Emptiness is conceived - 4(完結)
「ついてくんなよ」
さくさく歩きながら、後をゆっくり着いてくる男に言ってみる。
店から外に出たときには既に日は完全に落ちていて、月明かりと街灯だけが光源だった。
「そうはいってもね」
男の声は呆れが混じっていて。
大佐が呆れる理由も己ではよく分かっているのだが、まだ心の整理が出来ない。
ふりむかず、スカートをふわふわ揺らしながら、前を向いて一目散に足を運ぶ。こちらが三歩歩けば、大佐は一歩歩く。
なのに距離が縮まりも開きもしないことがむかついた。
「あ、鋼の、鋼の」
「……なんだよ」
先ほどとは違う口調で、呼びかけられて流石に足が止まった。苛立ち加減に振り向けば、大佐は道路の脇にある露天を指さしていた。
「クレープ屋がまだ開いてるぞ」
「こんな時間に?」
すでに周りは暗くて、普通の露天は閉まっている。
ここはたしかに大通りだけど、開いているのは普通の飲み屋や喫茶店くらいで、露天などすべてが店じまいしていた。
だけど、大佐が言ったとおり一つだけ電気をつけた小さい組み立て小屋で、若者がなにかをくるくると混ぜている。
遅くまでやってるなんて、珍しいな、なんて思って眺めてみれば、そこにはすでに一人の男の背中があり。
「……………あ!」
それが大佐だと気がついたときには、すでに男は両手にクレープを持って戻ってきていた。
「ほら、これは君の分」
「………あ、うん」
はい、と悪意も皮肉もなしに渡されたら、断る理由もなく、手に取らないのも相手に悪い。一応善意で買ってきた物をいらねえよ、と言えるほど酷い人間にはなりたくないし、人の心を傷つけることはできなかった。それが大佐でも。
思わず左手を出して受け取ると、大佐がそのまま右手首を掴んだ。
「ここで食べていたら邪魔になるからな、その端っこで食べよう」
ぐい、と右手をひっぱられ、迷いのない動作で道路の端、人があまり通らない場所に連れて行かれる。やめろ、とも離せ、ともいう暇がなかった。
だって、奴の言うことはいちいちもっともで、抵抗する理由がない。だからってひっぱっていかなくても自分で歩くことは出来るのだが、それを口にして変に逆らっているとそれだけ大通りを通る人たちの通行の邪魔になる時間が増えるわけで、実際まっすぐ歩く人たちの間を垂直に横切ろうとしている俺達は皆の邪魔なのは確かだった。
ぶつかりそうになった人たちが慌てて避けていくのを、見つめるしかできない。時間にしてはほんの十秒程度の事だろうが、気がつけば大通りの端まで連れてこられており、手はそれでも繋がれたままだった。
体中に当たっていた人の気配がなくなって、後を振り向くとあの混雑している大通りを右に左に歩く人の群れが見える。群衆を抜けた事にほっとして、ちょっと息を吐いた。
大通りの裏には公園があって、この通りはその丘の上の公園を挟む形で配置されている。よって、道路の方が公園より低いのだ。なだらかな丘が大通りの端から上に広がり、その先ではぼんやりと公園の電灯が灯って見える。
「鋼の、これをちょっと持ってくれるか」
大佐のものと思われるクレープを差し出されて、ぼけ、と地形を把握することに専念していた俺はなんの疑問も抱かず反射的に空いた右手で受け取る。
両手にクレープを持った俺を見て、大佐は脇の下に手を入れると、ひょい、と抱え上げた。
「――――――――――な!」
宙ぶらりんになった、と思ったのも一瞬、すぐにすとん、と道路脇の石垣の上に下ろされる。当然足はぶらぶらと空中で揺れていて。
真っ白になった、と思った瞬間には、自分も石垣に飛び乗った大佐が横で座っていた。
俺の足は、完全に地面に着いていないが、奴の足はもう少しで着きそうなのが無性にむかつく。
どうしよう、腹立つから飛び降りようか、と地面を見ながら考えていると、大佐がぱ、と俺の右手からクレープを奪い取った。
「食べないのか?」
自分はぱくりとクレープにかじりついている男が、不思議そうにこちらを見る。
「てめ、俺の身長に何か文句があるらしいな」
だいたい抱え上げなくてもあのくらい自分でのぼれる。……ちょっと頑張ってジャンプすれば。クレープは持ってられないが。いやいや、台でも錬成すれば大丈夫。ん? でもやっぱり両手に物を持ったままでは無理か。
「なにがだね。座って話をする方がいいだろうと思っただけだ。食べないのかね? 君、実は甘い物好きだろう」
「………」
くそう、と思いつつも自分もクレープを一口囓る。
というか何で知ってるのこの男。実は甘い物好きだと言うことを。あなどれん。
意地を張っていてもきりがないことにはそこそこ気がついている。ただきっかけがないだけだ。
しばらく二人してもぐもぐとクレープを食べながら無言。
そういえば夕飯を食べていないことに今頃気がつく。ぷらぷらと足を揺らせば、石に当たるブーツがこつん、と音を立てた。
こんな時間に少女と大人が二人で大通りの人並みを眺めながら端っこで並んでクレープ食べてるなんて、端から見たらなんと思われるだろう。
やっぱり兄弟?
