黒の祭壇

黒の祭壇

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47(連載中)

 いつも、仕事服か、たまに店に出るときの着物しか着たことがない生活を何年もしていたので、どうも外出するための格好は落ち着かない。
 いつもは後ろで一つにまとめている髪を上の方でくるくると束ねて、こっそりと町に出た。
 買い出しなんかで歩くルートは決まっている。
 いつも時間に追われて、それ以外の道を歩いたことなんか、そういえばほとんどなかったな、と紙に書いた軍部の住所を見ながら、道を歩く。
 きょろきょろと辺りを見回していると、ふと脚が止まった。

「ここ……」

 広い駐車場に、まっすぐな樹木。家族連れやジョギングをたしなむらしい人達がどんどんと樹木に囲まれた道に吸い込まれていく。
「前、おっさんと来た」
 連れて行かれた公園だった。あの時、小さい俺の手を引いて歩く男は、どこか悲しそうに笑っていた。
『次に会うときは、せめて私が抱きしめられるくらいには伸びていてくれたまえよ』
 言われた言葉が突き刺さる。胸に疼く痛みは、過去の扉を開いたせいだ。
 あの時、こんな未来を想像しただろうか。

 次に会うときには――

「……会えるわけ、ねえよな」
 会いたいけど、会いたくなかった。
 結局店を守ることも出来ず、ハクロやレイブンにいいように乗っ取られ、傀儡のようになって働かされています。ちなみに、身長はあまり伸びませんでした。なんて。
「いや、でもきっとこれからもうちょっと伸び……るよな?」
 他はともかく、身長はまだなんとかなるはずだそうだそうに決まってる! と根拠ない強がりを勇気に変えて、エドワードは首をぶんぶんと振ると、思い切るように視線を公園から逸らした。
 軍部に近づくにつれ、軍人の数が当たり前だが増えてくる。
 単に歩いているだけではなく、警戒しているのだろう。いつ相手国の報復があるか分からないからだ。
 軍部に近づく前に、追い返されたらどうしようかと思ったが、そんなことはなく、スムーズに軍部の近くまで行くことが出来た。
 道の反対側に、大きな階段と、屋上に国旗を構えた巨大な建物がある。
 大きな塀で囲まれ、その塀には数メートルおきに軍人が配置されている。それだけで威圧感はもの凄く、道路を挟んで数メートル先にいるエドワードまでが思わず後じさりしそうになる光景だった。
 あまりじろじろ見ていると不審がられるかもしれない。
 当然の不安が今更沸いてきた。今までそんなこと、思いもしなかったなんて、どれだけ冷静さを失っていたのか。
「どうしよう、どこか……」
 軍をこっそり見守れる場所とか、ないんだろうか。
 自然を装い、歩道の街灯に寄りかかる。軍部までの道を書いた地図を取り出し、それを眺める振りをしながら、いいスポットを探していると、通りを一本入ったところに喫茶店の看板があるのが見えた。

 一面ほど、窓が道路に面している。
 あそこならひょっとして窓際の席に座ったら、軍部の階段を通る人が見えるかもしれない。
 地図をポケットに戻し、喫茶店の扉を開ける。
 珈琲の匂い漂う喫茶店には一人の客もいなかった。

「いらっしゃい」
 人の良さそうなマスターが裏から出てきて、声を掛ける。
 お好きな席をどうぞ、といってくれたので、目をつけていた窓際の席に座ると、どっと肩の力が抜けた。
「何にします?」
 水を持ってきたマスターに、珈琲というと、髭を蓄えたマスターは頷いた。
 開店したばかりのようだ。どうりで人がいなかったんだろう。
 新聞が来てからすぐこちらに向かったのが幸いした。どうせここにいられるのも昼前までだ。ついでに、朝食もないかと尋ねると、ありますよと言われたので、それも頼む。
 店には、静かな曲が流れている。心や身体の疲れを癒してくれるような、穏やかな曲。
 そういえば、仕事のことはいろいろ覚えたけれど、歌や音楽は、全く知らない。仕事に必要がなかったからだ。
 お店で、曲を流すというのもいいのかもしれないな、と思いついたところで、染みついた経営者根性に溜め息を着いた。
 なにせ、ハクロ達が店を乗っ取ってから、ちょっとでもぼけっとしていると売上が減るので、いつでも帳簿片手に神経を張り詰めないといけない。
 売上が減ったら姉ちゃん達を沢山働かせればいいと思っているからな、あいつら。
 そういう問題ではないのに。

 運ばれた朝食から漂ういい匂いに感激しつつ、エドワードはゆっくりと珈琲を飲んで、軍部の階段をひたすら眺めた。
 青い制服が何人も階段を上ったり下りたりしていくのが見える。
 黒塗りの高級車が階段の前に止まる度に、顔を窓の方に近づける。
 ひょっとして、と思えば思うほど、おちつかなくて、はらはらして、固唾を呑んで車から出てくる人を確認して、落胆の息をつく、繰り返し。
「……甘かったかな」
 やっぱりそんな偶然、あるわけない。
 頬杖をつき、再度息を吐いた。
 こつこつと、テーブルを指先で叩く。珈琲はおかわり自由だったので、もう三杯目だ。
 四杯目を頼もうかと思ったとき、目の前の空席に見知らぬ男が座った。

 若い男だ。二十代中盤くらいか。黒いカットソーを着こなした、茶色い髪の若者だった。
 なんだかいろいろ話しかけてきたが、よく分からない。
 会話の相手をしていたら、おっさんが来るのを見逃すかもしれない。邪魔だからどこか行ってくれないかな、と言うのも面倒くさく、無視して窓の外を見ていたら、暫くして男は舌打ちして帰って行った。
 それから、また五分か十分か。
 何人かの人間が入れ替わり立ち替わり、エドワードの前の席に座り、暫くして悪態をついて消えた。
 エドワードは結露した窓に頭をこつん、と当てると、ぼんやりと、軍部の階段を見続ける。

 ――遠い。

 エドワードの生活には、実はあまり軍人は遠い存在ではない。
 お客さんによくいるからだ。
 彼らが酒に酔い、女性に零す愚痴や内部事情は、エドワードの生活に実に役に立ってくれている。
 だから、錯覚していた。
 彼らが近く見えるのは、あちらの方から店に来るからだ。
 店から、彼らの仕事場に行く事なんて、出来ない。敷地に足を踏み入れることすら不可能だろう。
 人を受け入れる遊郭と、人を拒む軍では元々の基盤が違うのだから仕方がないとはいえ、軍部の階段を、こんな遠くで見続ける以外に、自分があそこを見張るすべはないのだと、嫌でも思い知らされる。
「……今頃、どこにいるんだろ」
 今日は一日軍部の中か。それとも自宅か。
 自宅の場所は知らないし押しかけるつもりもない。この場所で会えなかった時点で、もうエドワードの賭は負け、なのだ。
 
 ――結局、タイムリミットの時間まで、エドワードの視界に、ロイが姿を現すことはなかった。

(終わり)