黒の祭壇

黒の祭壇

> TEXT > エド子 > Emptiness is conceived > 33

Emptiness is conceived - 33(完結)

 手で書けばいいのか、と思い至ってペンと紙を探すが、こんな時に限って見つからない。
 部屋の端っこの引き出しが怪しいが、鎖が邪魔で届かない。
 この鎖を外すために紙とペンが欲しいっていうのに、いらいらする。
 さっきまでけっこう余裕こいていたのは錬金術で逃げればいいや、なんて思っていたからだ。だが使えない上に今は生身の手足だ。
 今はもはや少し人より喧嘩に強いだけのただの子供だ。
 敵地のどまん中で、これがどれだけ心細くて危険なのか、教えられなくても予想がつく。しかも戻った両手足は、筋肉もなくてがりがりにやせ細っている。右手と左手を並べてみただけで一目瞭然。とてもじゃないが大人をなぎ倒して外に出られるとは思えない。
「……まずいな」
 まずい、きわめてまずい。
 鎖で動き回れない上に、生身で錬金術は使用不可能。
 俺の一番大嫌いな展開だ。
 あのでかい石がおそらくこちらの力を奪い取っているのだろう。そんなことも出来るのか教祖様は。あの石を破壊してしまえばいいのだろうが部屋から出られないのに無理な相談。腹を開いて自分の石を取り出すような自殺願望はまだない。
 ぎゅう、と拳を握っても鉄の音がしない。柔らかい皮膚の爪が掌に食い込む。だがそれに感動するような暇はなかった。
「とにかく、指輪!」
 奪われたのか、落としたのかがまだ不明だ。もう少し探せば出てくるかもしれないと、鎖が足首で擦れる不快感に蓋をしながら、床を四つんばいで歩く。
 鎖の限界まで引っ張って、床を眺めるが見つからない。
 十分ばかりの捜索は徒労に終わって、はあ、とエドワードは座り込んだ。

「ないなあ……」
「君が探してるのはひょっとして、これ?」
「!」

 突然背後から掛けられた声に、慌てて振り返る。いつの間に部屋に入り込んだのか、気配を完全に断ったフェルテンは、右手に指輪を持ってぷらぷらと揺らしながら立っていた。
「あ……、返せよ!」
 瞬時に起き上がると、そのまま指輪のある右腕に飛びつこうとする。
 だがエドワードよりかなり高い身長と、足首の鎖が邪魔をした。
 空を切る腕。そのまま鎖が引っ張られ、べた、と床にすっ転ぶ。
「いた!」
 またもや鼻を打って、少し涙が出た。
「いけないなあ、おとなしくしないと」
「……!」
 起き上がろうとした背中に、どすん、と鉛のような重みが乗ってくる。
 エドワードの背中の上に馬乗りになったフェルテンは、品の悪い笑いを浮かべながら、俯せで床に転がったままのエドワードの髪を撫でた。
「………!」
 全身が総毛立つ。
 気持ちが悪い。ねっとりとまとわりつくは虫類のような悪寒。
 腕に力を入れて起き上がろうとしたが、背中に乗っている成人男性の重量は重く、筋肉のない右腕では支えきれない。
 呼吸が苦しい。肺が圧迫されているのだ。
「どけ……よ! 指輪返せ!」
 せめてと足だけはじたばた揺らす物の、今度はその足首を掴まれた。
「コラコラ、ダメだなあお姫様」
 子供に諭すような優しげな口調だが、きっとその顔は醜く歪んでいる。振り向くまでもなく分かった。
「もうすぐここは引き払うから。それまで大人しくしててね」
「な……! ふざけんな、誰が姫だ!さっさと上からどきやがれ!」

 やばい。

 ここから逃げられた上に指輪がなければ、大佐達は俺の場所が分からない。フェルテンは俺を閉じこめるつもりだ。二十歳まで。
「あんたら、サイゴンを作ったのはこのためか?」
「ん? そうだよ。君を捜すためにこの組織を作った。怪しまれずに揺籃を探すにはこの方法が楽だったんだよね。幸い、あの湖の石からでそこそこの奇跡は起こせるし、奇跡さえ与えて貰えば、女の子達も納得して帰るだろ? もう二十年経って石が完成してるなら、一人ずつ腹を裂けばいいけど、それまでは生きてて貰わないと困るからさ」
「……っあ…!」
 ふ、と背中の荷重がなくなった、と思ったら、両方の手首を掴まれた。そのままずるずるとベッドに引き連られて行く。
 本能的に拒否反応が起こる。だが足も手も、力が入らない。男が機械鎧を直したのは、ひょっとして生身の手足を与えることで力を奪うつもりだったからなんじゃないかと邪推する。

