58(連載中)
救世主!
と、一瞬思う。
事情を知っているハボック探偵が、どうしたことか珍しく近くにいた。
部屋の入り口で、床に押しつけられている俺と、縄とか持ち出してるみんなを交互に見つめている。
「ちょうどよかったハボ……」
「いいところにいたわ探偵! ちょっと貴方もエド縛るの手伝って!」
「え、ええ?」
俺が助けを求める前に、ドスのきいた声で、エイミー姉ちゃんがハボック探偵に言う。
ハボックさんは大混乱している。そりゃそうだ、状況が分からないんだろう。
「どういうことですか。みんなでよってたかってエド押し倒して、縛るとか尋常じゃないでしょう。離してあげたら」
ハボックさんの常識的な台詞に、俺は涙が出そうだった。
うわああ、なんていい人だ。あんた神様とあがめてもいい。
俺は泣きそうな顔で、いや泣いてたかもしれないけど、ハボック探偵を縋るような視線で見上げてみた。ハボック探偵は眉を顰めている。なんだかよく分からないのだろう。
「だって、今日レイブンがエドを身請けに来るって言うのよ! 冗談じゃないわよ!!」
「あ、ああその話ですか、でもなんで」
「決まってるじゃない。あいつが来る前にエドをさっさと逃がすのよ!」
そこまで説明され、やっとハボック探偵の表情が、真顔になった。理解したのだろう。
肉食獣みたいな姉ちゃんの気迫を一心に受けたハボック探偵は、少し顔を引きつらせながら、両手を挙げて、まあまあ、と宥める。まるで調教師みたいに。
「いや、それはやめたほうがいいでしょう。大変なことになります」
「じゃあハボックさんはエドがあんな爺のものになってもいいっていうの!? 見損なったわ!」
「う」
女性大好きなハボックには、美女からの見損なった、攻撃は効いたらしい。胸を一瞬押さえた。
「あー……ちょっと、落ち着いて聞いて下さい。俺が何で今ここにいると思いますか」
「……アレ? そういえば何であんたここにいるの」
「エイミーさん、酷い……」
はた、と気づいたのか、姉ちゃん達が動きを止めて、ハボックをきょとん、と見る。
普通、探偵さんは勝手に中まで入ってきたりしない。彼女たちはハボックの存在を知っているが、一緒に食事するほど親しいわけでもなかった。
「玄関に誰もいないから、悪いけど中まで入らせて貰ったんですよ、大将に伝えたいことがあったんで」
「俺?」
話がある、との言葉に反応したのか、姉ちゃん達が俺の上からどいた。
一気に場の集中は俺とハボック探偵に集中する。さっきまでの喧噪が嘘のように静かになった。
「なに、伝えたい事って」
レイブンが来ることは、ハボックも知っている。今更お別れもないだろう。伝えることが他にあっただろうか。
ゆっくり起き上がった俺の瞳をまっすぐに見て、ハボック探偵はほっとした表情を見せる。
「レイブンが、この土壇場で捕まったんす」
「……は?」
「え?」
「なにそれ」
姉ちゃん達からも声が漏れる。ざわざわとし始めた部屋の中で、ハボックは続けた。
「今日の十二時で晴れて軍の引退だったはずなんだけどな。なんと朝早くに、横領と窃盗、収賄で逮捕された」
「……つまり、どういうことなの」
ぽかんとする俺とは裏腹に、姉ちゃん達が首を傾げている。俺は、ハボック探偵の視線だけで、全てを理解した。
「ああ……恨まれてたんだな、あいつ」
「そういうことだろうな。普通なら見逃される」
横領、窃盗、収賄。
それらの事件をレイブンがやっていることなど、想像はついていた。おそらく軍も分かっていた。だが処分されなかったのは、誰もがやっているからだ。
軍の上層部は腐敗している人間とまともな人間とが、おそらく三対一程度で別れている。レイブンは前者の人間だった。
本来ならば、その辺の不正は、軍も見て見ぬ振りをしたまま、軍人は退役する。
おっさんの前の上司もそうだった。この店に来ては姉ちゃん達を買っていたが、その金は軍の経費からの一部横領であったことくらい、俺にも分かってた。だがそいつは何も咎められることなく定年退職をしている。
軍とは、そんなものだ。
――だから、退官間際にこんなやり方で捕まえるなんて、普通はありえない。軍は不祥事を嫌う。在任中に少々好き勝手したからといって、定年したら関係なくなる。さっさと地雷は放逐したい。いちいち爆発させたくなんてない。
ましてや将軍にまで上り詰めた男を一発で失脚させるなんて、相当な権力の持ち主だろう。それこそ、元帥か大総統。
「よって、レイブンは自宅に戻ることなく、留置所行き。有罪は確定だろうから、老後はのんびりなんてわけにはいかなくなったな」
「……退役したら、罪が軽くなる。現役の大将の不正行為とは比べものにならない。人ごとながら、えげつねえな」
捕まえた奴は、わざわざ罪が重くなるタイミングで、捕まえたのだ。おそらく退職のご挨拶なんかをして、幸せ一杯の表情であったであろうレイブンの部屋にでも押しかけたんだろう。
身体の力が抜けて、腕が力を失った。
全身がふやけたタオルみたいに、心許ない。がちがちだった頭はスポンジみたいに柔らかくなって、余計な思考は一瞬にして消え失せた。
ただただ脱力感が身を襲う。まるで風邪を引いたときみたいに。
――気が抜けた。
無理もない。この一ヶ月悩んでいたことは、全て無意味だったのだ。最後の最後で、神様とやらがいたらしい。
「仮にもメインの客だったっていうのに、全然哀しくねえな俺」
「当たり前だろ。むしろ喜ぶべきとこだろ」
「……そうだよなあ」
だって、奴がこのタイミングで捕まったということは、つまり。
「大将のいったとおりだ」
「ん?」
振り返れば、ハボックは煙草に火をつけて、口元に当てると煙を吸い込んだ。
「諦めないとなんとかなるもんだな」![]()
(終わり)
