Emptiness is conceived - 39(完結)
連れて行かれた病院では、簡単に検査をしてくれた。
足には包帯を巻かれてしまったが、とりあえず折れてはないらしい。捻挫だということで、少しほっとする。
男はまだ処理があるらしくて、入り口で車に人を押し込むと、後で行くから、と囁いて車のドアを閉めてしまった。
そして、与えられたホテルの部屋に戻ってきて倒れ込む。
「疲れたー」
アルフォンスはいない。まだ大佐と一緒にいるのだろうか。
時間的には数時間の出来事のような気がするのに、疲労は一週間分くらい蓄積している気がする。
ああ、風呂に入らなきゃ、とか着替えなきゃ、とか思ってはいるものの、身体は動かない。
(そういえば……錬金術、戻ってるのかな……)
あの石は壊されてないだろうか。不完全と言うことだが、アルフォンスに使ったらどうなるだろう。
それとも自分の中の石が育つのを待った方がいいのか。でもそれまでにはまだ数年あって。
いろいろ考えなければいけないことは山積みだ。
だが心地よい疲れに逆らう気力はどうしても沸かずに、エドワードはふ、と意識を手放した。
微かなチャイムの音がした。
ピンポン、という音が三度ほど。
「……?」
気のせいかと思ったが、違うらしい。エドワードの意識が少しづつ覚醒するのにあわせて、チャイムの音も大きくなった。
人が来た、と確信して慌ててベッドから起き上がる。
なんか涎まで垂らして寝てたみたいで、頬がばりばりとする。ごしごしと頬っぺたを擦った。
チャイムはしつこく鳴っていて、よろよろと玄関に向かって、扉を開ける。
「はい」
「……君ね、どちらさまですか、くらい言わないと」
はあ、と溜息をつきながら手に荷物を持ったまま呆れた顔でこっちを見ているのは、軍服が妙に似合っている自分の上司だった。
「ただでさえ今君はろくに歩けないんだから。暴漢だったらどうするんだ」
「あー……寝ぼけてたから、そんなの考えてねえよ」
なんだ、大佐か、と思うとがっくりきて、玄関で小言を言う男を放置して、ベッドに戻る。
ロイは扉を閉めると鍵を掛けて、ゆっくりこちらに歩いてきた。
「寝てたのか?」
「みたい。まだぼーっとする。風呂でも入ってこようかな」
ぼりぼりと頭を掻きながら目を瞬かせると、立ったままの男はまたもや盛大に息を吐いた。
「腹が減ってるだろうと思ってな」
ほら、と渡された紙袋。
なんだろうと手にしてみると、中には弁当が入っていた。
「うわ…! めずらし、気が利くじゃねえか大佐!」
「君は私をどんなに酷い奴だと思ってるんだね……」
ごそごそと弁当を取り出して、行儀悪くもベッドの上で開ける。足が悪いせいで動くのが面倒なのだ。伸ばしていると楽なので、それを知っているのか大佐も何も言わなかった。
黙ってお茶を入れてくれているえらいかいがいしい上司の背中を見て、ふと疑問に思う。
「アルは?」
「さあ。後で来るとは思うが」
ほら、とお茶をベッドサイドに置くと、今度は自分用に珈琲を入れはじめる男。
相変わらずの飄々とした調子で、さっき人を抱えて甘い台詞を吐いた人とは思えない。
フォークを口に突っ込んだまま、黙って広い背中を眺めてみる。
(ありがとう、って……言ってないな)
言われたいとも思えないが、結局何も言ってない。勇気が要ることは後回しにすることにして、気になっていたことを聞いてみた。
「そういえば、サイゴンに、でっかい温泉と石があっただろ?」
「ああ、あったね。壊されていたが」
「――え!」
声が思わず裏返る。珈琲のティーパックを上下させつつ、男は天井を見て思い出していた。