「離せよ! 指輪返せ!」
 暴れながら叫んでも男の耳には全く届いていない。腕の一本が動けばその辺の花瓶でも投げつけるが両手をしっかりと押さえつけられて、自由に出来るのは両方の足だけだ。だがそれも鎖に繋がれて足を上げることすら出来ない。
「わかってないなあ。君、そんなこと言える立場じゃないんだよ?」
 又無表情なビー玉の瞳がこちらを凝視する。感情一つ見つけられない無機質の瞳が持つ冷酷な気配に、口が一瞬閉じた。

「子宮さえあれば、腕も足もほんとはいらないの。君、二十歳まで生きててくれればいいの。ショック死されたら困るから、五体満足にしてるだけなんだよ?ありがたいって思わなきゃ」
「な……!」

 あまりに残酷な台詞なのに、本人はそれを理解していない。
 こいつは、おそらく。
 笑って人を殺して、それを何とも思わない人間だ。

「美人だったことに感謝してね」
「あ……!」
 一瞬竦んだ瞬間に、ベッドに転がされた。
 スプリングの効いたベッドは、エドワードの身体を一瞬シーツの中に吸い込ませる。息が止まった瞬間に、上からのし掛かったフェルテンは、目を見開くエドワードに楽しそうに、そして無気味に笑った。
「せっかく子供産むなら、綺麗な奥さんの方がいいもんね。だから大人しくしててよ。僕だって手足のない女を抱きたい訳じゃないんだし」
「……な、なんなんだよ、お前。子供、って……」
 そ、っと頬を何度も撫でながら、片手でエドワードの両手を拘束したままの男は、ベッドに沈んだエドワードの上でああ、と微笑む。
 先程から何度も見せられるこの醜穢な笑み。反射的に顔が歪む。
 狂っている。
  賢者の石の妄執にとらわれて、目的のためなら手段を問わなくなっている。ひょっとして、俺達もこのまま石を探し続けたらこうなっていたんだろうか。
 狂人相手のマニュアルなんてない。こんなことなら大佐に聞いとけばよかった。どうすればいいのか分からないのだ。ぶん殴って逃げる。それさえ出来ればいいが、鎖が邪魔すぎで。

「子供は子供。二十歳になったら君にはたくさん子供を産んで貰うんだ。そして産まれたのが女の子だったら全員に石を植え付けて又成長するのを待つ。石に適応した君の子供なら、きっと無事に次の揺籃になってくれるよ」
「……おまえ、この賢者の石、増やす気なのか?」
「あたりまえじゃない。問題は二十年かかるってことなんだよね。その辺も君に子供を産んで貰って、その子供で実験すれば十年くらいに縮まるかもしれないし。ああ、楽しみだな。帰ったら用意する物がたくさんあるよ。みんなも喜んでたよ」

 ――みんな。
 多分さっき、エドワード達とすれ違った研究員達だろう。感情があるようには見えなかったが、こいつの部下ならそれもそうだ。
「……サイゴンの人たちはみんな女性だって聞いてたけど」
「そりゃ、表向きはそうだよ。ここに入ったらもうサイゴンなんて隠れ蓑関係ないもん。ここにいるのはみんな君の腹の中の石を追いかけて追いかけてここまで来た奴らさ」
「…わかんねぇ、だってあの湖の石はなんなんだ? あれで俺の手足を治したんなら、これ以上石なんていらねえじゃん」
「あれは、失敗作」
「え?」
 ぎりぎりと、締め付けられる手首に力が篭もる。男は何故か怒っていた。
「失敗作なんだ! 完全な賢者の石になりきれなかった代物なんだよ! いつ壊れるか分かった物じゃなくてね! 不完全だけど揺籃に入れたら二十年で完成品になる。君の、お腹の中の」
「………!」
 そっと腹を撫でられる。胃の中身を全部吐き出したくなる嫌悪感。ただ腹を触られているだけでも、この手つきに感じるどうしようもない悪意が、エドワードの神経を冒そうとする。
「これもね。元はあの石さ。共鳴して揺籃の居場所を教えてくれる。だから、分かった。石がどこかの腹の中に埋め込まれたってことがね。おかげさまで助かったよ。ショックで君の中の石は寝てるけど、多分犯せば目を覚ますし。……起こしてみようか?」
「――――――――――!」
 咄嗟に、喉が引きつった。

 いま。

 なんか。恐ろしいこと、言わなかったか?

(続く)