黒の祭壇

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Emptiness is conceived - 31(完結)

「い………、いた……! ……っ! 熱……!」
 それは、スイッチの入った換気扇のようだった。
 今までなんともなかった己の腹を慌てて押さえる。
 腹の中で換気扇がぐるぐると廻って内臓をちりじりにしているかのような激痛が、突然下腹部を襲ったのだ。
 石から離れて、腹を抱える。
「あ……っ、や、……なに……!」
 声はすでに吐息のように小さい。肺の機能まで阻害している苦痛は、腹から口まで漏れ出しそうだ。
 こんなに腹の中がぐちゃぐちゃにされているのに、何故吐血しないのか不思議に思った。
 その間も、下腹部を暴れる痛みは、エドワードの神経までも刺激する。手足がびりびりと痺れて、立ってなどいられず、膝を突いて倒れ込んだ。
 情けないのは分かっていたが、とてもじゃないが起き上がれない。
「………ぁ……」
 水にあげられた魚のように痙攣を繰り返して、エドワードは混乱する頭を落ち着こうとする。
 なのに腹から何か飛び出てくるのではないかと疑いたくなる痛みは、エドワードに空気を吐き出させるばかり。
 悲鳴すらあげられずに唾を必死で飲み込んだ。
「う……あ、……ああ……」
 毒薬を飲まされたらこんな感じなのだろうか。
 毒を胃に直接流し込まれて、胃壁が焼けているようだった。だが痛いのは胃ではない。もっと下。
 顔も動かせず視線だけおそるおそるむけると、そこは赤く光っていた。
「え………」
「ははははははははは! やっぱり君か!」
 目を見開くエドワードの前には、フェルテンが高笑いしながら立っていた。
 人がこれだけのたうちまわっているというのに、たがが外れたように笑い転げている。
 血走った瞳がぐるぐると動いて――――殺される、と何故か思った。

「待った……! 待ったんだよ! やっと見つけた!」
「――――――――――、痛っ!」
 横向きになっていた身体を無理矢理転がされて、仰向けにさせられる。
「な、何す……」
「うるさい」
 エドワードの悲鳴は男にとっては邪魔な騒音でしかないらしい。痛みで身体の動かないエドワードの上にフェルテンは馬乗りになり、思い切り服をたくしあげた。
「……………!」
 いきなりへそを人に晒す羽目になってしまい、本能的に恐怖する。なのに身体は痺れたままで、呼吸困難にすらなりそうだった。
「てめ……! どけよ!」
「……」
 男は答えず、エドワードの裸の腹に手を当てる。

 ――――尋常じゃない。

 鳥肌と、絶望的な悪寒が身を支配する。だって、変だ。
 さっきから気のせいだと思いこもうとしていたが、もう無理だ。
 どうして身体の中から赤い光が漏れ出ているんだ?
 人の身体は発光しない。電球でも突っ込んで転倒させないと無理だ。そもそもそんなことする奴はいないが。

 なにかある。

 心で確認する前に、悟った身体は涙をこぼさせた。
 なにかがあったのだ。ずっと、ずっと眠っていたのだ、自分の中で。
 ずきずきとした痛みは、まさに赤く光る腹から来ている。
 触れられなくても痛い腹を男は嬉しそうに撫でている。まるで赤子を撫でるように。

「はははははははははは」
 フェルテンはさっきから、壊れたように笑ってばかりだ。どうやらよほど嬉しいらしい。
「諦めかけてたんだ!何人腹を捌いても、全く目当ての女はいやしない! ――勝った、勝ったぞホーエンハイム!ざまあみろ!」
「――――!」

 呼吸が止まる。
 今発言された名前は、己が世界で大嫌いな父親の物ではなかったか。

「ホーエン……ハイム……」
「ん?知り合いか?」
 けたけたと笑う男はこの世の天国を満喫しているようで、茫然としたエドワードの呟きに楽しそうに問い返した。
「……俺の、親父」
「……………あいつは、息子だけって聞いてたが。……畜生、そういうことか」
 舌打ちすると、フェルテンは変わらずエドワードの上に馬乗りになったまま、ぶつぶつと愚痴る。
 そして、エドワードと視線があうと、腐乱しかけた死体のような気味の悪い笑みでねっとりとした声を出した。

