黒の祭壇

黒の祭壇

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 だいたい、最初に王様ゲームをやろうなんて馬鹿なことを言い出したのは誰だったんだ?
 そうだ、今目の前で渡された紙を手にして真剣に悩んでるこの小さい子供を、やんややんやとはやし立ててるヘビースモーカーのこの男じゃあなかったっけ?

 既に周りの奴らは酔っぱらいまくっていて、ハボックがエドワードの「王様ゲームってなに」の台詞に「百聞は一見にしかず」とかなんとかアホな言葉で子供を無理矢理引っ張り込んだのだ。
 止めるはずの中尉は出張で留守。…というのもあるからハボックやブレダ達がこうして羽目を外しているんだろうが。

 アルコールが血液の数パーセントを浸しているのであろう部下達は既に正常な思考能力を失っている。
 まともなのは多分適度に酔った振りをしている私と、先ほどから一滴たりとも酒を飲まされていないそこの子供だけだろう。
 当たり前だ、未成年に酒など飲ませたら燃やしてやる。
 ソファーにふんぞり返ってビールを飲みながら、やれやれ、と途方に暮れた顔をして両手でメモを握り締め、ちょこんと座るコードの少年を見る。
 …まあ、そんなことは駄目だ、と言って追い返せば良かったんだよな、私も。
 でも久しぶりにやってきた小さい少年が、自分の視界に届く場所に居続けてくれるというチャンスをみすみす逃すほど人間は出来ていなくて。
 ハボック達が用意した罰ゲームの紙が何かは知らないが、どんなむちゃくちゃを要求されてもロイにはかわす自信があった。
 そもそも自分が負けるとは到底思っておらず、結局、先ほどから強運でくぐり抜けてきた少年が始めてばばを引いたらしい。
 いつも白い頬がなぜか赤く染まって紙を持つ両手がぷるぷると小さく震えている。
 何を引いたんだろう、と暢気に酒を胃に流し込んでいたロイには、その数秒後の爆弾発言など想像も出来ていなかった。

 ひょこ、と紙を覗き込んだハボックが呟く。
『3番が2番にキス』

 そういえば、王様はハボックだった。
 今回の王様ゲームは全メンバーが事前に紙にやって欲しいことを書いて、それを箱に入れておき、王様がその中から好きなものを選ぶというやり方になっていたのだった。
 ハボックが手にした紙を鋼のに渡したのはそういうことか。3番ってたしか鋼のだったな――――――――――ん?
 2番って誰。

「え、なに、これ、やんなきゃいけねえの?」
 半泣きの少年が縋るようにハボックを見る。当然とハボックは笑ったが何が当然なのかきっと言った本人もよく分かっていないだろう。既に上半身がふらふらしている。
「そうそう、大将は大佐にキスしなきゃ駄目なんだよ~」
 けたけたと笑いながら次の焼酎を注ぐ私の忠実な狗が変な反逆を起こした。

 でかしたハボック。

 ――――――――――じゃなくて!

「駄目だ!」
「わかったよ!やってやる!」
 ――――――――――え?
 渾身の力を込めて立ち上がると、拒絶の言葉を口にした私の耳に飛び込んできたのは同じタイミングで立ち上がった子供の壮絶なまでの覚悟の台詞だった。
 親の敵みたいに睨まれてこちらに向かってくる子供に思わず後じさる。
「え、鋼の、本気か?!」
 そりゃ、嬉しい、嬉しいけどですよ。
 こんなところで公衆の面前でそんなことされたら、ちょっとただでさえ最近目減りしている私の理性が暴走しそうだからすんごい嫌だけど結構頑張って、駄目だっていったのに。

 君がそんなこと言ったら私の努力の意味が。

 慌てる私とえらい気合いの入ったエドワードといういつもとなんだか逆のパターンながらずんずんと近づいてきた子供は、立ち上がった私にキスしようとして――――――――――失敗した。



 両手を一生懸命伸ばすが、いかんせん身長が足りない。
 こちらが屈まないことには、エドワードはキス一つ出来ないのだ。
 そのことに気がついた彼がみるみるうちに真っ赤になってわなわなと震える。照れているのではない。決して。これは、どうみても悔しがった上に腹を立てている。
「は、鋼の…」
 同情的な私の視線に、何を言いたいのか察したらしい子供が、がん、と脚を踏む。
「屈め!無能!」
「はい!」
 ぎりぎりと親指あたりの負荷に内心悲鳴を上げながらも反射的に腰を落とせば、情け容赦のない両手ががし、と頬を掴む。
 思ったより近くに彼の顔を見て、瞬間周囲の景色を忘れた。
「は…」
 最後まで言うことは叶わず。
 唇に押し当てられたその感触に目を見開いた。



 ――――――――――え。
 数センチ先には頬を染めて目を閉じて、黙って人の唇に己のそれを押しつけている、ずっと前から大好きで、言うつもりもなくて、欲望を抑えるのもなかなか慣れてきたもんだな、すごいぞ私、なんて思っていた相手、が。
「っ………」
 唇の塗れた感触が彼の唾液だと気がつく。
 がんじがらめにされて閉じこめられ、その軟禁生活にもいい加減慣れたと思っていた己の中の雄の部分が突然咆哮をあげて、檻を破壊し始めた。

 生々しい口触り。
 かさついた唇が唾液で濡らされ、ぬめぬめとした別の生き物のように変化する。
 ……まずい。

 このままでは激情が、大人の理性の殻を壊してしまう。
 衝動的にかき抱きそうになる腕をどうにか堪えて、すんでの所で押しとどめる。

「――――――――――っ!終わり!」
 何の余韻もなく、その生物はロイから離れた。
 呆然としたロイをよそに、エドワードはばっと身体を反転させると、ハボックに向き直る。
「ほら!次やろうぜ次!」
 唖然と立ちつくすロイからさっさと離れていくエドワードだが、その耳が赤いのに、こちらの方が熱くなる。

 …どうしよう。
 周囲の奴らはぐでんぐてんで、この情けない顔をろくすっぽ見てないのが幸いだ。ハボックもブレダもフュリーも、残されたロイの方よりも、無茶な罰ゲームを果敢にもこなした少年を喝采で迎えており、こちらの方には目を向けていない。

 顔が熱くて、熱があるんじゃないかと思う。いや、きっと今計ったら40度くらいある。
 頭が茫洋としているのに、同時になんだか分からない衝動が喉元まで迫り上がってくる。
 駄目だ。
 さっきから、頭の中には一生懸命に熱をこちらに与えてくる彼の唇だとか、掠れた吐息や、頬を挟んだ暖かな掌だとか、そんな残像ばかりが必死でリフレインしている。

 繰り返すな。誰もそんなことは頼んでないだろう。
 脳のテープレコーダーはこんなに簡単に壊れるものだったか?

 …………ああ、このままだと、多分、他の部分まで連動して壊れる。
 これだけ周囲に人が居るのに、手首を掴んで胸の中に押し込めたくなる。
 本能的に、視線がそのまま金の子供を追う。
 潰れたハボックの腕を引っ張って何とか起こそうとする姿は、あどけなく、さきほどまであんな顔して人にキスしていたようには見えない。
 三つ編みの尻尾がひょこひょこ動いて、子狐が尻尾を振っているような、可愛らしい姿に……欲情している自分に気がついた。


 なけなしの理性は退却を要求。
 適当な理由をつけて執務室を出る私の背中に不思議そうな子供の視線が突き刺さっているのが分かったが、その存在ごと拒絶したくて、扉を派手に閉めた。

(終わり)