「私たちが行った時には、砂の山みたいになってたな。おそらく軍の介入に気がついた人間が壊したんだろう。あれはなんなんだ? 鋼の」
「あれは……」
どっちにしても一から説明せねばならないだろう。今更誤魔化せるとは思えないし、その方がいい。
弁当は美味しいはずなのに、一気に味がなくなった。
本当は、アルフォンスもいた時の方がいいんだけどな、と思いつつエドワードはぽつぽつと話し始めた。
喋っている間に、どんどんと男の機嫌が悪くなっていくのが分かった。
最後の方は、何も言わずに眉を顰めて黙って壁を向いている。
腕組みして足も組んだ男が椅子で不機嫌の気配を発生させていると、なんだか恐ろしい。何度か中断したが、その度に続きを言え、と怒られるので渋々話した。
「やっぱり、あの殺された女性達は、あいつらが犯人か。最後まで屈しなかったからかね。……酷いことを」
「うまいこと考えてると思うぜ。俺の手足を直したように、あいつら本当に治療するんだ。シルビアも、そうで。だから文句が言えない人が多い」
「最も錬金術師らしいな。望みは叶えているんだから、等価交換を頂くだけか」
しかし、断ったら無理矢理奪い取るのだから脅迫と一緒だ。殺された彼女たちは、あくまで屈服しなかったから、殺された。
待っていた物が死でも、その生き方はとても美しくて誇っていいものだと思う。
「あいつらの話は実に危険すぎる。軍部に引き渡されているが、君はあそこにはいなかったことにしたまえ。踏み込んだ時にいたのは可哀相な一般人の女性で軍とはなんの関係もない。いいな」
「……わりぃ」
素直に感謝の言葉を述べる。
エドワードがあの場所にいたことがばれ、フェルテンがもし全てを喋ったら自分は追われる身になるだろう。大佐は、鋼の錬金術師は知らない、あの時いた女性は一般人で不明だ、と言い張るつもりなのだ。
「それで、その……教祖のことだが」
「ん?」
大佐は、そこまで喋って何か躊躇いがちにテーブルに置いたままの珈琲の水面に視線を落とす。
「とりあえず、口は使えないはずだから余計なことを喋ることはないのでいいとして、本当は消し炭にしてやろうかと思ったのだが、それでも飽き足らないし、どうにかして生きながら苦痛を長く味あわせるいい方法はないかといろいろ考えてはいるのだが、どれもこれも生温い気がして、あんなものでは君が受けた苦痛にはやっぱりほど遠」
「――――待て。大佐、ちょっと黙れ」
珍しくも混乱している上にその状態に気がついていない男は、素直に口を閉じて顔を上げた。
「なんだその口は使えないはずだからってのは」
「ああ、舌を焼いたから多分喋れないよ。あ、そういえば手足は火傷しかさせてないな……しまったな…あれだと筆記が出来るな……」
ううん、と考え込んでしまった男はこのまま放置していたら「ちょっと今から焼いてくる!」とか明るく殺人に向かいそうな勢いがあった。
はあ、と大きく溜息をついたら、大佐は妙な誤解をしたらしい。
「……すまない、この話題はやめよう」
「いや、そうじゃなくて……あんた、多分誤解」
「誤解?」
大佐の表情が少しだけ緩んだことにほっとして、頷いた。
おいでおいで、と手を出して呼んでみる。こんな子供に呼ばれたら普通は気分が悪いだろうに、男は立ち上がって素直にベッドに腰掛けた。
「何もされてねえよ。俺が逆に蹴り倒して縛り上げたくらいなのに」
「………え?」
「服はたしかに破られたけど、それだけ」
まだ信じ切れていないらしい疑いの視線に晒されたので、珍しくもにこやかに笑ってみた。エドワードとしては、大佐に信じて貰うための笑顔だったのだが、どうやら男に軽いダメージを与えたらしい。
目が大きく見開かれて、形の良い眉が少しだけあがる。
「……鋼の」
