Emptiness is conceived - 16(完結)
「なあ、大佐、大佐も………!」
優しい腕から抜け出して、大佐を見上げた。
いきなり激情したエドワードに、男の瞳が驚愕に満ちた物になっていた。
……ああ。
嫌だ。
この男に、あんな瞳を向けられたらどうしよう。
自分を好きだと言ってくれる男も、そんなことを考えていたらどうしよう。
自慢の機械鎧。恥だと思ったことはない。みっともないとも思わない。自分の罪を知らしめる物ではあるが幼なじみの作った、誇りある自分の手足。
それを、それがあるから手を出さない、と言ったのだ。
――よかった、と。
喜ぶべきだった。
機械鎧がなければ、きっと大佐の言ったようなセクハラ行為は行われたのだろう。
なのに、その安堵なんかより、何より。何よりエドワードは高鳴った心臓でそれを知るしかなかったのだ。
「大佐も、気持ち悪い……? 俺の機械鎧、気持ち悪い……?」
こんな聞き方をすれば男は、そんなことないというかもしれないと、甘えた感情があった。
誰に気持ち悪いと言われても。
誰に後ろ指を指されても。
この男にだけは、気持ち悪いなんて思って欲しくない。
他の誰に何を言われてても笑い飛ばせる台詞は、大佐から告げられたときだけはエドワードを殺す銀の弾丸だ。
あの男に言われてすぐ、エドワードの頭は最悪の予想を弾いた。
……大佐も、そう、思ってたら……?
あんな男に言われても、傷は付かなかった。エドワードが傷ついたのは、大佐に言われたらどうしよう、の一点、その事実に、そう考えてしまったことに傷ついたのだ。
「……そんなことを、言われたのか」
「――――――――――」
もうこうして詰め寄ってしまった時点で、エドワードの負けだ。
違うと今更否定は聞かない。言っても無駄だ。エドワード自身そんな抵抗をする気力はもうなかった。
今更ながら情けない事を言ったことに気がついて、俯いた。
「……ごめん」
そ、と未だに掴んだままだった大佐の服から手を離す。皺になったそれを押して、離れようとしたが、男は許さなかった。
肩に置かれた手は緩まず、右手が頬を撫でて、そのままその指がエドワードの瞳から水分を奪った。
瞼のあたりを触られて、反射的に目を閉じる。
短い時間なのに豪快に泣いてしまったから、少し熱を持ってしまった瞳は閉じると少しだけ心地よかった。
だから、エドワードには男が屈んだことなど気がつくはずもなく。
じんわりと籠もった熱が瞼の裏だけではなく、唇からもすることに違和感を抱いたのは、数秒後のことだった。
「……っ!」
おかしい、と思って伏せた睫毛を開ける。
開かれた瞳は、想像以上の近距離にある大佐の顔を捉え、脳がついて行けずに真っ白になった瞬間に、笑った男はエドワードの唇を又塞いだ。
「――――――――――ぁ」
咄嗟に思ったのは、キスされたことへの衝撃よりも、どうしよう、ここ橋の上、などという妙な冷静さだった。
男の口づけは実に軽い物で。
弄られることもなく数秒ですぐに離れていった。
まるで、母親が俺達兄弟にしてくれていたような、優しい、慈愛に満ちたもの。
……知ってる。
これは、大好きだよ、と伝えるときのキスだ。
欲望じゃなくて、単に、好きだと言うことを、愛情を伝えるための手段として使われる物。
家族でもない自分にそれが与えられたことに、胸から沸き上がった熱湯が、肺を通って腕を通り抜けた。
前頭葉は酒を飲まされてしまったらしい。ただ、嬉しそうに踊っている。
大佐はエドワードが怒鳴り殴ると思っていたのかも知れない。だから、未だ呆然と大佐の服を握ったままのエドワードに、妙に動揺していた。
「ああ……」
男の、懺悔をするような嘆息。
なぜか、後悔をしているような素振り。
ついに、やってしまった。との微弱な低音がエドワードの鼓膜を揺らす。
我慢してたのに、と呟く後悔の声だけが降り積もってきたが、エドワードには、男の懺悔こそが分からなかった。
「……鋼、の?」
なんの反応もないことに、ぶつぶつと独り言を続けていた男が、それをエドワードへの問いかけへ変更する。
なんで殴らないのかと言いたげな声。
こちらは俯くわけでも見上げるわけでもなく、ただ、考え事をするかのようにぼう、と大佐の前に立ちつくすばかり。
この男は、殴って欲しいんだろうか。
どんなに慈愛に満ちた言葉を投げられるよりも確実に簡単に、エドワードに「好き」だと伝えておきながら。
「……君の鎧が気持ち悪い、なんてことはないよ」
「………」
沈黙のエドワードは別に怒っているわけではなかったが、大佐には理解できなかったようだ。
「そうなら、あんなことなどできないし」
「………」
やっぱり分かってない。こんな言葉など、蛇足だ。男の本気は、先ほどのキスでもう分かった。言葉の重ねなどなくとも、もう、充分なのに。
「………君が望むなら、今すぐにだって」
それ以上を言おうとした男は、慌てて口を押さえた。
流石に見上げると、大佐は失言を喉で飲み込んでいるらしい。
……まあ、何となく予想は付く。
ここでエドワードが一言、抱いてとでも言えば、男はエドワードを抱え上げてホテルに連れ込むだろう。そして驚くのだ。男だと思っていた子供が、その反対であったことに。
きっと、躊躇う。腰が引けるかも知れない。
それでも、同じ言葉を言ってくれるのだろうか。
気持ち悪くなんかない、と。
「……大佐」
慌てている男の手を、きゅ、と握り締めた。
そのまま胸に抱いて、まるで祈るように両手で包んでみる。
……この手が。
まだ、俺のことを嫌いじゃないというなら。
男だと思っている間は好きだと言ってくれるのなら。
俯くと、大佐の握られた手が近くにあったので、なんとなくその指先に口づけてみた。
そのまま決意を込めて顔を上げる。
なぜか大佐は途方に暮れたような、動揺したような、期待に満ちたような顔でこちらを見ていて、唾を飲み込んだ。
だからエドワードは、今一番欲しい物を口にする。
「腹へった。飯」
戦うのだ、これからも。
だから、食料は一番大切なのだと決意を新たにする。
「…………………」
男の表情は、みるみる歪んで。
がっくりと首を落とすと、ああ、うん。とか呟きながらエドワードの先を歩き出した。
「ははは、オムライスの美味しい店があるから今日はそこにしよう!」
やけくそ気味であっちだ、とか叫んでいる大佐はなんだか変だ。明るく振る舞うことでなにかを誤魔化そうとしているような。
駆け足で後を追いかけるエドワードの耳に、「そんな、おいしい話があるわけないよな……」と呟く大佐の声が微かに聞こえた。
(続く)
