだ」
 女は出会って二時間あればベッドに連れ込めるこの男が本命に手を出していないなんて、誰が想像できるだろう。
 正直ハボックだって、とうの昔に手を出したと信じて疑っていなかった。俺だけではなく軍部全員がそう考えている。
 それが、そうでなかったと知れば男のプライドは地に落ちる。ただでさえエドワードを手に入れたことで周囲の嫉妬を一心に浴びている男が、実は手を出してないと知れば、大喜びで大笑いして浮かれる軍部の連中が目に浮かぶ。
 准将はきっと後ろ指を指されてくすくす笑われるに違いない。
 ……まあ、そう笑ったところで、その笑った奴らが自分はどうなのか、と言われれば反論は出来ないのだろうが、今の彼らは准将の些細なミス一つですら大事にして騒ぎたいくらいやっかんでいるのだ。素晴らしい餌だろうこれは。
 彼女が朝欠伸をしながら軍部に現れて、「朝まで大佐の家で本を読んでた」などと目を擦りながら言ったところで、そりゃあベッドの上でですか、と正直みんな涙にくれていたりしたんだ。
 なのに。本当に朝まで本を読んでいたらしいと、今始めて分かった。
「そっか…大将処女なん――――――――――痛い痛い!すいません!すいません!」
 突然耳たぶを思い切り掴まれて、悲鳴を上げた。
 いつの間にか口に出してしまっていたらしい。切れるんじゃないかと思うくらい捻られ、ごめんなさいを百回くらい口に出したところで、満足したのか男の手は離れた。 
「最初は、まあまだ子供だし、とか思って我慢したさ。でもいつまで経っても嫌だ嫌だで。さすがに切れて」
「――――やっちゃったんですか!?」
「……そんなことしたら、本気で嫌われる……」
 ありえない、と机に懐いたまま男は死にかけの魚みたいに呻いた。
 ハボックはくらくらする頭は酒のせいだと思いこもうと、もう一口飲み干す。
 ありえないのはこっちの方だ。本気で嫌われる、と怯えるロイ・マスタング准将。出世頭で独身で、顔良し性格良しスタイル良し。つまみ食いの相手も事欠かないこの男が、嫌われる、と言って強引に事を為すことも出来ないなんて。
 男の顔色は依然悪い。酒のせいかこの告白のせいか。
「………言ったんだ。私だって男なんだから、溜まるんだ、などという直接的なことを」
「おお! すごいじゃないすか!」
 准将には悪いがなんだか目がきらきらしてきた俺。
 この男がここまで崩れるのは始めて見た。しかもあれだぞ、これはあのロイマスタングなんだぞ?
 俺が狙っていた女性をことごとくかっさらい続けたにっくき上司なんだぞ。
 ざまあみ………いやいや、そうじゃない。
 でも、今まであまたの女を取られた男達がこの男のこんな姿を見たら、今までの溜飲は下がった上におつりが来る。みんなの心が晴れやかになるに違いない。
 ああ、見せたい。みんなに見せたい。でも俺は准将の狗。くうん、と泣いて我慢するのだ。
 目に見えるようだ、それなりに必死に大将に訴える情けない男の姿が。
 そういえば、大将はこちらに帰ってきたときは当たり前のように男の家に泊まっている。それでなにもないなんて、誰も思っていなかったのだが、それがあれか、本当に何もなかったのか。
「……なまごろし」
 つい口から漏れたら、男の耳が動いた。
「そうだ、生殺しも甚だしい。男の生理を理解しろと私は訴えたよ。それこそ選挙中の政治家みたいに!当選さえしてしまえば後はどうにでもなるんだからな。……なのに」
「なのに?」
 向かいの俺からはうつぶせる准将の後頭部しか見えない。顔が見えないから言えるのだろうな、と思った。

「だったら、他の女で解消すれば?と言われて今に至る」
「――――――――――」

 哀れな、と頭に浮かんだのはその一言。
 恋人にそこまで拒否され、挙げ句の果てに自分とするくらいなら他の女と浮気しろまで言われたら、そりゃあ愛情を疑うという物だろう。
 それでも別れられないのだ、この上司は。
 ――――ああ、なんだ。
 追いかけているのは大将じゃなくて、こっちなのか。

