黒の祭壇

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Emptiness is conceived - 13(完結)

 正直エドワードはそれなりに、気合いを入れて、根性も据えてその場に臨んだ。
 大佐からの前情報ではどんなセクハラ言葉を言われるのかよく分からなかったが、とりあえずはこちらが発狂しそうな変態な事をされる可能性もなきにしもあらずだったのだ。

『君はその偽胸があるから別に揉まれても問題ないだろうが、下半身でも触られたらさすがにまずいだろうから気をつけろよ』

 などと至極真剣に男は言ったが、なんとなくその目は興味津々でエドワードの上半身を見ていて、おまえの方こそセクハラだと口まで出掛かったものだ。

 だから、連れて行かれた病院の診察室みたいな部屋で、担当だという中年の男性がぺこりと頭を下げたのには少々拍子抜けした。
 どんな脂ぎったスケベそうな親父が出てくるものかと思っていたのだ。
 白衣を着たその男は、なんとなく頼りなさそうで、エドワードが軽くほっぺたを叩いたくらいで泣き出しそうなくらい覇気がない。

「あ、座って座って」

 目の前の診察用の椅子を促され、すとんとそれに正直に座る間も、エドワードはそれはなにかの間違いじゃないのかと男が不審がられない程度に観察していたのだが、やはり医者みたいな担当の男は、少し年齢の割には早すぎる気がする白髪交じりの髪を撫でて、カルテのような物に何かを書いていた。

「いくつか質問をしますがいいですか」
「……はい」

 それは、まるで初診にかかる患者のよう。
 男の口からは、身長、体重、年齢、名前、今回ここに来た目的は?その機械鎧はいつからですか? なにか持病はお持ちですか?
 ……などの、本当に健康診断のような常套句ばかりしかでなかった。
 ここは、エステじみたものであるはずで、病院ではない。だからついつい戸惑いながら答えているエドワードの不安を察したのか安心させるように担当の男は微笑んだ。
 これも、また医者じみている。
 患者の不安を募らないように、男は笑うのだ。

「貴女の不安も分かりますが、大切な女性の身体に関わることなのですから、事前に健康状態を聞くのは当然ですよ。美容ということにかけては私たちもある意味医者と思ってくれて良いですから」
「……はあ」

 気味が悪いくらいに平穏。
 喜ばしいことなのに、何故かそれ自体が歪に思える。
 けして変態行為を望んでいるわけではなく、万事普通に教祖様に会えるのならそれでかまわないのだから、エドワードのこの居心地の悪さこそがおかしいのだ、ほんとは。
 でもきっと杞憂だったのだ。シルビアのあの躊躇いはきっと教祖が頭がおかしいとかそういう理由で、最初の診察ではなんてことないのだろう。
 セクハラがどうのこうの、と言うのも誇張された物に違いない。

「じゃあ、立って。服を脱いでください」

 そうだそうだ、と己を納得させようとしたところに、その声は振ってきた。
 ひやりと脇腹を汗が走る。

 ついに来た。

 そう思ったのだ。

 そうだ、そうこないとおかしい。だって男はセクハラするって言ったじゃないか。冗談じゃねえふざけるなと大佐に言われたときには思ったがある意味ほっとしているのはなぜなのか。悪人と思いこんでいた人が悪人ではなかったら、安心すると同時にそんな奴を疑ってスミマセンという罪悪感が生じる。その罪悪感が消えたからか。

 でもだからって嬉しいわけではない。
 やっぱりなという妙な余裕を見せないようにしつつ躊躇いがちに顔を上げたら、担当の男は、ああ、とエドワードの前で手を振った。
「誤解しないでください。妙な意味ではなくて。貴女の望みは機械鎧を普通の手足にすることでしょう……?」
「そうです。出来るわけないと思いますが」
 嘲笑とともに吐き出す。
 さすがにそれは無理だろう。だがエドワードにはそれ以外にこの場所に入る理由が思い浮かばなかったので、機械鎧のせいだということにした。
 最悪それは無理ですと門前払いされたら、教祖様に一回合わせてくれと懇願するつもりだった。
 この辺の訳の分からない詐欺師なんかにどうにかできる腕ならきっと二人はとっくの昔に手足を戻しているだろう。
 軽蔑めいた顔が男には見えたのか。

「できますよ」

 と、まるで四則演算を解いたみたいな気軽さで、きょとんとエドワードに答えた。

「――――――――――」
 肝が絞られたのは久しぶりだ。
 エドワードの鼓膜はそれを聞いたにもかかわらず脳は否定しようと無駄な抵抗をしている。

「……な、ん……だっ……て?」
 思わずいつも通りの口調になったが男はそれには気がつかない。
「できますよ。あの人なら。多分。実際手首から先が機械鎧だった少女を治したことがありますし」

