黒の祭壇

黒の祭壇

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Emptiness is conceived - 27(完結)

 目の前には地獄に向かうかのような細い階段が闇に向かって一直線に伸びている。
 うっすらと灯りが地面近くに灯されていて、しっかりと下だけ見ていれば足を踏み外すことはない。
 階段は一人がやっと通れる程度で、これでは大人数で押しかけて制圧することなどできないだろう。
 気づかれないように上を見たら、頭上数メートルの壁には四角の穴が開いていた。侵入者にはあの上から石を落とすなり、熱湯を流すなりするんだろうか。
(きなくせえな……)
 教祖様に会うのにはそこまでのガードが必要なのだろうか。
 正確には教祖の持つ賢者の石なのか。
 奇妙な気配がすればするほど、真実に近づいている気がして自然、緊張と期待が表れる。

「ここを降りていってください。一人でね」
「地下室ですか……」

 着替え終わった後に戻ってきた男は、エドワードを本棚の前に連れて行くと、本棚を横から押した。
 そして出てきたのがこの階段というわけだ。

「階段を降りきったら扉がありますから。そこで教祖様がお待ちです」
「……はあ」

 優しそうに言われても、こんな気味悪いところを降りるのに分かりました、それでは! と明るく答える人間がいるのだろうか。
「次に貴女に会うときには、綺麗な手足になっている事を保証しますよ」
「……」
 忘れそうになっていた目的を口にされて、思わず見上げると、男は微笑んでいた。安心感を与えようとする笑み。
 エドワードには全てが計算にしか思えない。
 だが不安感でいっぱいの女性にこのタイミングでその台詞を告げるのは効果的に過ぎる。彼女たちがここまで来る覚悟を思えば、不安を蹴り飛ばすには最適の言葉だろう。
 だったらエドワードもせいぜい騙されてやるしかない。
 靴も脱がされたので、素足で階段を降り始める。一歩降りる毎に、ぺたぺたと生の足と機械の足が石の床に当たる変な音がした。
 足下が暗いので、壁に手を着くと、ゆっくりと。
 十歩くらい降りたところで、ふと振り返ると、男はまだ微笑んでいた。
 太陽の明かりが男の背後から差し込んできているおかげで、まだ自分がこの世界から切り離されていないような錯覚を覚える。
 もう一度前を向いて、又ゆっくりと足を出した。
(そういえば、こんな格好で、下着もつけずにこんなところに放り込まれたら、普通は)
 考えないでもなかったが、そこまでするかな、と正直疑いたいところで。

 だが、その瞬間、背中に感じていた暖かい光が一瞬にして消えた。
 同時に階段全体を揺らすような石が激突する衝撃音。
 ゴトン、という音がした瞬間に、まわりは深淵の闇に包まれた。
「……やっぱりな」
 舌打ちをして振り返るが、そこにはもう光など見えず。これから先に続くものと同じ闇が横たわっている。

 男の姿はない。
 本棚は閉じられた。

 すなわち戻り道は塞がれ、彼女たちは慌てて階段を駆け上がる。
 どうして、開けてと叫んでもおそらく答えはない。男はそこからはもう消えているだろうし、叫び泣き疲れた少女達は結局、階段を降りるしかなくなるのだ。
 鮮明なまでに予想がついたので、階段を駆け上がるなんて馬鹿な真似はしなかった。
 じわりじわりと帰り道を塞いで、ただ一つの場所に行くように強要される。
 面倒くさくなって階段を駆け下りた。
 足下は確かに暗いが、動体視力はいいので本当はこんなもので転けやしない。
 奴の目があったので、せいぜい少し不安そうな少女を演じていただけだ。
 最後は三段とばしで走ったが、それでも結構長かった。

(しまった、数えときゃよかった)

 帰るときにどのくらいの距離か予測がつくっていうのに俺ってば。
 やっと見えた平らな床に両足をつければ、たしかに目の前には石の扉があった。
 ドアノブに手を伸ばしたが、その状態のまま立ち止まる。
 ぜいぜいと息が荒くなっていて、これではまともに発声もできない。
 心の準備なんて可愛らしい物ではなくて、単に今話しかけられても答えられないであろうからという理由だ。
 暫くしてやっと呼吸が治まる。
「うえー、疲れた」
 いろいろと裏でやばいことをしているのは分かるが、これだけ階段が長いと教祖達も大変だと思うんだが。あがるのに。
 緊張感の欠片もなく扉を開ければ、待ち望んでいた光がやっと漏れてきた。

「……驚いた」
 エドワードが扉を後ろ手に閉める前に、そんな声が飛んできた。
 早く光の中に入りたくて、声は無視して扉を閉める。
 この扉には鍵はついていない事を確認した。まあ逃げてもあそこが閉まっている限りどうにもならない。
 待ち望んでいたはずのサイゴンの中枢。
 思ったよりも小さな部屋だった。
 全体が白い。壁も床もエドワードの顔が見えそうなほどの透明な輝き。
(……大理石)
 ガラスかと思ったが違う。
 部屋の中央には応接室のようなソファー。だが応接と違うのはそこには机がないことだ。長ソファーに足を組んで座っていた男。
 これがおそらく教祖様とやらなんだろう。

