黒の祭壇

黒の祭壇

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33(連載中)

 お茶のおかわりを持ってきます、と言って退却しようとしたエドワードを、ハクロが押しとどめる。
「いや、いいよ。私は飲まないから」
「ですが」
「いいからここに座りなさい」
 有無を言わせぬ様子で押し切られ、薄暗い部屋の中で、眼光が自分に向けられているのを見ると逃げるに逃げられなくなった。
 あまり強行にお茶をお茶を、というのも逆に怪しまれる。
 しぶしぶエドワードはお茶を目の前の二人に出すと、言われたとおり床に座った。
 だいたいハクロが私は飲まない、と言ったところで、支配人とその客人、そして使用人の三人の時点で、お茶が飲めないのは自分になるに決まっているじゃないか。
 別にどうしてもお茶が飲みたいわけではないが、わざとなんじゃなかろうな、とか思ってしまう。
 ハクロの隣にいる男は見たことがない奴だった。
 黒くストレートの長髪で、表情はにこにこと笑顔だが、どこか薄気味悪く感じてしまうのは、エドワードの客商売としての感だ。
 もとから不機嫌そうな男の方がまだよい。本心は楽しくなんかないくせに笑顔を張り付かせている奴の方が、数倍怖い。白いスーツを着て、長身で細身のカマキリみたいな男だった。
「紹介しよう。キンブリーだ」
 聞いたことがない名前だった。
 とりあえず軽くお辞儀をする。
 聞きたいのは名前より、この男がどうしてここにいるのかということなのだ。
 だが噂に聞いていたレイブンという男ではないらしい。本来なら喜ぶべきところだったが、今のエドワードには全く喜ばしくなどなかった。
 部屋はしっとりと暗く、いつでも仕事ができるように、淡い照明と蒲団が敷いてある。目の前に置かれたお茶には手をつけず、ただ張り付いたような笑みを浮かべている男を正視するのが怖く、エドワードはわざと焦点をぼかした。
「それで、どうしたんでしょうか。わざわざこんな場所で」
「もう体の方は大丈夫なのかね」
「え?」
 まさかそう来るとは思っておらず、エドワードは思わずきょとん、と警戒を解いてハクロを見つめてしまう。ハクロの眼球の揺らめきには嘘はなく、単純に思ったことを口に出しているだけと判断したエドワードはなぜか慌てた。
「すみません。ご心配かけましたが、もう大丈夫です」
「本当かね。いやあのときはびっくりしたよ」
「……もうしわけありません…」
 迷惑をかけたことは本当だったので、思わず肩が下がる。
 この点で、エドワードは結局のところ、甘いのだと言わざるを得ない。
 少し体を心配されたくらいで警戒を解くべきではなかったのだ。
 ハクロとキンブリーは顔を見合わせると、何かを視線だけで会話し、頷く。
「キンブリー」
「はい」
 ハクロが顎をしゃくり、キンブリーがするりと立ち上がった。
 後ろで纏めたキンブリーの長髪が揺れ、男は無駄にそつのない丁寧な動きでエドワードに近づく。エドワードは初めて見る男の長身を思わずぼんやりと確認してしまい、言葉を発するのを忘れた。
 だが、言葉を発することは出来たのかどうか。
 身体が一瞬浮いた、と思った瞬間、背中から、床に叩きつけられる。
「な……!」
 背中に衝撃を覚悟したが、倒されたのは用意してある布団の上だった。柔らかい羽毛が衝撃を揺らげてくれたものの、目の前にはキンブリーの不気味な笑みが迫っている。
 起き上がるには圧倒的に時間が足りなかった。
 キンブリーはエドワードを跨いで座り込むと、起き上がろうとするエドワードの腕を掴み、ねじり上げる。
「い……っ!」
 普段なら相手をひねってばかりの細い腕が、あっさりと押さえつけられる。
 腹に重い男の感触を感じながら、脳内で、キンブリーの正体を探った。
 ――こいつは、軍人だ。
 あまりに隙のない動きと、人を押し倒し、のし掛かりながら顔色一つ変えない冷静さ。
 戦場ならこいつは、このまま迷わずエドワードの首を切る。
「何すんだよ!」
 凍り付いた身体で叫んだ。
 心臓は言いようのない不安に早鐘を打っているが、聞こえない振りをする。
 だが、キンブリーを睨み付けた瞬間に、ダメだ、と思った。
 問題はこいつじゃない。命令したのは――
「ハクロ支配人。なんのつもりなんですか?」
「なに、ちょっとね。私はこういうのはやりたくないんでね」
「……だから、いったい……」
 ハクロはお茶を啜りながら、しれっとした顔でエドワードの懇願を受け流す。
 キンブリーに押し倒されたエドワードには目もくれず、急須からお茶のおかわりを自分で注いだ。
「なあに、心配しなくてもすぐに済む。――キンブリー、後は頼む」
「……了解しました」
 何が済むのか、など、確認するのもおぞましい。
 ただ、男の手が己の服に掛かった瞬間に、本能的に身の危険を察知した心臓が、狂いそうな心音をがなり立てた。
 逃げろ、と頭は繰り返す。
 吐き気と気持ち悪さが全身の悪寒を連れてくる、というのに、そんなエドワードの様子は、室内の二人の男にとっては、小蠅が飛ぶ程度の変化にもならないらしかった。
「ちょっと、何……!」
「すぐ終わる、って言ったでしょう?」
「……!」
 キンブリーがのし掛かり、エドワードの首を軽く掴んだ。
 反射的に咳き込み、暴れる身体が止まる。
 相手の抵抗を簡単に奪う術まで心得ている男相手に、己が勝てる気はあまりしない。
 今になって、やっとエドワードはこの部屋に通された理由を知る。
 嫌な予感は、たいてい現実になる物だと、何度も何度も痛感したはずだったのに、結局、自分は又、間違えた。

(終わり)