「おまえを探してたんだ。ずっと。虚の器。真理の母。原始の揺りかご。……完成していやがったなんて」
「な…なんなんだよ!お前の言ってること意味わかんねぇ…!」
 腹には力が入らず、声は酷く頼りないものになった。殴り飛ばしてもいいだろうと心は命令するが、起き上がる腰の力は奪われている。
 ますます赤く光る己の身体が他人の物のようで。
 そして、ひたすらに痛い、痛い、痛い。
 腸が雑巾で絞られているような、気を抜けば意識が飛びそうな激痛。身体の中で暴れる何かが、外に出せ、出せと騒いでいる。

 ――――怖い。

 分からない。分からないということが怖い。
 昔見た手品のようだ。
 なぜ人が消えたか分からなくて、エドワードは子供心に怖かった。でもあの時は、手品は己に関係なかった。今は自分の身体が知らない物になっていることが怖い。

 己は己を裏切らないはずなのに。
 どうして身体の中で、何かが鼓動しているんだろう。

 産まれて十何年も、腹で何かの存在を感じたことなんてない。痛いとも、熱いとも思ったことなかったのに、あの石に触れた瞬間に、小さい物が目を覚ました。
 腹を撫でられるのが気持ち悪い。
 さっきからずっと男は人の腹をにやにやしながら撫でている。優しい手つきのはずなのに腹を裂かれそうに思うのは、男の口から垂れた涎がぼたぼたと腹に落ちているせいだろう。
 男は愛しくて撫でていると言うより、割く場所を探しているような感触までする。
「心配しなくても、腹を捌いたりはしないよ」
「……」
 エドワードの怯えが分かったのか、男はそう言ってくれたが、あらぬ方向を向いた眼球がますます嘘だと教えている。

「今はね」
「――――――――――!」

 恐怖は、一瞬にしてエドワードの身体を凍らせる。痛みすらも吹き飛んだ。
 狂ってる。
 いや、こいつは昔から狂っていた。狂っていない振りをしていただけだ。
 指を数センチ動かすだけでも走る激痛を押さえつけた。こんなの、アルフォンスを錬成したときに比べれば、なんてことない。
 地面に手を着いてなんとか男をどけようとする。
「無駄だって」
「――――あ!」
 腹を一撃軽く殴られた。
 普通ならば、腹筋で簡単に押し返せる力なのに、すっかり弱った腹筋は神経の先端にまで針を突き刺す。
「あ……あ……」
 生きているのが不思議なくらいに思えてくる。汗はひっきりなしに出てきて、掌はべとべとだった。
「殺さないよ。優しく優しくしてあげる。なにせやっと見つけた大切な器だもの」
 身を少し起こしたフェルテンが、そろりと頬を撫でた。
 キスされそうな距離で舌を出した変態男は、エドワードの涙を指で掬う。
「わけがわからないって顔してるね」
「あ……たりまえ、だろ……」
 鼻に男の息が当たる。顔を背けようとしたが、むりやり顎を掴まれた。
「教えてあげる。君は、世界でただ一人の真理の母だ」
「……え?」
 さわ、と掌がまた腹を撫で、気持ち悪さに息を呑む。

「女の赤ん坊の子宮に、原石を入れる。石はゆっくり成長し、二十年で賢者の石になる。――――君は、天上の石をその身に孕む、揺り籠だ」
「え……?」
「生理なんて、あるわけがない。子宮内膜はすべて石の栄養分となる。どうりで、えらい簡単に手足が戻せると思ったんだよね、中身の補助か。あはははははははははは」

 壊れたオルゴールがひたすら嗤って耳障りだ。

 ―――――――ゆびわ、を。
 押さないと、とぼんやり考えた。
 幸い、左手はまだ腕から繋がっている。そっと中指を伸ばして押してしまえば、地上の大佐がきっと助けに来てくれるはず、なのに。

 ……どうしよう、大佐。

 手足に感覚がない。
 手がどこにあるかわからない。まるで麻痺したみたいに感覚が途絶えていて、これじゃあ押せない。
 そして、エドワードの意識はそこで潰えた。

(続く)