黒の祭壇

黒の祭壇

> TEXT > ロイエド > 中編 > Hirow's Trump > 5

5(連載中)


  「――――――――――な」
 光。蛍を何匹も閉じこめているかのような白い光が、掌を覆う。奔流は豪雨のように一瞬にして部屋中を焦がした。…これは
「錬成…光?」
 ちょっとまて、だってこれは普通のトランプで。錬成陣も何も書いてなんかなくて。だって大佐は発火布もしてなくて。
 刹那、バチッと感電するような音とともに、光が消滅した。
 一瞬だけ一陣の風が吹き抜けると、すぐにそれも無へ還る。


 
  「…………なんだ、あれ」
「ハイロゥのジョーカーには目には見えない錬成陣が書いてある」
「…え」
 大佐の微笑みは、いやにうさんくさい。
「カードによって違うし、何が起こるかは説明書を読まなければ分からない。発動条件は本人が自分の名前をカードに書くこと」
「――――――――――え」
 すすす、と血が下へと落ちていく。
 ひょっとして、俺は。墓穴とか言う穴を今掘ってるのでは無かろうか。
 大佐は立ち上がるとぽかんとする俺を置いて、入り口の扉に鍵をかけた。
 カシャン、と錠が降りる音。
 待てやオイ。なんで鍵をかける必要性があるんだ。入ってこられると困るのか、なんで。いや、今から困ることをする気だこいつ。

「…鋼の」
「何」
 大佐の瞳は獲物をロックオンした蛇そのまま。こちらの一挙一足を伺っているのがみえみえだった。



「…私のことが、好きか?」
「はい」
 さらりと答えて、数秒経ってからおかしいと思った。



 そしてそんな怪訝そうな俺に、満面の笑みで大佐が近寄ってくる。思わず後じさった。
 やだ、やだ、いやな予感。
 立ち上がって両手を叩いて扉を錬成して飛び出るまでの所要時間と大佐がそれを妨害する反射速度を考える。
 今までのところ10戦10敗。多分勝ち目ない。
 いいや、諦めるのはまだ早い。往生際が悪いのが俺の取り柄だ。何とかしてここから脱出すれば。そうか窓からだったらもう少し早いかも。

 いつの間にか目の前まで迫っていた大佐が、あっさりと左腕を掴む。
「――――――――――」
 しまった、遅かった。いつもこうなんだが、俺って学習能力がなさ過ぎる。
「本当に?」
「うん」
 大佐の確認に、感覚より先に口が動いた。



 ――――――――――おかしい。
 なんか変。
 壁にどん、と押しつけられる状態になっても、頭はパニックで上手く動かない。
 さっきから頭より先に口が動いてばかりだ。紡いでいる言葉は本心なのだけれど、それはいつもならば絶対に心の中で蓋をして見せないように努力している言葉達ではなかったか。
 それこそ、あの男に前後不覚になるくらいまで煽られた時でない限り、鎖で縛って、絶対に外には見せないはずなのに。

「君はよくあの札の錬成陣を見なかっただろう、見れば一目瞭然だったのに」
「……」
「チオペンタールやアミタールの錬成陣もあっただろうが」
「え、ま…、あれって」
 かがみ込んだ大佐がそっと額に唇を落とす。そのまま頬を撫でられて、思わず瞳を閉じた。
「ハイロゥのジョーカーはその種類によっては億を超える値段がつく。ジョーカー一枚でだ。普通のトランプがあんなに破格の値段で取引されているわけないだろう」
「っ…」
 男の不埒な手が何を望んでいるか嫌でも理解して、身を竦めた。 
「ただし54枚揃うか、説明書がないとそのジョーカーに何の錬成陣が書かれているかはわからないからね。賭けでもある」
「………」
「私の知ってる限りでは、睡眠薬、美白剤、増毛剤、…惚れ薬や、催淫剤もあったというぞ。これはちょっと欲しかったな」

 エドの頭に記憶したトランプの錬成陣が次から次に浮かんでは消える。
 そうだ、よく考えれば分かったことだった。

「自白剤…かよっ!」
「自分から網にひっかかるとは思いもしなかったな。君は、ほんとうにかわいい」
「う……」
 馬鹿野郎と否定する思考を、脳が引っ張ってこれない。
 だんだんと、頭が朦朧として、意識を繋げなくなってくる。力を失いかけた自分の脇の下を大佐の腕がくぐって、よいしょ、と抱え上げられるように抱きかかえられた。

「二時間しか効かないそうだからな、無駄な時間は使えないか」
「ちょ、なに、それ――――――――――!」
「さて、もう一度聞こうか。さっきの言葉は本気か?」
「な、にが…」
 などという間にも人の膝頭の裏をあっさり抱え込んだ大佐は人を軽々と抱っこするとすたすたと仮眠室に向かう。
 おそろしいことに頭には霞が掛かったようで、大佐の声が霧の中から聞こえてくるような気までして。
 ただの自白剤じゃない。さすが希代の錬金術師が作っただけあって、威力が並大抵ではない。力が入らないのは、冷静な思考能力を無くさせて、言葉を吐き出しやすくさせるためだろうが、これでは熱にうなされた病人と同じだ。



