12(連載中)
男は何でか知らないが、あの日からえらいスパルタになった。
俺の仕事のことを分かっているのか宿題の量はそれほどでもないのだが、うんうん唸って一問解いたら、次でまた頭を抱える羽目になる。
「難しすぎねえ?」
ある日、あまりのレベルの高さに耐えかねてそう漏らしたら、男は笑った。
「君はこんなものではないはずだ。できないだって? 泣き言を言うとは君らしくない」
挑発的に言われると、乗せられていると分かっていてもカチンとくる。
「できないわけじゃねえよ!」
「なら、何故いきなりそんなことを言い出した。今までどんなに厳しい宿題を与えても文句一つ言わなかったのに」
「……」
いい加減、壁の染みまでも覚え込んだ待合室。
俺とこいつの勉強会のせいで、いつのまにやら机が固定で置かれるようになった。
宿の人たちも、ロイがこの部屋にいるときには気を遣ってあまり入ってこない。それは俺に勉強を教えていると知っているからだ。
自分はとても恵まれている。
拾って貰えて、寝る場所も貰えて、優しくして貰えて、勉強まで教えて貰える。
だから、だからこそ、だ。
「だって……」
「だって?」
鸚鵡返しに言われると、少し躊躇う。男は本当に何とも思っていないらしい。
「最初は面白く勉強してたけど、いい加減にもう、おかしいよ」
「おかしい?」
言葉は全て返される。
目を伏せても、泣いていた赤ん坊はもういない。
寝ていた赤子は、言葉を覚え、立った。いつも背負って仕事をすることはなくなった。
「だって、もう三年も経つのに、――――――おっさん、いつまでここに」
「おっさんではないと言っただろう」
ロイは不機嫌そうに眉根を寄せたが、やっぱり分かってない。
だってもう、三年。
この男は毎週のようにここに来ている。
エドワードは単純に、困っているのだ。
アルフォンスはもう歩いて自分でご飯も食べられる。
俺は、相変わらずあまり身長は伸びないけれど、巷の子供達は学校に行っている歳だ。
ロイが今まで通り将軍の付き添いならともかく、もうあの将軍は軍を退職した。
軍のことはよくわからないが、どうやらロイは一つ階級が上がったらしい。今の将軍はあまり娼館には来ないし、ロイを付き添わせることもない。
つまり、こいつはここに来る必要は、もうないのだ。
でも、週に一度必ず顔を出す。エドワードに勉強を教えるために。
渡された教科書を握り締めて、俯いた。
与えて貰ってばかりで、何もかもを手渡されて、こんなことではいけないと思う。
男はますます色男になった。
新聞でもよく名前を見る。読めるようになったのもこいつのおかげなのだ。
「もうやめようぜ」
ずっと、考えていた。それでも口に出すのはこれでも一ヶ月考えた。
「あんた、忙しいんだろ。仕事も大変そうだし。俺なんかに関わってる場合じゃ、ないんじゃないのか?」
別に、娼館に通って女性を買うのは合法だ。何も言われない。
だが評判が悪くなるのはたしかだ。ロイみたいに民衆に人気があれば特に。
「おかげで、文字も読めるようになったし、計算も出来るようになった。生きて行くには充分。これ以上はさ」
「……ふむ」
言いつのるエドワードを、男は頬杖を着いてじっと見ている。
考え込む時に出すその声は、品定めをしているようにも聞こえて、一瞬心臓が震えた。
鳩尾に力を入れて、顔を上げる。
男はエドワードを見下ろすように見て、大きな溜息をついた。
「君は、私が来ると迷惑だといいたいのか」
「――――そうだよ」
そんなわけない、と言いかけて頭は即座に回転した。
それを言えば、終わらないと判断したのだ。
本当は辿り着きたくない終わりに必死で走る。泣くのはゴールに着いたその後でいい。
決死の覚悟の発言だった。嘘ではないと証明しようと、睨み付けてみる。
「悪いが、君にとって迷惑でも関係ないんだ」
ぷらぷらと手を振られて、変なことを言われた。
男の瞳は深淵までも見通されそうなので、本当は余り見たくない。見れば見るほど胸は痛むし、泣きたくなる。
なのに、絡め取られたように身体はその瞳で固定された。
「私が君にこうして勉強を教えているのは私のためでね」
「……おっさんの?」
「だから君に迷惑でも私のしったこっちゃない」
「……」
ロイのためとか言われても意味が分からない。困り果ててロイを黙って見るエドワードに、面白そうに、ロイは笑った。
「……そうだな、君がそれでも、気になるというなら」
「―――――!」
見抜かれてる。
その一言で直感した。
エドワードの言った迷惑という言葉は、ロイの耳には入ってない。隠したはずの本心は、元から全く隠れていなかったと言うことだ。
「君にも一つ、頼まれて貰おうか」
「……?」
その微笑みが、やたら、うさんくさかったので。
少しだけ、早まったかなと思った。
(終わり)
