黒の祭壇

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Emptiness is conceived - 23(完結)

アルフォンスが戻ってきたときには、エドワードは布団の中で丸くなっていた。

「兄さん?」
 寝てるのかな、と声をかけて返事がないのを確認。
 でも、うー、という奇妙な声が聞こえたので覗き込むと、なぜか顔を真っ赤にした姉は枕を抱えて顔を突っ込んでいた。

「……どうしたの?」
 パジャマをすでに着込んだ姉は下ろした髪もそのままでひたすら赤い頬を宥めているように思える。

「アル、大佐にばれた……」
「――――――――――へ?」
 裏返った弟の声を聞いて、何かが弾けたのか、ますますまん丸に身体を縮めたエドワードは、またぐるぐると唸る。

「ばれた、どうしよ……」
「ど、どうしよって、なんで?!」
 なんでといいつつ、ああ、やっぱり、という気持ちが去来して、その事実に妙に納得する。

 ……そうかも。

 ばれるかも。

 だって最近の兄さんは、いや、ここに来て大佐と会ってからの兄さんはそれはそれはもう年頃の少女みたいに可愛らしくて、いくら誤魔化し続けると言っても限度があるというか、あそこまで女性になりきっていたら、大佐が疑っても仕方ない。
 胸揉んだ時点で分からなかったんだから鈍すぎたくらいだ。

「でもさ、何でばれたの?」
「…………」

 枕にくっついた姉の身体がぴくんと一瞬跳ねた。
 その反応に、アルフォンスの警報機が鳴り始める。姉は言いたくないことを突っ込まれた時、一瞬動きが止まるのだ。
 嫌な予感がする。実に実に。

「……風呂から上がって、バスタオル一枚でごろごろしてたら、ノックがしたのでアルだと思って開けたら大佐だった」
「――そんな格好でドア開けたの!?」
「…………」

 さすがに事実をそのまま言えば大佐が殺されるかも知れないと思ったエドワードの咄嗟の嘘は、それはそれでアルフォンスの逆鱗に触れたのだが、エドワードにはそこまで分からない。

「無防備すぎるよ! 大佐だったから良かったけど誰か他の人だったらどうすんの!」

 甘い、甘すぎる。

 アルフォンスがいないときに何度も襲われそうになったのに未だにその原因をいまいち理解していないらしい。
 たしかにそういうことをする男が悪いのは確かだが、「俺に欲情する男なんかいないって」とか言いながら人前で平気でスカートの裾を破ったりするからだ。
 放っておけば町中でも平気で着替えるんじゃなかろうかと心配するほど。

「だいたい兄さんは学習能力がなさ過ぎるよ!前もなんかそんなことして、変な男に押し倒されたじゃないか!」
「あんなの金玉蹴ったら大人しくなるからいいんだよ」
「そういう問題じゃないでしょう!」
 ばつが悪そうにぶつぶつ枕に愚痴る姉をアルフォンスは一喝する。

「……兄さんは、男を嘗めすぎ。馬鹿にしてたらいつか痛い目に会うんだから」

 そりゃいくら姉に勝てる男は少ないとはいえ、皆無ではないのだ。今同じホテルにいるどこぞの後見人とか。
 あの男は単に、どういう気の迷いか牙を隠しているだけで、本気になったらエドワードなんていちころだ。それこそ一年後に腹の大きい姉がいても僕は驚かない。
「――――、て、ちょっと待った」

『とりあえず孕ませて、婚姻届でも出すかな』

 今思い出しても寒気の出る台詞がアルフォンスの脳裏を通り過ぎた。
 冗談とは到底思えなかったあの台詞。つい漏れ出た本心の言葉だったということを一グラムも疑ってない。

「に、兄さん……! まさかとは思うけど大佐に変なことされてないだろうね!」
「へ、――ええっ!?」
 枕から顔を離して思わずこちらを振り返ったエドワードは耳まで真っ赤だ。

 温度を感じないはずの鎧に、氷が押し当てられたような錯覚。
「……されたの?」
「さ、されてないされてない!」
 慌てて首と手を振るエドワード。あっさり信じるほど馬鹿じゃない。

