黒の祭壇

黒の祭壇

> TEXT > ロイエド > 中編 > 膝抱っこ > 1

1(連載中)

「少尉、いる?」
 ひょこりと顔を出す子供。
 お、と手入れしていた銃から顔を上げる俺、ジャンハボック。
 扉から顔だけを出して、数秒じっとこちらを眺めている少年を見るときは、大抵その用件は決まっている。
 ああ、又か、と煙草を口から離して、灰皿に擦りつける。
 成長期の子供の前で、煙草は余りよろしくない。
 おいでおいで、と手を振れば、こどもは滅多にお目にかかれない微笑みを見せて扉を後ろ手に閉めた。





「鍵かけていいかな」
「お好きに」
 かちゃんと錠が落ちる音がする。
 安心した少年が近づきながら、机に置いた銃に視線を向けている。やっぱりあまり子供に触れさせたい物ではなくて、そっと気づかれないように遠くに押しやった。
 軍部の中の、俺達下っ端が好んで使う休憩用の喫煙室。喫煙室といえども窓は開け放たれているので、あまり煙草臭くはない。
 場所が執務室に一番近いため、俺達マスタング組が好んで使っている場所。
 休憩したり、ご飯を食べたり、煙草を吸ったり。
 ちなみに中尉は近づかないし、煙草を吸わないメンバーはもともとあまり好きではないらしく寄りつかない。まあ、それはそうだろう。
 実際一番ヘビースモーカーである俺がここの主に近い状態になっている。
 そして、時折この東方を訪れる少年は、この部屋の主にこっそりに会いに来る。密会っぽくて、なんだか変な感じだが。
 いつもは口を開けば生意気しか言わない少年が、数ヶ月ほど前にハボックに擦り着いてきてから、こんなことが繰り返されてもう何回か。

 椅子に座ったまま、おいでおいで、と両手を広げれば、子供は少し照れるようにすると、よじよじと膝に登ってきた。
 ハボックにとって横抱きになるように位置を調節すると、もぞもぞと身じろぎして自分にとって安定のいい場所を探した末に、確認するようにハボックを見上げる。
 ん?と笑えば、それが了承。どちらが言うともなく、覚え込んだ一連の動作。
 そのまま膝に載せた子猫は、ことん、とハボックの胸に頬を載せる。
 左肘がとす、と腹に当たった。
 ふわふわと明るい色素と細い毛並みの黄金が、ハボックの鼻をくすぐる。
 まだ十二歳の少年の上に、人一倍成長の遅いこの子供は、男らしくもなっておらず、ハボックにしてみれば、十歳児と変わりない。
 よいしょ、と両腕を伸ばして、腰を一回りさせて両手を組む。そのまま彼の膝の上に腕を置いて、籠を持つように抱きしめた。
 両手を組み合わせて、その中の円にはめ込んでしまう。
 ううん、と言ってエドワードがますます擦り寄るようにする。

「あー落ち着く」
「おおよしよし」
 頭を撫でながら言えば、大将はふう、と息を吐いた。

「やっぱりいいやー、人肌は。こうして少尉にもたれ掛かると安心する」
「そうかそうか」
 あまりにも普段の彼とはかけ離れたこのかわいらしい行動。
 今のところその事実を知っているのはハボックのみ。
 それになんだか優越感を持っていたりする。

 まだまだ母親に甘えたり、抱きつきたい年の子供は、いきなり失われたそれを今更求めるわけにはいかなかった。隣で歩く鎧の弟を見て、母親を抱きしめたいなどと言えるはずがなかったからだろう。
 巨大なぬいぐるみを抱っこしていると落ち着いたりとか、枕を抱きしめると癒されたり、とか。ようはこういうときのエドワードにとってハボックはそれらしい。
「んー」
 猫が足にまとわりつくように、ハボックの胸でもぞもぞするエドワード。
「昔っから、こう、好きなんだよなーふかふかしたもの」
「俺の肌はふかふかしてないぞ」
「うん、でも気持ちいい」
 普段の大将を知るものが見たら、天変地異の前触れか、と思うだろう。いくら小さいとはいえ、膝の上にのって、胸に凭れるエドワード。
 目を閉じて、温度を感じ取ろうとしている姿は、それこそあどけなくて持ち帰りたくなるくらいなんだけれども。

(かわいいよなあ)
 ヒューズ中佐のエリシアちゃんもかわいいけれど、大将もたいがいかわいいと思う。
 身長だってちびっこいし。一部鋼の身体をしていても、まだまだ子供のぷにぷにした頬だし。
 言ったら怒るから言わないけど、そんな小さい子供がすりすりと寄り添ってきて、頬が緩まないわけがない。
 エドワード本人、これが柄ではないということと、ばれたら馬鹿にされると言うことをうすうす予感しているらしく、ハボックとエドワードの間で、こういうことをしているのは秘密になった。
 普段の俺の行いのおかげだ、とハボックはちょっと自信を持っていたりするのだ。思わず触ってきたエドワードを、からかいもせず真摯に話を聞いてやったおかげでこういう役得をゲットした。
 だから彼はこの喫煙室に来るのだ。ハボックくらいしか訪れないところに。
 それもいちいち鍵を掛けて。

「あったけー」
 ぴと、と胸に手を当てられた。
「心臓の音って安心するよなー」
 生きてるんだ、って思うよな、と呟く声。
 この兄弟の旅がどれだけ大変な物か想像できないけれど、こんな短い時間でも癒しになれば、それでいいと思う。
「いつ来たんだ?」
「さっき。大佐に報告書出しに言ったら、いなかったから机の上に置いてきた。大佐今日いねえの?」
「いやー、そんなことはないが…。今日は会議も入ってなかったと思うけどなあ」
「んー、読んでOKさえ貰えればもう帰るんだけどな」
「宿は?」
「取ってる。アルが今予約しにいってる」

 膝の上で続く会話。
 なんのとりとめもなく、大将のシャンプーの匂いを嗅ぎながら、そうか、と言う。
 彼はハボックにすり寄ることで落ち着くと言うけれど、こちらも小さい子供を腕に抱くことで、癒されているのだ実は。
 柔い肌の感触は、女性ではあり得ないが、強いて言えば犬や猫のよう。
 多分エドワードもそうで、くまのぬいぐるみー、とか前言っていた気がする。
 無邪気で小さい動物に懐かれるのは気分がいい。特に毎日ささくれ立つような軍の毎日では、こどもという存在だけで胸の中のどろどろが消えて無くなりそうに思えるのだ。
 昼下がりのぽかぽか陽気。
 燦燦と照らす太陽は、熱過ぎもせず寒過ぎもしない。
 光の光線は、大気を揺らし、暖める。昼寝に最適な、時間帯で。
 光線がエドワードの髪を跳ね返すとただでさえ豪奢な黄金は天上の神の色のようで、それをこの手にしていることに、少しだけ罪悪を浪費している気になる。
「あー、眠い…」
 その陽気にやられた黙っていれば天使なこどもは、ハボックにとって不吉な言葉を呟き始めた。
 目をこすっているけれども、とろりと落ちた瞼は戻らず。とても愛くるしいので、咄嗟に口をつぐんでしまった。
「気持ちいい…」
「――――――――――え」
 ううーん、という声がしたと思うと、ほかほか陽気に身を委ねていたハボックが我に返ったときには、胸元からはかわいい寝息が聞こえていた。

(終わり)