Emptiness is conceived - 34(完結)
頭が一瞬にして凍り付いた。
蒼白になったエドワードの視線に気がついたフェルテンはげらげらと舌を出して笑う。
「心配しなくても、オカしたりなんかしないよ」
「……」
それはどうもありがとうと言うべきなのだろうか。だが男がそう言うのは優しさなどではない。単に必要がないからだ。
この狂気の男の事がだんだんと分かってきた。
こいつのやることは、たとえそれがどんなに残酷でも極悪なことでも、苦しめるためにやっているわけではない。単に必要だからだ。
よって必要がなければ行わない。
犯さないと言い切ったのは、その必要がないからだ。賢者の石を揺り動かす必要がない。石があることが分かっているなら、それでいいのだ。
「……今まで、ここに来た人たちは、どうしたんだ?」
「ん? 君も知ってるだろ、シルビアに紹介されたなら」
「でも……」
彼女たちは願いを叶えて貰い、ここを立ち去った。ならばどうして、シルビアがあんなに辛そうな顔をして送り出してくれたのか。
処女かどうか、と聞かれるのか。
おそらくそれは……
「人聞き悪いなあ。あれは彼女たちも同意の上だよ? 合意してないなら、僕達とっくの昔に訴えられてるもん。身体を治す、機械鎧の手足を戻す。その代償に一回抱かせろって言ってるだけじゃない。なに? いけないの?」
気がそがれたのか、フェルテンはエドワードの上から退く。
芝居みたいに手を振って、不満げに言った。
手足が少しだけ自由になる。起き上がると、子供みたいに拗ねているフェルテンをじっと見た。
「それで? 確認した上で賢者の石を持ってない女は願いを叶えて地上に帰したってことか?」
「そうだよ。悪いの?そりゃやろうと思えば女を攫ってきて身体を確認した後放り出してもいいけどさ。そんなことしたら掴まるじゃない。僕は少しでも長くたくさんの女性の腹の中を確認したかったんだから逃げ回るのなんか嫌なんだよね。それよりは、願い事を少し叶えてやるだけで女の子があっちからやってきてくれるんなら、願ったりかなったりだよ」
「…わかんねえ。女の人抱くことが、どうして賢者の石が起きるってことに繋がるんだよ」
単に、それだけのために。
腹の中に求める石があるかどうかを確認したいフェルテンの為に彼女たちは身を投げ出した。シルビアは……恋人以外に身を捧げても、あの肌を治したかったのだ。
それはとても、辛いに決まっている。
だからできれば行かないで、と彼女はエドワードに言ったのだ。
『彼女たちも同意の上だよ?』
ああ、その通りだ。
嫌なら断ればいい。だがOKをしたのは彼女たちだから。だからこそ今までサイゴンは訴えられずにこんな怪しい状態ながら継続してきた。
胸の痛みと引替えに、貰えるものが大きかったせいだ。
だが。
人の弱みにつけ込んで、女性の心に傷をつける。いくら合意だと言われようとも、納得できるほど大人じゃなかった。
「断った人だって、いただろ」
「ん?」
ぎゅう、とシーツを握り締めて睨み付ける。
「そんなこと、されるぐらいなら別に治してくれなくてもいいって言う人。いたんじゃねえの?」
「――――もう、治してやってるのに?」
くい、と唇の端を奇妙に歪ませて、軽蔑じみた瞳でフェルテンはエドワードを見つめる。馬鹿な女だ、と視線が言っていた。
「彼女たちの最大のコンプレックスを解消してやったんだ。その後に抱かせろといって拒んだバカはじゃあ、元に戻す、と宣言してやるだけさ。実際に元に戻した後は楽しいよー。ごめんなさい、って謝ってきやがるからな、あいつら」
わはは、と蟻を踏み潰す独裁者の如く笑ってフェルテンは立ち上がった。ベッドから降りると側の椅子に座り込む。
「それでも、嫌がるバカにはもう一度身体を綺麗にしてやって地上に返したよ。一ヶ月ほどその生活を堪能させて、聞きに行くんだ。元に戻すけどいいかな、って」
すう、と血の気が引いた。
男が楽しげに喋っている内容の残酷さに鳥肌が立つ。
一ヶ月だけ、アルフォンスを元に戻されたらエドワードならどう思うだろう。そして一ヶ月後に鎧に戻すよ、と人がやってきたら。
……それは、あまりにも、悪辣だ。
「そこまでして……なんで」
「簡単。賢者の石は子宮を揺籃だと思ってるから。刺激されるとなんらかの反応を返すのさ。だから抱くのが一番早い。泉の石に手を触れると反応するはずだけど、試した訳じゃないから確証はないしさ。反応がなかったからって解放して、ほんとは腹の中に持ってたら悔しいじゃん。まあ保険?」
