黒の祭壇

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月に村雲、花には嵐 - 21

「あ、中尉ー!」

 ぱたぱたと軽い足音を響かせて、ハボックの後を追いかけてきた少女は、日差しを避ける帽子を片手で押さえつつ、青いビクトリアンドレスの裾を翻して、思わず振り返ったハボックの腕をえい、と掴んだ。

「あー、よかった、追いついた」
「……大将」
 少しだけ息を切らせて、軍部の玄関でハボックを引き留めた少女は、プリーツの裾から出ている白い足に隣を通り過ぎる男が目線を向けていることになんか気づいてもない。

「どうしたんだよ。そんなに急いで」
 というか、二日間どこにいたんだと聞きたくなったが、それはなんとなく、今日出勤した上司のなんだか憑き物が落ちたような顔で、聞かずとも分かったような気がする。

「………」
 思わず上から下までまじまじとエドワードを観察してしまった。
 今日は下ろされている髪は、上から下まで同系色で統一されている。
 髪留めの色も服に合わせた青色で、靴だけが茶色だった。
 ワンピースのスカートは透けた素材で、ぎりぎり太股のラインが分かる。タンクトップ以上に肩を露わにした上半身部分は、緩い紐一本で背中と前をむすんでいるだけだ。

「え、なに……?」
 そんなハボックの視線に、なんだか奇妙なものを感じたのか、帽子を両手に持ったエドワードがハボックをおそるおそる伺う。
「なんか、変だった?俺」
「いや、別に」

 今日も相変わらず可愛らしくて、美しいですね。との感想は心の中で留めておくことにする。

「あのさ、中尉。一昨日はごめんな、突然消えて」
 そんなことを言いながら、一緒に軍部に入ろうとするので、ハボックはその腕をひっつかんで慌てて建物の影に連れ込んだ。
「わ!」
 突然のハボックの行動によろけそうになりながらも、少女は黙って着いてくる。
「なに、なんなんだよ」
「いや、あそこで話をするのはまずいだろ」
「なんで?」

 説明するのは面倒くさいので、しないことにする。
 鈍い少女はどうせ気がついてないし此処で説明してもきっときょとんとしているに決まっている。
「中尉、なんか話があったんだろ、何だったのかなと思って」
「…………」
 実に律儀に、エドワードはそれを気にしていたらしい。

 もうそんなことはどうでもよいのだ。どうせ……なあ。
 普段なら露出を嫌う准将が、こんなひらひらの服を着たエドワードを平気で放置しているのだから、その目的はしれようというもの。
 だいたい、背中の肩胛骨の部分に一つ、彼女はきっと気がつかない場所、そして万人から見える場所に咲いている赤い鬱血を見れば、何があったかなんて、聞きたくもない。

 とりあえず、俺は。

 あれだけ仕事を光速で進める准将は初めて見た。しかもどんどん持ってきたまえ、とか言っていた。ありえない。

 最初はどうしようかと思ったが、大将も准将もどうやら収まるところに収まったようでほっとする。
 二人が険悪だと、その火花はここまで飛んでくるのだ。
 よかったなあ、と思う気持ちと同時に、少しだけ寂しい気持ちが襲ってきた。

 赤裸々すぎて誰にも言えませんが。

 もう処女じゃないんだ、とか思いました故郷の母さん。

 だからどうってわけじゃないんですが。

 それをエドワードに問いただすわけでもないんですが。

 なんか、妹が嫁に行ったような気分です。


「あーあ」
 がっくり項垂れると、エドワードの頭を撫で撫でと触る。
「もう、浮気の調査なんかしないんだろ?」
 多分、必要はないはずだ。
 探偵はお役ご免だな、と笑ってエドワードを見たら、少し肩を竦めてハボックのそれを甘受しながら、エドワードは首を傾げた。
「なんで?」
「なんで、って……だって、大将、もう准将の浮気を許す理由なんかないじゃ……」

 やばい、と口を閉じたが遅かった。
 不思議そうだったエドワードの顔が、目の前でみるみる蒼白になっていく。
 帽子を両手で握り締めたままだが、その帽子に掛かった指に力が入っていくのがハボックの視界にはっきりと映った。

「――――なんだって?」
「……なんでもありません」
「嘘つけ!」
 今度は頬を朱色に染めた少女が、わなわなと震えて帽子を握り潰す。

「な…、な…、な…!」
「あー、いや、その…な、まあ、よかったじゃないか。准将幸せそうだし」

 ダメだ、絶対こんな言葉でエドワードの羞恥は消えない。分かっているが、適切な言葉を思いつかない。
 半泣きで帽子をぐしゃぐしゃにする少女に、ハボックの脳にはひたすら、拙いという言葉だけが浮かんできた。
 あまり大事になればきっと、その窓の上辺りから植木鉢の一つでも落ちてくるかも知れない。半泣きの少女が、完全に泣いたら、アウトだ。

「それに今更、大将の背中のそれ見たらもうばればれなんだしさ…!」

 だから、気にするな、と言ったつもりなのに。
 

 後になって思うと、あの時にあんな台詞が出てしまうから俺はいつも女に振られるんだろう。



 司令室の窓ガラスが巨大な爆発音と共にすべて破壊されたのは、その三十分後。
 ハボックが地面に吹き飛ばされている大漁の書類を抱え上げて渋々階段を上がる姿が目撃されたのはそれから又十分後のことだった。
 

(終わり)