黒の祭壇

黒の祭壇

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27(連載中)

「あれ? エド坊は?」
「…………」
 出入りの呉服屋が俺を目の前にしながら、きょろきょろと当たりを見回す。
 エドワードは着物の裾をぎゅう、と掴んでがっくりと項垂れた。
 これで何人目だ。
 いつも野菜を持ってくる八百屋も、花屋も、酒屋も、あげくの果てに呉服屋までもが、俺の姿を見て、同じ事を言った。
「じっちゃん、俺」
 まだきょろきょろしているじっちゃんに、自分を指さしながら声を出したら、さすがに声で分かったのか、呉服屋のじっちゃんは目をまんまるに見開いて顎をがくん、と下げた。
「なんだなんだ!? エド?! ほんとに?!」
「……どこから見ても俺じゃねえかよ!」
 ちょっと女物の服を着て、髪を結ってあげてるだけだ。着物のせいで体型が隠れてしまうから、ない胸も気にならないかもしれないが、だからって。
「いやー見違えたなあ! おっちゃん全然わかんなかったよ! 新顔の女郎かと思ってたわ! どうしたんだいったい、そんな服着て!」
「……」
 これで何人目になるのか忘れたが、事情を簡単に説明する。
 呉服屋のじっちゃんは、俺がこの店に来る前からの付き合いなので、今更誤魔化せず、正直に説明することにした。その点では信用できる人だ。
「ああ、あいつか……」
 レイブンの事は名前を出さなかったのに、誰のことか分かったらしく、話し終わった後じっちゃんは軽く舌打ちをした。
「ありゃあ将軍だからな。奴が本気を出したら逆らえる奴はまずいない。なんとか宥められるのはハクロぐらいだろうよ、まああいつも性格が悪いんで、似たり寄ったりだが、レイブンよりはましだ」
「……やっぱり、じっちゃんも知ってたんだな。なんで言ってくれなかったんだよ」
「そりゃおめえ、言ってどうにもならねえだろうが。聞いて気持ちのいい話じゃないし。知らないならそれに越したこたあねえが、まあこうなったらそうも言ってられねえだろうな」
 じっちゃんは縁側に座ると、煙草の管を取り出した。どうやら世間話としゃれ込むらしい。
 トントン、と管の灰を落として、吹かす。煙が空に上っていった。
「ピナコのばあさんがいねえのは、どうもしゃっきりしねえなあ。エドがあと十歳くってりゃ心配することもねえんだろうが、まだお前子供だしよ」
「俺だって、誰か代わりにやってくれる人がいるなら、譲りてえけど、姉ちゃん達納得しねえんだもん」
「そりゃそうだろよ、おめえはもう何年もこの店に住んでて、実務をやってたんだ。ぽっと出の誰かに譲りたいわけがない。せめてお前がバカならなあ」
「は?」
 じっちゃんは愉快そうに笑うと、エドワードの頭を煙草の管でこづいた。
「もともとの出来がいいのに、あの英雄マスタングの教えまで受けたとあっちゃあ、お前以上に経営能力のある大人を捜す方が珍しいだろうよ。神様からの贈り物がそれだけだったらよかったのに、神様も余計なものまでくれたもんだ」
「余計なもの?」
「神様に愛されすぎる子供は全部を持って生まれてきて、さっさと神様が奪っていっちまう。何人か見てきたよ。何回経験しても気持ちのいいもんじゃねえ」
「? じっちゃん、どういうこと?」
 それにはじっちゃんは答えなかった。ただ、誤魔化すように笑って、次の煙草に火をつけただけだった。
 
 
 