首を傾げて言われても、内容が酷すぎて楽しくもない。
「だから、処女か」
「そう。一度も男を受けいれてなければ、揺籃の可能性高いだろ? 一回でも抱かれた女なら、相手の男が気がつかないわけがない。それどころか、刺激で暴走してどうなっちゃってるかわかんないしね。相手の男かその女、死んじゃってるかも」
「……単にお前、スケベな教祖なのかと思ってた……」
頭を少しだけ抱える。スケベな教祖の方が良かったと思うのはおかしいだろうか。
色ボケ教祖なだけなら、対策を取るのも簡単だ。バカは勝手に自滅する。
だが、こいつは頭が悪いわけではない。計算の上で全て行われた行動ならば、エドワードの考えだって読んでいる気がする。
エドワードが錬金術師なのはばれている。今俺が使えないようにされているのも確認するまでもない、こいつの仕業だろう。どういう仕掛けかしらないが、それが分かっているから両手を拘束していない。
片足だけ塞げば部屋からは出られない。どうせすぐにここを立ち去るつもりなら、壮大な閉じこめ作戦など不要だ。どこだか知らないが、こいつらの本拠地とやらに連れて行かれた時には、ていのいい実験動物として監禁されるのだろう。
そこに連れて行かれたら、帰ってこれるとは思えなかった。
「……ホーエンハイムの、娘だって?」
机に頬杖を着いて、フェルテンはこちらを見ながら静かに呟いた。
その言葉で気がつく、そう言えば、こいつは親父と知り合いなのだ。
「あいつさ、僕が作ったこの賢者の石を奪いやがったんだぜ。君の腹の中に入ってるものだけが、母体に入れても母体を壊すことのない完成品だったのに!」
腹部をじろじろと眺められて、思わず腹を隠した。まるで子供がいるみたいな自分の行動にはた、と我に返る。
「あんたが作ったんなら、又作ればよかったじゃねえか」
「だって、僕はあの元のでかい石までしか作ってないもん。それ以降の加工はホーエンハイムがやったんだ。自分でそこまでやっておきながら、怖じ気づいたのかなんなのか、組織から石を抱えて逃亡するなんて、あいつ頭おかしいんじゃね?」
「………」
頭がおかしいのはこいつのほうだ。
さっきから、冷静になったりバカみたいに喚いたり、思考が一定じゃない。スイッチが頭の中で何度も切り替わっているような感じだ。欲望のまま、喰らいたい時には喰らい、むかつけば対象を殴り殺し、楽しいことがあればげらげらと笑う。
その心に、哀切だけは、ない。
「でもいいんだ、君が手に入ったし、あんな男もう、どうでも」
かた、と椅子が動く音がして、男はにこにこと微笑みながらこちらにゆっくりと歩いてくる。
一歩ごとにありえない冷気がこちらに触れてくる気がして、気づかれないように手を握り締めた。
絶対に、後じさってなんかやるものか。錬金術は使えない。この部屋からは出られない。非常に不本意だが、あの指輪しか頼れる物がなかった。
「なあ……指輪返してくれねえかな?」
「ん? ああ、忘れてた」
男は近づきながらごそごそとポケットを探し、指輪を取り出して眺める。
あまり間近で見られると仕掛けがばれてしまいそうで、ついつい追いかけそうになる視線を留めた。
「どうせ俺、これからどっかに連れて行かれるんだろ?だったらせめて、婚約者の指輪くらい持ってたい。頼む」
言って、手を差し出してみる。
砂を吐きそうな台詞だったが、構ってはいられない。こんなの大佐に見られたら恥ずかしくて撃ち殺しそうだ。
演技にはあまり自信がないが、片手を胸に当てたまま、自信なさそうにフェルテンを見つめるエドワードの表情は真に迫っているように見えたらしい。
男は近寄ると、ベッドの上に座ったままのエドワードの手首を取って手のひらに指輪を持っていく。
――そしてそのまま、肩を掴んで押し倒した。
「………!」
直前の行動で指輪が帰ってくる物と期待していたエドワードは、あっさりベッドに押しつけられる。
フェルテンは片手で肩を押さえたまま、片手でエドワードの首に手を掛けて、見下ろした。
ベッドのスプリングが軋んで荒い音を立てる。男が力を入れれば、エドワードは簡単に首を捻じ切られるだろう。
だが、するわけがない。死んで貰うわけにはいかないのだから。エドワードの唯一の武器は自分の命であり、それを知っているだけでも絶望感は払拭される。
「君が頭がいい女なのは分かるんだ」
「……な、にが……」
