黒の祭壇

黒の祭壇

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Emptiness is conceived - 6

 それは、今までの苦労は何だったのかと思うくらいあっさり。
 シルビアはエドワードに一枚の紙を渡した。
「私からサイゴンの方に話だけはしておくから」
「……」
 おそるおそる受け取るエドワード。
「ここに書かれた場所に行って、私の名前を言えば通して貰えるわ」
「あ、りが……とう」
 本当だったら小躍りしそうなほど嬉しいはずなのに、あまりにも簡単すぎて、思考はあまり定かではない。
 当然返答もぼんやりと夢見心地のようなものになって、ぽかんとシルビアを見上げた。
「……いいの?」
 嫌だと言われても今更困るが、彼女は言っていなかったか。
 貴方には必要ないのだと。
 シルビアはこくん、と頷くと同情的な視線でエドワードを見つめると、そっと手を伸ばして抱きしめた。
「―――できれば」
「……」
「できれば、貴女には行かないで欲しい」
「………」
 つんと喉の奥に彼女の髪の匂いがこびりつく。昨日までのつめたい視線は一転し、彼女が自分を見る目は180度変わっていた。
「私にサイゴンを紹介した人も同じ事を言った。それでも行った私が言える台詞じゃないから」
「なにかあるのか?」
「それは言えない。言ってはいけないことになってるの、…でも」
 そ、と彼女の身体が離れる。
「あんなに素敵な人がいるんだから、やめておいたほうがいいわ」
「でも」
「でも、行くのよね。分かる。私もそうだった。……ただあそこであったことは絶対にあの人には言わない方がいい」
 いえ、と彼女は首を振る。
「きっと一生言えない」

 とぼとぼと帰路を歩いていると、公園の脇の石垣に凭れている男を目撃した。
 こちらをみる視線は、作戦の首尾を聞いていて、それはまあ当たり前なのだが、なんとなく、む。と睨み付けてみる。
「成功?」
「――――いやになるくらい」
 吐き捨てる。
 そんな俺の様子に、大佐は凭れていた背を石垣から離すと、近寄ってきた。
「なにがそんなに気にくわないんだ? 私の言ったとおりだろう」
「それがむかつく」
 そう、大佐の言ったとおり。

 昨晩ホテルで説明された言葉によれば、彼女にとって君は何の不自由もないようにしかみえないからだということだった。
 片手片足が機械鎧であることも、昨日の時点では彼女には分からない。その上、町を歩けば皆が振り向くほどの美貌で、しかもこんなに格好いい彼氏までいると彼女には見えたのだから、そんなエドワードが何の必要性があってサイゴンに行くのか、と腹立たしく思ったんだろうと大佐は言う。
 とりあえず、自分で自分のことをこんなに格好いい彼氏とかわけわからんことをのたまう頭は一発殴っておいたが。

 今まではそういう風にみられることは当然なかった。
 俺達二人が並んで立っていても上司と部下、大人と子ども、国家錬金術師二人。という捉えられ方しかせず、男女の関係などと言う風にみられることなど通常ありえない。
 まあ、男二人でゲイの関係にみられることが無いとも言えないが、それを世間一般の人が考えるかというと少数派だろう。
 それが、今はこうして隣に並んで歩いたりクレープ食べたりするだけで、そういう風に周りからみられると言うことがいたたまれなかった。
 なんか変に意識してしまう。

 近寄ってなんとなく大佐のコートの裾を掴む。
 当然ながら男は反応して止まった。
「鋼の?」
 不思議そうに見下ろす男。
 そんな奴をじーっと見上げて顔を確認してみる。
 パパと言っても通用しないことはない。恋人同士と言うには年齢差がありすぎる。だがそれも障害だと言えば、シルビアは瞳を伏せた。
 軍服を着ていないと、男は実年齢よりもとても若く見える。それを気にしていることを知っている。エドワードにとっては別に若く見える方が老けて見えるよりいいじゃないかと思うのだけど。老けて見えたい、と思うのは普通子どもの方ではないのかと。
 言われたとおり、今日は髪を下ろした。こうして路上に二人立って、エドワードが大佐を見上げていても今までは周りの視線を気にすることなんか無かったのに、今だとこれは恋人同士だと思われるのか。
 昨日散々大佐が言っていた台詞はそういうことなのだろう。

