61(連載中)
斑鳩の間は、エドワード専用の部屋だ。
俺の客は月に数人しか来ないので、それ以外のときは部屋は閉まっている。
仕事をするときは、大嫌いな着物を着て、髪を結い、いわゆる化粧までする。斑鳩に行く前に自室でそうやって服を着替えると、思考回路を何とか切り替えた。
仕事をするつもりはないが、あちらは女郎としての俺に会いに来た上に、金まで払っているのだ。レイブンの事で聞きたいことがあるなら、仕事だと思うが、金を払った以上は客扱いするしかない。ならば、いつもの格好でいけるはずがない。
それにそもそも、この店で俺を買う奴は全員、いつも入り口で、いらっしゃいませーとか言ってる小僧が俺だと知らない。いや、知られたくない。
斑鳩の間で仕事をする俺は、本当の俺ではないし、素の自分がそんな奴らに知られるとか反吐が出る。
あちらも日常を忘れにこの館に来るのだ。だからこそこちらも、日常的な服装で出迎えるわけにもいかない。
夢を見せる場所。ほんの数時間、彼らに夢を見せる場所。天国だと思いながら変える彼らに、普段着の着物着た丁稚がさっきまで自分の相手をしていたなんて、知られては興ざめも甚だしい。
だから、金を払ってしまわれた以上は、たとえ無駄でも、それなりの格好をして迎えなければいけないと、エドワードは思っていた。
牡丹の柄の着物、髪を頭の上でまとめて、赤くて長い紐でくくる。髪を上げるのは、仕事の時だけだ。いつもの自分と髪型を変えることで、頭を切り換える。
斑鳩へ向かう通路を歩いていると、ふと庭の雛菊に目が行く。
「あ、咲いたんだ」
昨日はまだ蕾だったのに、今日はさわさわと風に嬲られ、花弁を揺らしていた。
ぼーっとその揺れる菊を見ていると、突然ひときわ強い風が、花びらの一つを奪い、空に舞い上げていく。髪を風で乱されながら、エドワードはぼんやりと消えていく花びらを見ていた。
……いいなあ。
逃げたい、なんて、久しぶりに考えた。
客が先に斑鳩に入っているのは初めてだ。いつも、準備がありますからといって、客はこちらの準備が整うまで控え室で待たされる。
その間に、部屋を片付けて、お湯を沸かして香を焚き、エドワードは準備をするのだが。
何もしていない。
(……まずいな)
軍人が、本気で俺を買う予定ではないことを祈るしかない。だいたい三百センズぽんと出すなんて、軍の経費だ。きっと。だから突っ返してやればいい。
はあ、と息を吐いて、大きく吸った。
「……よし」
シミュレーションだけは何パターンか。
後はぶっつけ本番で行くしかない。
どれだけ口が上手く廻るかに全てがかかっている。
「とにかく、俺がレイブンと結託してないことだけは信じて貰わないと」
さすがに、無実の罪で牢屋に入ると、自分でも出られる自信はなかった。
重い着物。
キラキラとした装飾と、大きな花や鳥の柄の高そうな帯。髪を結って、頭を真っ白にして、今から俳優になる、と決意しなければ、毎回仕事なんてやってられなかったと思う。
いつも思うが、こんなに着飾って女みたいな格好をしているのに、何故人は俺を買おうとするのだろうか。
綺麗な女性ならこの店にたくさんいるのに、と呟けば、世の中には男性にしか興味を示さない男もいるのだと客に言われた。そういうもんか? と首を傾げ、気がついた。
自分だって、何年も前から、一人の軍人の男のことをずっと思い続けているということを。
人のことは言えないのだ。自分だって、同性相手に醜い思いを抱き続けている。会うこともないだろうけど、会ってこの気持ちがばれたらあいつはどうするんだろう。気持ち悪いと笑うとは、何となく、思えなかった。
与えてくれたものが多すぎる、恩人というべき相手にこんな感情を抱いたことを、申し訳ないと思う。そんなつもりじゃなかった、と言うのかな。
……ああ、現実逃避してる。悪い癖だ。今から嫌なことがあると、こうして思考をよそ見させる。
斑鳩の中は人の気配がした。
一人だ。
ほっとする。一人なら殺され掛けてもなんとかなる。
怖くなる。一人なら、本気で俺を買うつもりの可能性だってある。
相手は軍人だ。俺が襖の向こうにいることくらい気づいているだろう。あまり立ち尽くしていると怪しまれる。
唾を飲み込み、勢いよく開けたい扉を、そろそろと開けた。
「お待たせしま……」
いつもの言葉。いつもの仕事。
後は、レイブンは関係ない、と説得するだけ。
――だったのに。
言葉は途中で勝手に途切れた。
神経が鋭敏になり、空気の流れまでも反応する。
ふすまに手を掛けた手は、そのまま止まった。
頭、どころか神経も心臓も、全てが完全に停止して、すぐに、あらぬ方向に暴れ出す。
「あ……」
俺は何を見ているんだろう。
唇が震えて、それ以上の声が出ない。着物の下の足は震えて、崩れ落ちそうになりながら、必死で抑えていた。
しんぞうがおかしい。
空を飛ぶ蜻蛉の羽ばたきみたいな早さで、どんどんと肺を押す。
息も出来ない。呼吸の仕方を忘れてしまった。
苦しくて苦しくて、ふすまに掛けた右手に力が籠もった。
夢を見ているんだろうか。
そう、もう数年間、ずっと見てきた、夢。
「――久しぶりだね。エド」
「……おっさん……」
部屋の真ん中に座り、こちらをまっすぐ見つめている男は、焦がれて焦がれて窒息しそうなくらい夢に見た、ロイ・マスタングその人だった。
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(終わり)