「ほんとうに、弟が元に戻ったら私の側にいてくれるのか?」
「う…ん、そのつもり」
 ああ、やだ、まずい。
 そんな馬鹿正直に答えてはいかんと思っているのに、口が勝手に動く。
 大佐が仮眠室の扉を開けるに至っては流石に背筋に冷や汗が流れた。



「ま、さか…する、の?」
「当然。二時間しかない」
 風格を漂わせてそんなことを言われても全然内容は立派じゃない。
「当然、ってあんた、ここ仕事場」
「鍵はかけたよ」
「そう言う問題じゃ」
 本当は暴れてこの腕から逃れるべきなんだけれども、なぜかどっと疲れが襲ってきていて、身体がうまく動かない。
 麻痺しているわけではないのだけれどまるで全力疾走を24時間し続けた後のような疲労感。大佐の腕をはね除ける体力がなかった。



「いや?」
 大佐のくせに、首をかしげて優しげに微笑まれてしまえば。
「いやじゃ、ないけど」

 駄目、駄目、ちょっと待て。何言ってる俺の口。違う、それ口にしちゃ駄目だろう。


 頭の中は完全に否定しているのに、口が全く逆のことを言う。
 大佐は、耳まで真っ赤になりながら、ゆっくりと答える俺の顔を見上げると、ぽかん、と鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
 ああ、そりゃそうだ。こんなこと、俺の口から普通なら出るわけがない。

(…泣きそう)
 いや、もう泣く。
 そんな顔を見られたくなくて、額を大佐の肩に押しつけた。
 これで少なくとも顔を見なくてすむと思うと少し気が抜ける。

「いつも、いやだって言ってたじゃないか」
 ぎゅう、と自分の背に廻された大佐の手に力が篭もるのが分かった。大佐のくせに声が震えている。この男だって、信じられないのだろう。
 それで、また動けない。
「あれ、は…だって、恥ずかしいし」
「じゃあ、好き?」



 心臓が跳ね上がる。
 ――――――――――まずい。
 この質問は、最悪だ。
 答えたら終わる。
 大佐の軍服を握り締めることで、嗚咽に似た衝動を耐える。ゆっくりと息を吐いて落ち着こうと試みた。



「鋼の?」
 自分でも良く耐えたと思うが、薄闇の中で、意識はそれでも口を留めてくれた。押しつけた額は絶対に上げられない。
 顔さえ見なければ、まだ、まだなんとかこの喉を突き破ろうとする衝動を耐えられると思った。
 なのに、この男は、そんなエドワードの肩に手をやると、ぐい、と押し戻す。
 まるで子どもが親に抱え上げられたような体勢で、左腕はエドワードの体重をすべて負担しているというのに、全く衰える気配がない。
 そのまま半泣きの自分の頬に手を当てる。いつもなら見上げる視線を見下ろすことは、本当は望んでいたことの筈だったのに、ここまで至近距離だと、それは瞬時に望まないことになる。
「…大佐」
 首を振る。お願いだから聞くな、と全身で訴える。男は、すべてを承知している、と慈愛に満ちた笑みを浮かべ
「私に抱かれるのは好きか?」
 …全然許してくれなかった。



「うわ…、あんた、最低――――――――――!」
「質問に答えなさい」
 冗談。
 なのに、逆らえば逆らうほど意識は混濁して、喉の奥に苦い物が詰まる。
「鋼の」
「あ…、う」
 顔を逸らそうとしたら、顎を掴まれて戻される。あくまでも目を見て言え、とこれは強制だ。
 だから、その目の奥にあるものを認めたら、本当に堕落するからいやなんだと。
「鋼の、答えなさい」
「……」
「エドワード」
 ぞくぞくと耳元に吹き込まれた言葉は、あまりにも甘い自白剤だった。そのまま耳を甘噛みされる。
 あ。
 この高性能な男は、一瞬にして、エドワードの手足を麻痺させる。そんじょそこらの薬なんかより、よっぽど効果的な投薬。
 最後の理性が収縮する。
 氷が溶けるように小さくなっていくそれ。押しとどめようとする回路ごと粉砕された。



「好き、っていうより…」
「いうより?」
「…嬉しい」
「――――――――――」



 吐き出した途端に、即座に喉の奥の固まりが消えた。
 瞬時に、今まで押さえ込まれていたものが、逆流して身体に戻る。過剰に押さえ込んだ反動で、目の前が一瞬ぶれた。
 今なら多分、大佐を突き飛ばして逃げられる。それくらいの体力は、一時的だが戻った。

 …でも、遅い。
 目の前の男の瞳は、すでに羊を食べようとする狼の物に変わっている。
 その腕の中にがっちり抱え込まれた生け贄が、逃げられるはずはないのだ。

(終わり)