黒の祭壇

黒の祭壇

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3(連載中)

 ごはんを出してもらった。あんなにお腹が空いていたのに少ししか食べられなくて哀しかった。
 こんなにおいしいものは食べたことないと思ったけど、あの時なら腐ってどろどろのパンでもおいしく食べたと思うのであまり味覚に自信がない。
 ただ食べられないのが悔しくて泣きそうになっていたら「胃が小さくなってるからしかたないのよ。徐々に食べられるようになるから」と頭を撫でられた。
 徐々にという言葉の方がエドには嬉しくて。
 でも慌てて優しい手のひらをはねのけたら、お姉さんは少しびっくりしたようだった。
「あ……き、汚いから。俺」
 哀しそうな瞳が辛くて、ついつい言い訳をする。
 髪だって何日も洗っていないから。綺麗なお姉さんの手が汚れるようで嫌だったのだ。
「さっきのお姉さんも、俺を抱き締めたから綺麗な服が汚れちゃったし……」
 優しくて綺麗な人達だから泥や煤など付いて欲しくない……って言ったのに。
「……っわ!」
 突然押しつぶされるほどの強い力で抱き締められた。
「お風呂には今からいれてあげるから、そんなこと気にしなくてもいいの!」
「え。いや、でも」
 まだ入ってないから汚いのに。
「お姉さんと一緒にはいろ。ね」
「……」
 頷くべきだったのかもしれないが自分と一緒に入ったらかえって汚れるんじゃないかと思って首を縦には振れなかった。
 
 
 
 結局抱えあげられてお風呂につれこまれた。
 置いてきたアルを、ひょっとしてどこかに隠されやしないかと、こんな状態になってまで疑ってしまうのはもう反射のようなものだ。
 せっかく、暖かいお湯のおかげで腕や足の神経が蕩けていこうとしているのに、心が落ち着かず浸りきることが出来ない。
 頭を洗ってあげると言われて、本当に一緒にお風呂に入ってきたお姉さんは、いい匂いの液体をエドワードの髪に振って、わしわしとシルクの布みたいに丁寧に洗ってくれた。
 頭皮に触れる指先の感覚が、まるでマッサージみたいで気持ちいいなあと思って。
 そこから先はもう覚えていない。
  
 
 
 夢の中で、アルフォンスを探して暗闇の中を歩いていた。
 どうしても見つからなくて見つからなくて、泣きながら探した。
 暗くて周りが見えないので、どこかでアルフォンスにぶつからないかと腕を前の方に突き出しながら歩く。
 手は、空気を先ほどからかき分けるばかり。
 なぜ、さっき手を離してしまったんだろうと、唇を噛んだ。
 離れた手が再び繋がれる保証なんか、どこにもないのに。
 夢なのに足が疲れてきて、その場に一回しゃがみ込んだ。

 刹那、暗闇から、突然手が伸びてくる。
 自分以外の腕をこの闇で見たのは初めてで、悲鳴を上げかけた。
 ――――――――――その手には。
 
 
 
 指に触れた感触で、目が覚めた。
 視界が回復する前なのに、なんの疑いもなく、触れた布を胸の中に抱き込んだ。
「だー」
 ぺたぺたと、おもちゃみたいに触れられて、視力が戻る。
「あ……」
 腕の中のアルフォンスは、口端を少しあげて、きゃっきゃと笑う。
 焦燥は一気に消えて、肩の強張りが抜けた。
「アル……」
 夢の中で散々探した弟が腕の中にいる。
 いつのまにか寝ていたのか、布団に寝かされていたらしい。寝っ転がったままアルフォンスを抱えて、ぼんやり天井を見――――――――――ている場合じゃない。
 がばりと半身を起こして、初めて服が新しい物に変わっていることに気がついた。
(……えっと)
「風呂で、寝た?」
 ……ような気がする。記憶が曖昧だけど、お姉さんの手は眠気を誘ったから、そうなんだろう。
 彼女たちがきっとエドワードを着替えさせて、身体も拭いて寝かせてくれたのだ。恥ずかしいことに。
 初めてづくしでどうも駄目だ。
 あんなに気を張っていたのに、もうすっかり力が抜けてしまって情けないったら。
「それにしても、どうしてアルフォンスが腕の中にいたんだろう」
 どこから持ってきたのか。夢みたいに、上から降りてきた気がするけど、そんなはずないのに。

「ああ、それは私が渡したからだな」
「――――――――――っ!」

 復活したと思っていた視力は、まだ万全ではなかったらしい。気配すらも感じ取れなかったことにエドワードは怯懦する。
 咄嗟に声のした方を振り返った。
 
 おとこのこえ。
 身体は本能的に、最上級の厳戒態勢を取る。
 
 男という生き物はエドワードの最近の生活において、もっとも警戒するべき物だ。
 
 布団からアルを抱いたまま飛び逃げて、反対側の壁に貼り付いた。
 入り口は男の背後にある。エドワードがするべきことはこの男の観察調査で、不用意に隣を駆け抜けるのは得策ではない気がした。優しい顔をして、その中に潜む汚物みたいな感情を見抜くためには、瞳を見るのが一番早い。
 鋭く睨み付けて観察すると、青年はエドワードとは両極端の黒髪黒瞳で、墨を解いたように深淵の黒い双眸と、整った容貌の持ち主だった。

「……そんなに、警戒しなくても」
 なんだか、寂しそうに眉を下げた男は、読みかけの本をぱたりと閉じて、エドワードを見ると困ったように微笑んだ。
 
 

(終わり)