物騒な気配が一気に柔らかい物になる。ベッドに腰掛けた男は、エドワードの手に軽く触れた。治ったばかりの右手を引き寄せ、己の頬に擦りつける。
「正直に言ってくれ。本当に何もなかったか?」
「……変なことはされてねえよ。される寸前にあんたが来たんじゃねえか」
あのまま大佐が来なかったら、だるまにされるか、もしくは犯されていただろう。エドワードの抵抗を削ぐためだけに。
「……ありがとう」
小さく、やっと感謝の言葉が出た。
少し照れくさいけれど、嬉しかったのは本当だ。あの地下で、一人で鎖で繋がれて、錬金術も使えなくて。
笑って誤魔化そうとしたのに、視線の先の大佐は逆にどこか泣きそうな表情をしていた。
そのまま首の後ろに手を廻され、引き寄せられる。
不思議と、暴れるつもりにはなれなかった。
分かってしまったのだ。
「ああ……あんたも、不安だったのか」
「当たり前だろう! 私とアルフォンスがどれだけ心配したと思うんだね。君は全く助けを求めてくれないし。悲鳴が聞こえた時には、耐えられなかった。アルフォンスがいてくれなかったら、多分すべてが灰になっていただろうな」
止めてくれ、と後ろのアルフォンスに頼んで突入したのだと言っていた。
突入するのに止めてくれとはおかしな話だが、そのくらい自分の自制心に自信がなかったのだと男は言う。
「よかった……」
いつも堂々として、サイゴンに押し入った時にでも清冽な黒瞳を崩さなかった男が、らしくもないか細い震える声で呟いた。
掻き抱かれて、胸が苦しい。けれど、触れる体温は暖かくて、心が安堵の羊水に満たされる。言葉にされなくても、大佐の愛情が指の先から伝わってくる。指が金色の髪を梳くように撫でた。心配したのだと、接触する全身がエドワードに教えてくれていて、なんだか、この子供みたいな男が愛しくてたまらなくなった。
「大佐、おおげさ……」
いいつつ、高揚する頭を止められない。そこまで心配してくれたことが嬉しかったなんて言ったら失礼だからいえないけど、抱きしめられているのも嫌ではなくて、ゆっくりと背中に手を廻した。
まずいなあ、と思いつつもどうも恋しくて仕方ない。
擦り寄るように胸にくっついたら、ますます暖かくて困った。
「でもさ」
「ん?」
「――なんで悲鳴が聞こえたんだ?」
「…………」
ちょっと幸福に酔っていたが、忘れているわけではなくて。
思いっきり気を抜いていたらしい男の身体が密着していた部分から確かに強張った。
「あー、あれは……」
「あれは?」
「発信器の機能もついてはいるのだが、……盗聴機能も持っていてな」
「なんだって?!」
一気に身を剥がすと、気まずそうな上司は必死で青年の主張を訴える。
「君のことだから本当に助けを呼ぶかどうか分からないじゃないか!だからといって盗聴してるなんていったら絶対に嫌がるし。いいだろう、おかげで間に合ったんだから!」
「ぐ……」
そこを言われると弱い。
仕方がないから今回だけは許してやろうかなと少しだけ考えたのに。
「だがな、エドワード。だからこそ分かるんだ。君が何を隠しているかをね」
「――――――――――」
今度は、硬直するのはエドワードの番だった。
同時に沸いたのは、軽い諦めだ。そう、賢しいこの男が、盗聴器を仕掛けたと言った時点で、覚悟はしていたのだ。こいつはおそらく、気がついているのだと。
「な……んだよ、隠すって」
それでも、往生際悪く、しらを切り通す。だが、放たれる言葉は、おそらく己の首を絞めるばかりだろう。
上等だ、とばかりに濃紺の瞳がエドワードを射貫く。
「……君はその腹の中の石をどうするつもりだ?」
容赦のない詰問は、やっぱり、子供の首をくるりと締め上げた。
(続く)