「頭に来たから本気で浮気をしてやった。口ではああいいながらも実際に浮気されたら「やっぱりやめて」とか言ってくれるかな、と思ったんだが」
 後は言わなくてもハボックにも分かる。浮気をしている准将を平然と見ている大将。浮気相手の情報だけを手に入れて満足げに笑っているあの子。
「……焼き餅一つ、焼いてくれやしない」
「たしかに、そう言う素振りはありませんね」
 ハボックの言葉はトドメだったようだ。ロイの指がぴく、と動いて項垂れた。
「こうなったらこっちも意地だ。どの女ならエドワードが焼き餅を焼いてくれるのかなと思っていろいろ試すが、やっぱり、駄目で――――なあ、ハボック。私はあの子に愛されてないのだろうか」
 最後の方は、掠れるほどに覇気が無くて。

 単純に、……驚いた。
 なんだ、これがあの焔の錬金術師ロイマスタングなのか?
 おまえらは黙ってついてくればいい、といつも真っ先を走っていくあの背中が、こんなにだらしなく力をなくしている。
「愛されてない……ってことは、ないと思いますけど」
 准将は知らないだろうが、時折彼女の視線は准将を追いかけていたりするのだが。
 俺にそれが見つかると恥ずかしそうに視線を逸らしたりするから、軍部の皆がぎりぎりと歯ぎしりをしながら怒りを抑える羽目になるわけだ。
「……私も、愛されてない訳じゃないと思うから、これでもずっと我慢してきたんだ。それこそ十五の時から三年だぞ、三年」
 がば、と男は顔を上げ、又がっくりと首を落とした。
「……十七までは、まあ周りに隠していたし仕方ないかな、と思った。でも子供だと言ってももう十八だぞ。他のことは嫌がらないし、当たり前のように呼べば家に泊まりに来るし、……他の男の影はないし」
 でも、させてくれないとさめざめ訴える情けなさ最高度の上司の姿に、ハボックはどうやって慰めればいいのか分からなくなる。

 どうしよう、まさかこんな展開になるとは思っていなかったのだ。
 一旦溜めていた物を吐き出し始めた男は止まらず、今度はテキーラをストレートで注ぎ始めたが、もうハボックには止める気力はなかった。
「……いっそ、エドワードの目の前で浮気してやればいいのか、とは思うが、そんなもったいないこと出来ない」
 本命が目の前にいながら浮気相手と遊ぶなんて、そりゃあ出来ないだろう。相手はしかもいつも中央にいるわけではなく遠距離の時間の方が圧倒的に多いのだ。
 無反応な彼女に、エスカレートしていく男。女の数が十人を超えても、それでも彼女は拒否し続け、男は悔し紛れに伝わらない嫌がらせを続ける。
 女に苦労したことがないこの男が情けない子供じみた意地悪を壁に向かって吐き続けている。ここまで疲労困憊している姿が、心底哀れに見えて、ハボックは溜息を吐いた。
「大佐~」
「ん?」
「……俺が悪かったっす。すんません。あんたもいろいろ苦労してるんすね」
 それしか言えず、既に半分以上潰れた男のコップにどぼどぼ残りの酒を注ぐ。
「でも、これ、絶対他の男にばれないようにした方がいいですよ」
 それこそ、軍部の人間の誰か一人でも知ったら、速攻お祭り騒ぎだ。
「分かってるから今までおまえにも言わなかったんだろうが」
「……そっすね」

 クールに手玉に取っている風に見えていたのは演技も甚だしかったと言うことだ。俺にだって予想がつく。この准将がまだ手を出していないと知った途端に「まだチャンスがあるかもしれない」と殺気立つ男どもの姿が。
 だからこそ、あくまでもああして余裕を見せた男の振りをし続けるしかなかったのだろう。
「将軍どもがな~、言うんだ。それこそ下世話に、ベッドでの案配もいいんだろうとか、そういうむかつく台詞をだ。その度に私は笑って「いい思いをさせて貰ってますよ」とか返すんだが、――――分かるか! この時の私の情けない気持ちが!」
 上司はますますヒートアップして、拳をぎりぎりと握り込んだ。
 将軍達は、ふん、と言いながら去っていき、余裕綽々とかわした男が後で壁にごん、と頭を打ち付けさめざめと嘆く姿が何故か脳裏に浮かぶ。
「分かった、分かりました! 今日はとことん飲みましょう!」
 このまま行くとテーブルが壊れそうな気がしたので、男を良い潰す方向に作戦を立てる。
 うーとかあーとか言いながら半分寝ぼけた上司はそれでも酒を差し出すとコップを反射的にこちらに向けて。
 
 うだうだ言い続ける上司の愚痴は数時間続き、ハボックはこの男が一年間どれだけ我慢をしていたかを知ったのだった。

(続く)