の、割には容姿があまりにも違うよな、とちらりと隣を見やれば、男は大通りを渡る人々をぼんやりと眺めながらクレープを咀嚼していた。
「君は、やっぱりサイゴンにあるという赤い石の件で来たんだろう」
こっちを見もせずにそんなことを言う。
「まあ、そんなとこ」
「台座にあるという赤い石で奇跡が起こるという話を聞いたときに、次に君たちが来たときには教えてやろうと思ってはいたのだが、まさかすでに動いているとはね」
「俺もたまたま小耳に挟んだだけでさ、それより大佐こそ、なんだそのサイゴンの死体がどうのこうのってやつ」
クレープの最後の一口を飲み込んで、包んでいた紙を折りたたむ。大佐はまだ口を動かしながら何かを考えるように天を見た。
「真っ黒焦げの焼死体が最近この辺の川に流れ着いたり、山に捨てられてたりしている。男女の区別もつかないほど焼かれていてな、それでもうちの鑑識が必死で調べて身元を数人はつきとめたんだが、一人残らずサイゴンへ最近出入りしていたという女性達だった」
「うげ、そりゃあんたが疑われるのもわかるわ」
原形を留めないほどに焼き尽くすのは普通の人には困難だろうが、この焔の錬金術師なら一瞬でやってのけるだろう。エドワードだとて、この男の性格を知らなければ、焔の錬金術師のことを面白おかしく考えるに違いない。
「見るからに怪しいが、サイゴンの場所自体分からない上に、ただ死んだ人がサイゴンに行っていた、というだけでは弱くて強制捜査もできない。あそこに出入りできるのは十代の女性だけだからな、軍部にはそんな人間はいないだろう。……まあ、君のことが頭をよぎらないでもなかったが……」
そこまで言うと、ちらりと大佐はこちらを見て、肩を震わせて笑い始める。
「絶対に嫌がって、きっと軍部を壊されるだろうな、と思っていたんだがなあ……まさか、自分でそこまでしてやってるとは」
「やかましい!」
くくくくく、と腹を押さえて笑いを堪える仕草が人の怒りを増長させる。
勢いよくクレープを包んでいた紙を投げたが、しれっと片手で受け止められて、何か錬成する物はないかと周囲を見渡した。
「こんなことなら頼めばよかったかもしれないな」
「大佐の頼みだったら断ってるに決まってるだろ!」
「ああ、だから役得だなと思って」
「な、にが、だ…」
のれんに筆押しだと気がついて、怒りがトーンダウンした。
「今まで、寝てる時だけ天使だなあ、と思っていたが、女の子の格好してても天使だな。これは思いつかなかった。役得だ」
ふーん、そうなんだー、と流しそうになって、
「――――――――――まて。なんだその寝てる時って」
「ところで君は今日は何処に泊まっているんだね」
「あからさまに話を逸らすんじゃねぇ」
「人も減ったし帰りながら話そうか」
「だから、さっきの――――――――――っ!」
文句を言う暇もなかった。
すとん、と石垣から降りた男は、俺の言葉など華麗に無視して、まるで草や紙のように俺を軽々しく抱え上げると、とす、と地面に下ろした。
先ほどまで空中に浮かんでいた足があっという間にその止まり木を見つけて、地面に呆然と立っている。
「あ……」
あ。すごい、俺、ここまで頭の中に何もなくなったの生まれて初めてかもしれない。言語中枢までいかれているらしい。
泣いていいのか怒っていいのか。
普通の男はいくら軽いからとか言っても、鋼の手足を持つ人間をこんな軽々しく抱え上げたり下ろしたりできない。まるで自分が羽根のようになった感覚。大佐のあの身体のどこにそんな腕力があるのか。
いや、だいたいなんで俺はこんなに動揺してるんだ?
「鋼の?」
首をかしげてこちらを見る男。その瞳には奴お得意の悪戯も、悪意も皮肉も何もない。
真っ赤になったり真っ青になったりしながら唖然と大佐を見つめる。いや、怒るべきだろうと思うがそれ以前にこいつのこの悪気が全くない表情に、文句をつけることすら気まずいのだ。
―――――――駄目だ。こいつとんでもなく無意識なんだ。自分が今やったことがどれだけ効果的かなんて全く分かってない。
「どうした?」
大佐がかがみ込んで覗き込む。もう、それで沸騰した頭は半狂乱になって溢れた。
「て、てめ、人のことを荷物みたいに」
「荷物? こんなに柔らかくて綺麗な荷物があるものかね。こういうのは宝物、っていうんだよ」
「――――――――――」
もう、ぱくぱくと口を開けるしかなくなる。
いや、怒鳴れよ俺。
だが免疫がなさ過ぎる。自分がまさか言われるとは思っても見ない台詞を乱発されてるんだぞ。頭に来る以前に、これは本当に俺に言われていることなのかとか、大佐はなんでこんなこっぱずかしい台詞をぺらぺら言えるのかとか混乱が渦巻いてまだその先まで動けない。
「鋼の、宿は?」
「え、あ……東のエスペラント」
「ああ、あそこか」
大佐がふむふむと頷く。あっさり答えてしまったのはまだダメージから回復していないからで。
「じゃあ、行くか」
「――――え、」
あっさり手首を掴まれ、そのままひきづられるように大佐は大通りに戻っていく。
奴の言ったとおり人通りはかなり減っていて、先ほどみたいに他人にぶつかることはない。
右手首をがっちり押さえたまま、大佐はゆっくりと歩いていく。それにけつまずきそうになりながらててて、と後を追いかける形になる俺。
「ちょ、大佐」
手を振り切ればよいのだが、大佐は歩みを止めないために、こちらが止まると転けてしまいそうで、立ち止まれ、と促す。
「離せよ」
「………嫌だね、離せば逃げるだろう」
「当たり前だろ!」
「だから、いやだ」
大佐はエドワードを見ない。こっちが不安に駆られて大佐の顔を見ようとしても、後頭部しか見えないのだ。前に出てしまえばよいのだが、こちらの方が体勢が不安定で大佐を追い越すまでの速度は出せず。
何度呼びかけても、男は歩みを止めようとしなかった。
(続く)
