黒の祭壇

黒の祭壇

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71(連載中)

 シャーロットは働き者の女の子だった。
 姉ちゃん達は若いシャーロットが、まるで自分の妹のように思えるらしく、俺から見ても過保護なくらいちやほやと世話を焼いていた。
「ねえ、エド。この野菜はどこにおけばいいの?」
「あ、タマネギはそこで、じゃがいもはあっちの籠の中」
 八百屋さんが置いていった荷物をほったらかしにしたまま、朝食の準備をしていると、シャーロットはそう言って声を掛けてくる。
「わかったー」
 明るくはきはきした答えが返ってきて、つい手が止まる。
 エドワードの視線に気づいていない彼女は長い金色のポニーテールを揺らしながら、タマネギの籠を抱えていた。
「終わった。手伝うよエド」
「じゃあ、悪いけど皿出して」
「いくつ?」
「十」
 眠いから寝る、と言っていた人数分引いて、今日の朝食だ。
 ほうれん草を絞りながら、不思議な気分になった。
 そういえば、同年代の異性と喋る事ってあんまなかった。この店に少女がいることがそもそも、あり得ないのだ。場所が場所だけに、少女なんてものは警戒して近づかないし、親も近づかせない。
 彼女の遭遇した事件とやらはなんだったのだろう。ロイに聞いてみたいが、あいつは、シャーロットを俺に押しつけた後、又一週間姿を見せていない。

 ――振り回されてるよなあ、俺。

 何か前見た小説にあった、前の彼女で、今は友人、みたいな立場に落ち着いてしまってる気がする。
 ……いいけどさ、分かってたけど。仕方ないけど。
 わかりきってたけど、やっぱり、苦しい。
 シャーロットに、どういう関係なの、なんて聞いてしまいたいような、聞くのが怖いような。本当に事件の関係者なんだろうか、未来の奥さんだったり……するなら、こんなところ、連れてこないか。
「エド。ほうれん草絞り過ぎじゃない?」
 溜息を聞かれてしまったのか、皿を並べ終わったシャーロットが、俺の手元をじっと見ていた。
「あ、あ、わりぃ」
 水気を完全に失ったほうれん草から手を離す。シャーロットは、なぜか、値踏みするように俺を直視していて、胸が狼狽えた。
「なんだよ」
「エドのこと、お姉ちゃん達からいろいろ聞いたんだけど。ほんとにいつも働いてるのね」
「え? まあ、仕事だし……」
 意外な言葉だった。
「マスタングさんからも聞いたの。小さい頃に、先代に拾って貰ってから、ずっといるって」
「あいつ、余計なこと……」
 勝手に人の過去をべらべら喋らないで欲しい。それとも喋るくらい気心しれた相手なのか?

「どうしてそこまでするの?」
「……」

 胸に突き刺さる問い。シャーロットは、答えをじっと待っている。目を逸らして誤魔化すことなど許されない、まっすぐな眼差しに、少女の強さを見て、負けた。
「昔、この店に拾って貰えなかったら、俺も弟も死んでた。その恩返し」
「――それはみんなから聞いたわよ。でもみんな同じ事言ってた。もうとっくに、恩は返してるって。なんでまだここにいるの?」

 嫌なところをぐさぐさと聞いてくる人だなと、思わず眉を顰める。でも、部外者であるからこその、純粋な疑問なんだろう。
 前は、戻ってくるロイを待てる場所がここしかなかったからだ。でも今はあいつは近くにいる。この店を俺が出て行ったところで、どこに行くかくらいは伝えられる。でも、どうしてこの場所にこだわるのか。
「一週間ここにいるなら想像ついてると思うけど……この仕事は、あんまり女性にとっていい仕事じゃない。働けるのも数年。金は稼げるけど、だいたいが事情があってお金がいる人ばかり。客に惚れてぼろぼろになってしまう人も、親の借金とかの返済で渋々来ている人も、精神的に耐えられなくなる人も見てきた。でも、じゃあこの店を閉めたところで、今の姉ちゃん達に行く場所なんて、ないんだ。いろんな事情で普通に生きられない人達を救ってくれる場所なんて、少ない。だからこの店を閉めたら、そういう人達はどうなるんだろう、って」
 ここがただの他の女郎宿ならば、こんなに居着いていなかったかもしれない。
 この店には、傷ついた姉ちゃん達も、姉ちゃんを買いに来るお客さんも、皆を幸せにしたいという気持ちがある店だった。それはピナコばっちゃんがいつも言っていたことで、でも、それを押し通すには、この世界はあまりに弱者に、厳しい。
「エド。貴方はこの店を、どうしたいの?」
 シャーロットは、俺を試しているように見えた。ひたすら、まっすぐ回答を強制される。
 驚いた。そんなことを俺に言ってくる奴は、周りに一人もいなかったからだ。

「――最終的には、花を売らない店にしたい。お金と引き替えに心を壊すような仕事、ないほうがいい」
 そう、元々、好きでもない男に抱かれるような仕事、やらずにすむならやりたくない。仕事と割り切っても、辛い事なのは、嫌ってくらいわかる。俺だって一時はそうなってたんだ。ばっちゃんのせいで実際は好きな相手以外に身体を開くことはなかったけれど、こんなの、姉ちゃん達にはとても言えない。
 そのための布石は打っているつもりだ。ようは、一晩をともにせずとも、姉ちゃん達が金を稼げればいいのだ。
「ま、とはいえすぐになんて無理だし。経営権は俺にはないし。現状なんとか出来る限りのことをやってるだけ」
 肩を竦めて、話を終わらせる。
 シャーロットは、複雑そうな表情で俺を見ていた。

「他の姉ちゃん達には言うなよ。ハクロなんかにはとくに」
「分かってる。言わないわ」

 彼女は、頭は廻るらしい。エドワードが誰にも言わない理由を察したようで、あっさりと頷いた。
 今はただの夢物語だ。ハクロなんか大反対するに決まってる。姉ちゃん達にも叶うかどうか分からない夢を持たせたくはない。
「よし、出来た。シャーロット運ぶの手伝ってくれ」
「う、うん」
 彼女はやっと我に返ったのか、皿を盆にのせ始める。
「ねえ、エド」
「ん?」
 鍋の蓋を閉め、火を消す。振り返ると、彼女は照れたように笑っていた。
「ありがと。ねえ私。貴方と友達になりたいな」
「……え?」
 突然のことに硬直する俺を残して、シャーロットはスリッパの音をぱたぱたとさせながら、台所を出て行った。
 

(終わり)