 そう言って、男は手首の先がこんな機械鎧でね、こうしてこう、と当時のことを説明し始めた。

「――――馬鹿な」

 こんな簡単にそんなことができるはずがない。
 自分と弟がどれだけの犠牲を払って探しても未だに見つからない手足の復元方法なんだぞ?
 その為にはあの扉を開けねばならない。何の犠牲もなしに、それができるはずなんかない。ここで簡単に見たこともない男がそれを行えるのなら、今までの俺達の努力はなんなんだ。
 自分達が数年を掛けて到達できない物に、あっさり到達している人間がいる、と男はエドワードに言うのだ。

「馬鹿な事じゃないですよ。教祖様なら出来ます。私はその治療している瞬間を見たことはないんですがね。ここで診察をした少女が数日後に機械鎧ではない白い肌でやってきたのを実際に見たんですから」
「……そん、な」

「あなたも、その噂を知ったからここまできたんでしょう? 信じられないのは分かりますが、そんなのは教祖様に会えばすぐに消えますよ、さあ、立って」
 未だ混乱から抜けきれないエドワードは、促されて無意識のまま立ち上がる。
 うそ、そんな、馬鹿な。
 
 正直エドワードは教祖様の神業とやらにはなにも期待していなかったのだ。賢者の石がそこにあると思いながら、正体は小物だと思っていて、せいぜい鳩を何もないところから飛ばすくらいのコーネル程度の能力のものだと。

 でも、そうだ、賢者の石を持つのなら。

 本当の賢者の石を持つのなら、扉を開けて機械鎧ではない普通の腕を取り戻すことも、きっと簡単なのだ。
 情けないことにそこに至るまでには少々の時間が必要で。
 慌ててエドワードは首を振った。

 ……惚けている場合じゃない。
 ますますそれに近づいたと、今は感謝をする時だ。
 立ったまま呆然としているエドワードの頬をぺちぺち、と男が叩きそれでエドワードは覚醒した。

「起きてます? びっくりしてしまうのは分かりますが、とりあえず服脱いでください」
「え……あ、……」

 そこで、さきほどまでのセクハラの言葉が戻ってくる。
 嫌らしい笑いは男にはなく、白衣を着て両手を腰に当てるとそれこそ医者のようにふむ、と言った。

「……どうも、悪い噂を吹き込まれてきたようですね」

 ぎく、と身が強張る。
 悪い噂を教えた大人。
 ふん、と皮肉下にこちらを見ている漆黒の男が脳裏に浮かんだ。
 今この男の存在を気取られるのは得策ではないと頭が瞬時に判断したのだ。冷静に考えればそんなはずはないのだが、エドワードはあまりのことでやはり冷静さを失っていたらしい。

「……いいですか、服を脱がすのは機械鎧と皮膚の境目の部分を確認するためです。これがそれこそ指一本なら服を脱げなんて私も言いませんよ。貴女は足と腕と、かなりな部分を機械鎧で補っている。服を脱いで貰わないと継ぎ目が見えません、それだけです」
「――あ、は、はい」
 馬鹿げた心配をするな、自意識過剰だ、と言われたようで、なんだか急に恥ずかしくなった。

 慌てて服を脱ぐ。
 男の視線はやはり絡みつくような物でも何でもなく、これなら普段の大佐の方がよっぽど目線がやらしいんじゃないかとか思うくらいだ。

(……考えすぎか)
 上も下も全部脱いで脇の籠に放り込む。
 一応、羞恥心というものはエドワードにだってあるのだが、相手が医者と思えばそれも耐えられる物で。
 なんだか思わず息を吐いたエドワードの肩をまじまじと眺めた男は、その右腕を取った。
 
 上げて、下げる。

 その度に機械鎧はカシャカシャと音を立て、男はその生身とくっついた部分の鋼を手で触って弄った。
「……」
 別に壊そうとしているわけではない。
 単純に調査なのだと言うことは分かる。だからエドワードもそう男が近寄ると自然に自分の胸が男の視界に入ると言うことを考えないようにした。

 これは診察。こいつは医者。
 俺は患者で、別に男は変なことをするわけじゃない。
 恥ずかしがって逃げたら、それこそ何を意識しているのだろうかと思われる。

 今度は椅子に座らされて、下半身の鋼の部分を曲げたり伸ばしたりと同じ事をされる。
 流石にパンツまで脱いではいないが、一応女性物を着けてきて正解だったなあと妙なことを考えた。
 最後にエドワードの足を元に戻して、屈んでいた男は立ち上がる。
 椅子に座って見上げるエドワードに、男はその顔を見て、ああ、と溜息をついた。

「服着ていいよ。お疲れ様」
「……はい」

 本当に、全く、大佐の心配していたセクハラ行為など何もなくて、拍子抜けするがほっとした。
 何処で聞いた噂だか知らないが、大佐も案外たいしたことねえな、などとシャツに腕を通しながら考える。
 少なくともエドワードの今のサイゴンに対する印象は悪くはない。それこそ美容外科みたいな感じで終わりそうだった。
 最後にスカートを履いているエドワードの背中に、

「……もったいない。気持ち悪い機械鎧なんてなければ、少々遊んでやったのに」

 なんて声が掛かるまでは。

(続く)