黒の祭壇

黒の祭壇

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73(連載中)

 ロイがやあやあと言いながらやってきて、俺がシャーロットをはい、と引き渡して、おっさんは、ありがとう、ではでは、なんぞといいながら帰って行くんだろうと、漠然とそんなことを思っていた。
 だから、玄関までロイを出迎えに行って、想像していなかった光景に足が止まった。
「……なんで、ハクロまでいるの」
 軍服を着たロイの側で、おどおどしながら立っているのは、この店のぼんくらオーナーだった。
 最近顔見せなかったと思ったのに、どうしたんだろうか。
 いや、それ以前に何故ロイと一緒にやってくる?
 疑問が渦を巻き、答えを求めるようにロイを見ると、奴は微笑むだけで、声は出してくれなかった。
「シャーロット迎えに来たんじゃねえのか? ハクロまで、どうして」
「俺もいます」
 そう言いながら、一人の男が開けっ放しの扉から入ってくる。
 短い金髪と、いつも鴨居に頭をぶつけそうになるほどの長身。優しげなヘビースモーカーの探偵さんだった。
「ハボック探偵まで、どうして」
「マスタング中将に呼ばれたんで」
「……」
 俺の視線をまともに受けているのに涼しそうな顔で、ロイは立っている。
 だが俺は知ってるのだ。この腹黒い男が、人の視線を無視するときは大抵、何か余計なことを考えている。
「て、ことはハクロのおっさんもロイに呼ばれたのか?」
「あ、ああ……まあ……」
 余計なことを喋りたくないのか、ちらちらと隣の男を見ながら、おどおどと答えるハクロは、いつも「金くれ」とエドワードに言ってる姿とは別人のようだ。
 わかっちゃいたが、ほんと、自分より上の人間には弱い。
 少なくとも、シャーロットをただ連れて帰るという状況ではないらしい。
 呼びつけたと言うことは、今から何かをする気なのだこいつは。
 胸の奥がじわじわと冷たくなる。頭は冷静になるのに、心臓は警戒音を鳴らしている。
「おっさん、なに企んでるんだよ」
 澄ました笑顔が、これほど空恐ろしいと思ったことはない。ロイは、俺の前では結構感情のわかりやすい男だった。だるい眠い疲れた暑い寒い好き嫌いを正直に口に出してくる。こちらが恥ずかしくなるくらいに。
 そんな男が、思ってることも口に出さずに俺の前に立っている。自分の知っている彼ではないようで、ほんの少しだけ怖かった。
「企んでるなどと人聞きが悪い。エドワード。今の時間なら一階の菖蒲の間は開いてるな。借りるぞ。君も来い」
「え、え?」
 なんでそんなことあんたが知ってるの、とか聞く暇もなく、ロイはさっさと靴を脱いで玄関にあがると、エドワードに何も説明せずさっさと一階の菖蒲の間の方に向かってしまう。
 やれやれ相変わらずだ、とか溜息を吐きながら頭を掻いたハボック探偵が、ハクロのおっさんの背中を叩いて、ほらほら、あんたも行く、とか言いながら無理矢理ハクロを引きずってってロイの後を追う。
 ハクロのおっさんは何故か、俺に助けを求めるような表情を見せたが、こっちも何も分からないので、何を助ければいいかも分からない。
 いや、そもそも助けるつもりもないけど。
「大将も来いよ。おまえいなけりゃ始まらないんだから」
「な、なあ、なんなんだいったい」
「――聞いてないのか?」
 目を瞬かせるハボックにぶんぶん、と頷く。唯一事情を教えて貰えそうな相手がいるのだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。
「これから分かるから、ほら、大将も来い」
「あ」
 これからじゃなくて今教えろよ。と言おうと思ったのに、手招きだけをすると、ハボック探偵まで襖の奥に消えてしまった。
 万事休すだ。結局事情はさっぱりわからない。
「はあ、もうなんなんだよ」
 さっきまでロイが来ない、とかしょぼくれていたのが馬鹿みたいだ。
 菖蒲の間に入ると、テーブルを挟んでロイとハクロが対峙していた。
 ハクロだけが異様な緊張感を保ちつつ、ロイと顔を合わせないように俯いている。
 なんだか長くなりそうな気がしたので、いったん台所に戻ってお茶を持ってきた。
 お茶を持ってきた俺を、振り返ってみたおっさんは、ぽんぽん、と自分の隣の座布団を叩く。
 側においで、と言われているのは分かったが、向かい側にはハクロがいるのに、なんだかやだなあとモヤモヤ。
 だけど、そんなことよりも、この状況の意味が分からなくて、エドワードはちらりと、隣に座っているロイの顔を見る。
 どういうことだろうか。
 このような状況で、何が起こるかの想像がつかないほど、エドワードも馬鹿じゃない。
 ハボック探偵、ハクロ、キンブリーはいないが、これだけの人数を揃えて現れたのだから、多分、こいつは何かをしようとしているのだ。
 ハクロはずっと借りてきた猫みたいにおとなしい。いつもデリカシーゼロの台詞を吐いて、姉ちゃん達に嫌われているのに、今日は真っ青な顔して下向いてる。
「ハクロのおっさん、具合悪いの?」
「エド」
 このおっさんの事は大嫌いだが、いきなり胸を押さえて苦しんで死なれでもしたら寝覚めが悪い。
 お茶をテーブルに四つ置いて、ロイの隣に座ってのぞき込むと、いつもなら、五月蠅いとか言うはずのハクロが、目を泳がせた。
 ほんとに熱でもあるんじゃないか、という気がして、手を伸ばす。額に手でも当てようとした寸前、右の手首を掴まれた。
「エドワード。余計なことをしなくてもいい」
「余計、って……」
 俺の手を止めたのは、ロイだった。
 超不機嫌な顔をして睨まれ、反論する気がなくなる。ぞっとするほどの凄みに、修羅場はそれなりにくぐり抜けている俺でも少し怯んだ。
「自業自得だ」
「なにが」
 そう問うと、ロイはふっと表情を和らげ、人の頭を押さえ込むようにして座らせる。それはさっきまでとは打って変わった、昔のロイの顔で、懐かしさのあまりエドワードはじっと見上げてしまった。
「さて、ハクロ。どうしてここに連れてこられたかは、予想がついていると思うが」
「……」
 ロイは俺から視線を外すと、そう言ってハクロに向き直る。奴はもう恐縮しまくっていて、俯くばかりだった。
「――君がこの店の経営権を持っているのは、個人の話だ。軍には関係ない。だが、目に余る浪費と、店の私物化はあまりにいただけないな」
「そ、それは、私の店ですし」
「そうだな。そして君は自分の店で、レイブンを接待していた。レイブンは知っての通り罪人だ。つまり君は、この店を何らかの犯罪行為に使っていた可能性もあるということだ」
 蔑む声。絶対的な王者の威厳を纏わせたまま、男はハクロを見下ろす。自分より遙かに若造に馬鹿にされているハクロのプライドはずたずただろうに、彼は冷や汗を流しながら、テーブルの傷を見ているだけだった。
 