 ――――若い。

 第一印象はそれだった。
 おそらく大佐より若い。未成年かもしれない。
 エドワードと同じくらいの明度の金髪。
 立ってないので身長は分からないが、足の長さからいって、おそらく二メートルは近い。
 髪が短く切りそろえられているせいで、輪郭の形がエドワードにもよく分かる。
 丸い眼鏡を掛けて、こちらを観察するように見つめる瞳は冷酷そうなのに人なつこい猫にも似ている。
 彫りの深すぎる顔立ちは、アメストリスでは珍しい。ひょっとして外国人かもしれない。
 威厳だけはまるで老人のようなのに、外見が幼いせいで、判断に苦しんだ。

 そもそもこれが教祖なのだろうか。
 案外ただの案内人だったりして。

 戸惑ったエドワードの感情は仕草に出ていたらしい。
 少年はくく、と笑った。外見に似合わぬ老獪な笑みで。
「面白いなぁ。ここをあんなに駆け下りてきて、緊張一つせずに扉を開けた女は初めてだ。ますます気に入った」
「……あんたが?」
「そう。僕がサイゴンの教祖。初めまして」
 すっく、と立ち上がって分かった。
 やはり二メートル近い。
 ハボック少尉をこんな時に思い出した。でも彼の表情はもっと、こう優しくて綿毛みたいにほわほわしている。
 この男の瞳の奥みたいに凍り付いたりしていない。
 かなりの色男だ。だが無性に気にくわない。
 ぐ、と拳を握ってその苛立ちを隠した。

 まだだ。
 まだ、賢者の石にお目にかかっていないし、何も喋っていない。
 直感的に嫌だからと殴り飛ばすわけにはいけない。
 静かに部屋を見回せば、入ってきた扉とは別に教祖の後ろに扉が一つ。後ろは行き止まりなので、最悪あちらに走って逃げることもできるわけだ。
 素足に伝わる冷たい石の感触は、エドワードの精神をまともにするのに一役買ってくれる。
「……教祖……様?」
 様、だなんて鳥肌が立つが不安そうに両手を握って見上げれば、男は安心させるような笑みを敷いた。
「フェルテンでいいよ。ええと……エドワード? さん」
 こくりと頷く。
 フェルテンは一歩ずつ近寄ってくる。ああ、なんかとても後じさりたい気持ちになるのは何故だろう。
 笑みは暖かいのにこの威圧感こそがこいつを教祖たらしめている要因なのだろうか。

「女性の名前じゃないんだ」
「普段は男性の格好をしているので、男性名で通してるんです」
「なるほど」
 単に女性の名前を使うのが苦手なので本名で通しただけなのだが、男はあまり気にしなかったらしい。
 左手の親指で、薬指に填められている指輪を撫でた。
 ――畜生。
 悔しいことにこの指輪が、結構支えになりやがる。

「君の願いはこの機械鎧を元の手足に戻すことだったよね、たしか」
「……っ!」
 目の前にまで近づいた男は、許可もとらず、ぐい、とエドワードの右腕を引き寄せた。
 鋼の手首をかたかたと鳴らして、男は鎧の接合部を確認している。
 身長差がありすぎるので、腕はほぼ直角にあがっている状態だ。
 本人自覚がないのかもしれないが、あまり引き寄せてくれるとこちらの足が浮きそうになる。
 ふーん、と眺めながら、フェルテンは背伸びしてなんとか転ばないように頑張っているエドワードの顔を上から覗き込む。

「処女で初潮がまだだって?」
「――――!」
 コンマ一秒で頭によぎった、殴りたいという言葉。
 この手を振り払って両手を打ち鳴らして、原型を留めないぐらいにぼこぼこに殴りたかった。
 わなわなと震えて耐えるエドワードをフェルテンは誤解したらしい。
「ああ、ごめんね。恥ずかしいよね」
「……それが、一体、何の関係が……」
 ぐう、と詰まりながら睨み付けるとフェルテンはけたけたと笑う。
「いや、僕が一番欲しいのは処女で初潮が来てない十代の女なんだよね」
「……………」

 ぞく、と悪寒が襲った。
 それは本能的な嫌悪感だ。
 人なつこそうに笑い、見た目は若いが、この男の本性は真っ黒だ。
 旅先でいろんな人間を見てきたエドワードは人を見る目はあると思っている。

「君の機械鎧を普通の腕と足にしてあげるよ」
「……まさか」
 怒りと気味の悪さがこれ以上の演技を奪う。
「できるわけねえだろ」
 吐き捨てるように呟くのも、嫌悪感をあらわにした顔で見るのも本当は得策ではない。分かっていたけれど、こんな、女性を物のように扱う台詞を言われて我慢ができるわけもなかった。
(……大佐に、また怒られそうだな俺……)
 堪え性が足りないと殴られそうだ。

「出来るよ。その代わり、君に一つお願いがあるんだ」

 ほらきた、と身構える。
 ちなみにセックスさせろとか言われたらとりあえず殴るか蹴るかして賢者の石の場所を聞き出そうかな、とかここに来る前から考えていたんだったりする。

 両手を鳴らすのも近いのかと、拳を握った。

(続く)