 不思議な気がした。
 今まで女だと思われることはなく、その必要性も感じていなかった。女性の格好をして、この男の隣に立つだけで、恋愛関係にあるように周囲にみられるというのが不思議だった。
 だって自分達の関係はなんら変わっていないし、変わるとも思えない。
 エドワードが髪を下ろし、さらしを外して、スカートを履くだけ。たったそれだけのことなのに。それで、周囲は勘違いをするのだ。
『わたしも、あなたも。それでもいい、と言ってくれる人がいるのだから、幸せなのよ』
 エドワードの機械鎧の話をしたら、シルビアはそう言った。
 顔の酷い火傷を気にしなかったシルビアの彼氏。人体錬成も機械鎧も気にせず好きだと伝えてくる男。そういう人がいることは、しあわせなのだと。

 ――――――――――でも、それでも傲慢なんだ、きっと。

 俺がそれでもアルを取り戻したいように、彼女はそれでも火傷を消したかった。
 それでもかまわない、と言う人がいるのはお互い一緒。
 結婚の承諾が得られなくてもかまわないと言ったシルビアの彼氏も、兄さんがそんな格好で無茶をするくらいなら身体なんか戻らなくてもいい、と言った俺の弟も。
 彼女に錬金術が使えたならば、あの時同じ事をしたのかもしれないと何となく思った。
「鋼の?」
 大佐が戸惑いがちに微笑んで、首をかしげる。
 黙って見つめ続けられることに気恥ずかしさを感じたのか、その頬は少し赤かった。
 無駄のない稜線を描く顔のラインにも、黒瑪瑙の瞳も、ちょっと疲れて見えるその目の下の隈でさえ、エドワードには黄金律過ぎて奇妙に思える。
 真白い肌なのに、黒い髪はそのコントラストが金髪のエドワードにとっては新鮮で、興味深い。
 この男は自分のことを綺麗だ、というけれど、大佐の方がよっぽど綺麗なんじゃないかと思う。漆黒の黒は、エドワードの周囲にはなかった色で、もっと観察したくなった。
 シルビアの誤解がもし本当だとするならば。

 ……この男は俺の物なのだ。

――――――――――そんな、ことは。
 ありえない。この黒豹は誰にだって愛を囁くんだろうから。
 そうでないと、困る。困る俺を知っていて、男はそれを演じ続ける。

(……しらなかった)
 知らなかったんだ。いつも皮肉や軽口ばかりで自分をからかっているばかりの男が。そんなことを考えていたなんて。
 ふいに、頬に誰かの体温を感じた。こんな距離で触れる体温など一人しかいない。
 微かに空気が締まりを帯びる。搾り取られたような一瞬の緊張感は、この男の瞳の奥で発生していた。
「……君にキスを強請られるとは思わなかった」
 頬に当てられた手が、そのまま顎にするりと移動する。そのまま顎をくい、と持ち上げられたところで、やっと大佐の言葉が耳に届いた。
「……え」

  頭上から降りてくる大佐の頭に、一瞬意識が飛んで、震えた。
(――――――――――まず)
 慌てて不埒な顔に手を当てると押し戻す。
 いつのまにやらエドワードの両肩に手を当てた男はエドワードが渾身の力で押し戻すのにもめげずぐぐぐ、と体重をかけてきた。
 重力を味方にしている男と、重力に逆らうこちらではどう考えてもエドワードの分が悪い。
 鋼の手に助けを借りたところで、根本的な力の差はぬぐいきれなかった。
 蛇とマングースのにらみ合いの如く綱引き状態を繰り返すこと数十秒。さすがに諦めて力を抜いた男は落胆の溜息をついた。
「なんだね、キスして欲しいんじゃなかったのか」
「違うわぼけ!」
「だったらあんなにじーっと見つめるのはやめたまえよ――――――――――うん?」
 大佐の動きが止まる。
 結構近くまで迫られていたので内心冷や冷やしていたエドワードは、掌に掛かる重みが消失したことに安心した。どっと背中の汗が流れる。
 日に日にエスカレートしていく男のスキンシップが恐ろしい。今まで自分がいかに見逃されていたかを知って、全身に悪寒を感じた。
「まさかとは思うが、君、こんな格好をしているときに他の男相手にこんなことをしていないだろうね」
「こんなことって?」
「人の服の裾を掴んで、「いっちゃいや」といった感じのそぶりを見せた後に、じーっと人を見上げて、瞳を見つめて「キスして」と無言で訴えるような態度をだよ」
「――――――――――だれがそんなことしたよ!」
「君だよ」
「……すげえ妄想だな大佐の頭の中」
「私にはそうとしか思えなかったぞ! 他の男だって絶対同じ事を思うに決まってる」
「はいはいあんただけ」
 さっさとあしらって大佐に背を向ける。
 結局サイゴンの場所は分かったのだから、ここで二人して無駄話をしている場合ではなかった。

(続く)