「……じゃあ、なんでそんなに顔赤いの」
「え、嘘」
 ぺた、と両手を頬に当てて慌てて擦る姉はどうしようもなくかわいらしくて、ああ、ここにあの黒髪大佐がいたら絶対調子に乗る、と本能的に理解した。

「まさか…………」
 先ほどから真っ赤になって狼狽える姉の様子はまさに、あれだ、そう。ええと、――嫌だ、口に出したくない。
「……大佐、本気で実行したの?」
「え、何が?」
 不思議そうにベッドの上でアルを見上げるエドワードの瞳はどこか泣きそうだ。

 大佐は、信じたくないがどうやら姉さんに本気で惚れているらしい。まあ人の恋路は何とやらなので、大佐が一人で好きな分には何も言わないし、勝手にすればよいのだが、女だったら孕ませるなんぞと言い切る男が、こんな可愛らしい少女を目の前にして、狩猟モードに入らないはずがない。
 そもそも姉さんは大佐のことが嫌いではないのだ。会えば喧嘩ばかりしているがあの舌戦を見るといつも「いいコンビだ……」と皆が思っているのはお互いだけが知らないし、そんなことが出来る相手はそうそう見つからないということもお互いだけが気づいていない。

『孕ませる』

 ――やりかねん。あの男なら。
 しかも強姦ではなく口八丁手八丁で和姦に持ち込む。最悪なことに、姉は大佐をどちらかというと好んでいる。
 綺麗だ可愛い愛してるなどと口から砂を吐きそうな台詞でも雪崩みたいに繰り返せば免疫のない子供は酔いかねない。

「まさか兄さんも同意の上とか言わないよね!?」
 がくがくと両腕を持って揺さぶれば、エドワードは頭にたくさんはてなマークをつけながらアルフォンスを見ていた。

「……」
 その様子から杞憂らしいと知る。
 この嘘のつけない兄さんが、大佐に婚姻届を出さなければいけないような事をされて、もし合意の上だとしてもここまで首を傾げているわけがない。
 がっくりベッドに頭を沈没させるアルフォンスに何を言えばいいか分からないのか、エドワードは手を頭に伸ばそうとして、引っ込めた。

「アル。どうしたんだよ。俺よりおまえの方がショック受けてるみたいだ」
「――だって、ショックも受けるよ……」
 あの男が、何重の理性の鎖を己に課しているか、姉は知らないのだ。その内の一番大きな鍵が多分「同性」という部分だった。

 大佐は、産まれながらの捕食者だと思う。姉はただ逃げるのが上手いだけの草食動物だ。あちらがライオンなら、こちらはすばしっこいシマウマだ。
 もし、同じライオンだったとしても、姉は生きるために肉を食べられない。優しすぎる。

 でも、知られてしまったことでほっとしているのも確かで。
 前の時に思った。あんなセクハラ親父相手に大佐がけろりとしていたのはエドワードが男性だと思っていたから。もしあの時女性だと知っていたら、姉を嫌な目には合わせないようにしたと思う。

 これからのことだってそうだ。
 今から行くのはよりにもよって最後のラスボスの下で。
 総合的な評価を見ると、どうも危険な匂いがぷんぷんする。
 金玉蹴り上げればいいと言ったが、それが出来ない状況になったらどうするつもりなんだろう姉は。考えたこともないんだろうが。

 などと一生懸命アルフォンスが説得しても今までは無駄だった。だがあの男なら姉さんを上手く説得できるのではなかろうか。
 正直姉の貞操の危機がもっと近くに来た気がしないでもないのだが、それでもそんじょそこらの奴ら相手に酷い目に会わされるくらいなら大佐の方がまだマシだ。

 あの男は自分以外の人間からはこうなった以上完璧に姉を守るだろう。

 最強の盾。

 それはそうだが内側の人間へ牙を剥きかねない危険な盾で――――
 制御するためには本人の自覚が一番必要なのに、完全無防備なのだから食われるのは時間の問題ではないか。

 ――――まあいいか。
 それでもこの事件が終わるまでは大佐の力は必要だ。終わったらさっさと逃げ出して後は僕が見張っていれば大佐も変なことはできまい。
 うんうんと頷いてこれからの計画を練るアルフォンスは、やっぱりまだ幼くて。

 すぐ側の姉がすでに喰われかけていることには、まだ気がついていなかった。

(続く)