 空気は完全に凍っている。
 ハクロにはいつもの余裕などなく、ロイの泥ついた怒りが、ハクロに向かって突き刺さっている。
 隣で怒りを喰らっていないエドワードでも逃げたくなるほどだ。直接ぶつけられるあいつが声も出ないのは分かる。
 ハクロは反論も肯定もしない。
 全てを受け入れる以外に道はないと、もう分かっているのだ。
 エドワードはやっと分かった。今日、ロイはこの場で、ハクロを断罪するつもりなのだ。
 
「私は、犯罪行為などしておりません……!」
「ほお。レイブンと親しかったという話を聞いているが、本当にあの件には関わっていないと?」
「し、知りません!」
 蒼白になりながらも、ハクロは必死で己の無実を訴える。
 エドワードは一周回って落ち着いた思考でそんなハクロを見ながら、気がついた。
 あ、これ、ほんとだ。
 
 ……多分、こいつは本当に何も知らない。

 まあ適当な悪事はしているんだろうが基本的にハクロは小物だ。レイブンみたいな度胸はない。そして嘘が下手なので、本当にレイブンの悪事に荷担していたら、すぐにぼろが出る。
「しかし、私のところには、君が不正な手段でこの店の経営権を奪ったという話も来ているのだがね」
 ロイは相変わらず対照的に涼しい顔でそう追撃する。
「不正な手段など。わ、私は前のこの店の店長の遠い親戚で」
「――直系の孫がいるはずだが」
「ああ。いることは知ってますが、私もよく知りませんで。他に親戚らしい親戚もいなかったので私が」
「ほう、ならば君は、直系の孫の居場所も顔も知らないから、自分が代わりにこの店のオーナーになっていたと言いたいのかね」
 オーナーとか言われるとなんだが虫酸が走った。
 たしかにそりゃそうかもしれないが、俺の知る限りオーナーって言うのはもっといろいろなことをやってくれるものだ。金も出すけど口も出す、ならわかるが金は奪うが口も出す。がハクロである。
「そ、そうです。私がこの店のオーナーにならなければ、きっとこの店は潰れていたはずです!」
「……」
 突破口を見つけたとばかりにハクロが言いつのる。彼に取ってみればこの場を切り抜けるためには自分の心証を少しでもよくしなければと必死なのだろう。
 エドワードは怒鳴りつけたい気持ちを通り越して、目眩がしてきた。
 おまえがオーナーになったから潰れそうなんだっての!
 こいつさえ関わってこなければ、なんとかやっていけたはずなのだ。実際売り上げは上向いていた。それをこの無能が上になったばかりに。
 
 ……だけど、何かがおかしい。
 話がずれている。もともとレイブンの共犯ではないのかと疑う様子だったのに、いつの間にか店の経営の話に移行していた。その話はレイブンの件とは関係がないんじゃ、とエドワードはおそるおそる隣のロイを見る。
 彼はもうこちらには意識が向いていないようで、まっすぐハクロを見ていた。
「本当に、直系の孫の事は知らないんだな? 調べてみようとしたこともなかったのか?」
「……」
 おかしいくらいにロイはそこを繰り返した。
 奴は酷く不遜な表情で、目の前のハボックを見て――口元を歪ませ、笑っていた。
「あ……」
 その顔は、見たことがある。たしか、数年ぶりに俺と再会したときに、見せていた、何かを企んでいるときの顔だ。
 一瞬にして悟る。咄嗟にハクロを見るが、奴はロイのその表情の意味を理解していなかった。
「はい。調べようかと思いましたが、日々の仕事に忙しく……」
 そして、失敗したのだ。
「――だそうだよ、ウィンリィ嬢」

 突如。
 今まで視界に入らなかった方向を向いて、ロイは告げた。
「それは知らなかったわ、ハクロおじさん。小さい頃会ったことがあるはずなんですけど」
 男ばかりの空間に響いてくる、高くて細い女性の声。
 自分の背後から聞こえてきた声に、エドワードの頭は固まった。
「……なっ!」
 急いで振り返る。
 部屋の入り口で、壁に凭れて腕を組んでいる女性は――――シャーロットだった。
 

(終わり)