 それから一ヶ月は平和な物だった。
 レイブンの影は形もなかったし、ハクロの情報も特に目新しい物はなかった。
 どうやら彼らは今長期の出張とやらで、他の町にいるらしい。この町の人間から情報が入ってこないのも当然である。
「悪いねえ、お客さん。あの子は店には出てないんだよ」
 洗濯物を畳んでいる俺の耳に、客に諭すように優しく語りかけているリリー姉ちゃんの声が聞こえてくる。
 お客さん達からは俺の姿は影に隠れて見えないが、俺には声は丸聞こえだ。
「なんでだよ。あんなかわいいのに店に出てないわけないだろう」
「お客さん、あの子の服を見たろう? 私達みたいな着物じゃなくて、地味な普段着だったじゃないか。店に出る子ならもっと綺麗な格好をさせてるよ」
「じゃあ、これから店に出る子なのか? もし出るなら……」
「悪いが、あの子は身体にちょっと欠陥があってね、お客さんの相手はさせられないんだ。諦めてくれ」
「欠陥?! なんだそりゃ、足が悪いとか手が動かないくらいなら別に気にならないぞ」
「そうじゃなくてね……、ちょっと耳かして」
 リリー姉ちゃんが、客の耳元でぼそぼそと呟いた。
 声だけしかきこえないが、それはほんとか? と驚く客の声がする。
「そうか、なら仕方ないな……しかし残念だな、あんなにかわいいのに」
「すまないねえ」
 いや、いいよ、と物わかりがいきなりよくなった客の声が遠くなっていく。
 エドワードは洗濯物を畳む手がいつのまにか止まっている事に気がついた。
 ……毎回思うのだが、いったいどういう理由をつけて断っているんだろう。
 あれだけしつこかった客がさっさと帰っていくとは。
 しかし、世の中の男は見る目がない。
 どうして俺を見て買おうなどと思うのか。男が無理矢理女装してるんだからお世辞にも可愛くも綺麗でもないだろう。
 世間には下手物好きが思ったより多いのかもしれない。
(……きっとおっさんなら、こんな俺の格好見たら大笑いしてくれるだろうな……)
 似合わない、と言って笑ってくれたらいいのに。
 洗濯物を畳む気分じゃなくなって、ぱた、と手を膝に落とす。
「……膝枕でもいいからしてくれないかなあ、って言われたわよ」
 はあ、と大きな溜息をついた瞬間、リリー姉ちゃんが柱の影から姿を見せた。
「なんか、ごめん。毎回ああやって断らせて」
 こうして毎回しつこい客とのやりとりを繰り返している彼女たちの姿を見ると、ひょっとしたら自分の選択は間違いだったんじゃなかろうかと思うのだ。
 そんなエドワードの落ち込みに気がついたのか、リリー姉ちゃんはあわてて手を振った。
「そんなつもりで言ったんじゃないのよ? エドへの誘いを断るくらい、レイブンから逃げる事に比べればよっぽどましなんだから」
「……そうかな。俺、実際見たこともないから、その人がどのくらい怖くて性格悪いのか、とかって全然わかんなくて」
 だからあまり危機感がない。怖い危ないといわれ、そういうものなのかと思っているが、実際差し迫った恐怖も感じていない。
 どっちかというとその恐怖と警戒は、自分の周囲の人たちの方が切実な気がする。
「でも、今のところおかげさまでなのかなんなのか、ハクロ達の影もないしね。このまま……」
 うまくいきそう、と言いかけたのであろうリリーの声を止めたのは、もの凄い勢いで近づいてくる誰かの足音だった。
「たいへんたいへんたいへん――――!!」
 入り口の襖を吹き飛びそうなくらい勢いよくスパーンと開けて部屋の中に転がり込んできたのは、ローザ姉ちゃんだった。
 どれだけの勢いで息してきたのか、息が上がっている。
「……きた………」
 肩を上下させながら、ローザ姉ちゃんが、へたへたと崩れ落ちる。
 先程までの和やかな雰囲気が一変して、急に空気が張り詰めた。
 ばっちゃんの時を思い出す。誰かが大慌てで駆け込んでくる時に、吉報だったことはただの一度もない。
 動きたくないなあ、とエドワードが思っていた数秒の間に、リリーはもう立ち上がっていた。
「どうしたのよ、ローザ。いったい……」
 慌てて駆け寄るリリーだが、ローザは視線を床に移したまま、蒼白になって呟いている。
「来たのよ……今更……」
「え?」
「ハクロが来た」
「――――――――――は?」


 思えば、一ヶ月は平和な物だった。
 逆に言えば、一ヶ月しか平和でなかったのだ。
 

(終わり)