いくら殺されないといっても、首に手が当たった状況では、ついつい息が詰まる。掠れた声で睨むエドワードに男は苦笑した。
「ホーエンハイムの子供で錬金術師。馬鹿なわけがない。だから、指輪を返せ、なんて言われてもそれが婚約者の指輪くらい持ってたいんだ、っていう健気な想いなんかには――――どうしても思えないんだよね」
息を飲み込むのを必死で堪えた。表情が固まらないように、せいぜい驚いた顔をしてやる。ほんの少しでも図星という態度を取れば、この距離とこの密着度では気づかれてしまう。
「だから、これはあげられない」
「あ……」
指輪が男の手から離れ、床を転がっていく音がした。視線で追いかけるが、のし掛かった男の身体が邪魔で分からない。
それでも起き上がろうとするエドワードの肩を男は黙って押さえつける。
「殺すわけにはいかないけど、寝ててもらおうかな。君五月蠅いし」
ねえ、お姫様と呟かれて、頬を舐められた。悪寒は麻痺して、頭が白くなる。
びりびりと服の裾が破られていくのも、変に現実感がなかった。
さっき、犯さない、と言い切ったのは必要がないからだ。つまり必要があればするわけで。 抵抗する気力を削ぐには乱暴するのはよい手段だろう。身体と心に両方ダメージを与えられる。
それとも逃げ出す時に裸では逃げられないからと、服を破るだけのつもりなのか。どちらなのかエドワードには判断がつかない。
「……こうして、今までここに来た女の人もこの部屋で乱暴したのか?」
「失礼だなあ」
乱暴だなんて。合意の上だよと微笑む男。だが合意だなんて思っているのはきっとこいつだけだ。彼女たちにとっては合意なんかではあり得ない。
指輪はどこまで飛んでいったのか。だがもし手にとって助けを呼べたとしても、大佐が来るまで奴がのほほんとしているわけがない。
足を伸ばすと、じゃら、と鎖の音が絡まった。
ベッドに転がされた自分には、一人の男が肩を押しつけ、のし掛かっている光景しか見えない。
(……お姫様)
男はそう言った。
そう、たしかに錬金術を奪われ、鎖をつけられ部屋に軟禁されている自分はどこから見ても囚われの姫だ。
違うことと言えば、豪奢なドレスを着ていないことぐらい。
ふ、と回想する。
最初にこの町に来た時、いきなり大佐に会った。
賢者の石を求めて旅をしていながら、ほんとにこの町で身体が元に戻るなんて、思ってなかったんだ。きっと。
ちらりと目を向ければ、押さえつけられた右肩はしっかりとその痛みを感じている。鉄の冷たい間隔ではない復活した肩と腕は、男の手のひらのぬくもりを知覚して脳に伝える。
……こんなことになるなんて、という台詞は、母さんを錬成した時にも出てきた。
弟があんな事になるなんて思わなかった。
母さんがあんな姿になるなんて思わなかった。
まさか、大佐に女だとばれるとは思わなかった。
足を少しだけ動かしてみる。男はそちらには興味がいっていないらしく、あっさりと動いた。視界からも見えないようだが、鎖が動く音がすれば気づかれる。
「……合意じゃない、って。抵抗した人はいるんじゃねえのか?」
「なに?」
顔をしかめつつ聞いてみると男の興味はそちらに行った。
「こうして押し倒されても、身体を綺麗にして貰ってもそれでも、絶対に嫌だって言い張った人だっていたはずだ」
「――ああ、いたよ。いた。そういうのも何人かいたなあ。馬鹿な女が。ここに来た時点で何されるかなんてうすうす感づいてただろうにね、ばーかな奴ら。あはははは!」
背骨が一瞬で凍結しそうなほど、『いた』という言葉は悪寒だった。
――違う。
この「いたよ」という言葉は、過去に対して投げられた台詞だ。
殺人犯が、覚えてない被害者の一人をようやく思い出した時。
ずっと昔に一度会っただけの人の事をぼんやりと思い出した時。
興味がない事例を、外から強制的に尋ねられた時。
その人達が、もう今は『いない』人だと知っている時。
「……その、人たちって……」
「捨てた。一応腹は掻っ捌いて確認したけど、やっぱりなーんもなかった。つまんないね」
「……………」
罵詈雑言すらも、出なかった。あまりに常識を越えた化け物の行動はもう、憐れとしか捕らえられない。
「……そして、燃やして地上に捨てたのか?」
「そうだよ。あれ、なんで知ってんの?」
きょとん、とそこだけ見たら子供のようにフェルテンはぽつりと呟いた。
『私はサイゴンの仕業でしかありえないと思っている』
そう、固い表情で弟と俺に語った男。
……大佐。
あんたは、やっぱり正しかった。
(続く)
