黒の祭壇

黒の祭壇

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 四ヶ月目。

 テロリストの犯行声明兼、猟奇殺人事件が立て続けに発生し、走り回っていたロイが、その二つをやけくそのように一気に解決したのは徹夜三日目に近い頃だった。
 ハボック達はさすがに帰らせた。事務処理が滞っていた気がする、と執務室に戻ってきてみたら、やっぱり容赦のない書類が山積みになっている。
「まずいな…」
 その山の高さを目算で測りつつ、一人愚痴る。
 エドワードが来るという話だった。
 そして睡眠不足、この状況で何が発生するかは学習済。おそらくエドワードに会って次に目が覚めたらまたソファーの上だろう。
 たしか、昼の三時に着く汽車で来る予定だった。ということは今から数時間仮眠をすればエドワードが来た時には睡眠不足という事態は避けられる。
 一番いいのは今からこの積み上がった書類を片付けてしまうことなのだが、それをすれば今までと同じ結果がもたらされるのは明白だった。
 原因は分からなくとも、結果は予測できる。
 目覚し時計をセットして、仮眠室のベッドに潜り込む。この手が成功してエドワードと無事に食事が出来たとしたら。
 嬉しい事は嬉しいが、その後の仕事量は考えるだけで逃亡したくなるほどの量になる。でも、それでも、ろくに会えない方がよほど辛かったのだ。 



 何時間経ったのだろうか。
 仮眠室の扉の開く音がして、ロイの意識が覚醒した。
 軍人という職業柄、物音には敏感に反応する。目を開けてもよかったのだが、様子を探るために寝たふりを続けた。
 目覚し時計は鳴っていない。予定より少し早い時間だ。
 小さく開かれた扉はどうやらロイの睡眠に配慮しているようだ。それが部下達の遠慮なのか、それとも刺客がロイを起こさないようにするためなのかは分からない。
 殺気は感じないが、プロの刺客ならば、殺す瞬間まで殺気は抑えるので、あてにならない。気がつかれないようにベッドの下に忍ばせている拳銃に手を伸ばす。
 こつこつと小さいブーツの音が近づいてきて、一気に力が抜けた。
 音で分かる。エドワードだ。
 空気の流れで分かる。覗き込まれているのだろう。
 なんだか目を開けるタイミングを逸して、ロイは居心地の悪い気持ちを味わう。

「寝てるのか……」

 ほ、と吐息の音がする。エドワードはどうやら安心しているようだ。そんなに会いたくないんだろうかと被害妄想な事を考える。
 ふわふわ、と髪に手が触れる感覚がする。年甲斐もなく頭を撫でられているらしい。
 思わず起き上がりそうになった。
 滲み出てくる柔らかい空気。彼が頭を殴ることはあっても、撫でられた記憶は一度もない。まるで恋人に膝枕をされているような錯覚が視界を排除した脳に投影される。

「じゃあ、今日は俺が術をかけるまでもなかったな」

 ぽつりと、小さな独り言。

(――――――――――え?)

 今、なんといった?

 『術をかけるまでも』

 たゆたう意識はそこで霧になった。
 思考が言語になる前に、身体が動く。
 咄嗟に手を伸ばして目を開けると、彼の腕を掴んだ。

 機能を取り戻した瞳が、一人の子供に焦点を大急ぎで合わせる。子供は突然のことに対応できず、ただ本能的に突然動き出した物から逃げ出そうと腰を引いた。

「え、大佐……!」
「今の台詞は何だ」
 寝ているとばかり思っていた男がいきなり目を覚まして手を掴めば、それは驚くだろう。エドワードは目を見開いて硬直する。
 頓着せず起き上がった。

「今、なんといった…?」
「…………!」

 さっと蒼白になる顔。
 子供は便利だ。嘘がつけない。大人はずるいので、いくらでも冷静を装える。

「術を掛けるまでもない、といったな、君は私に対して何をしたんだ」
「…………」
 詰まった子供が、唇を噛んだ。
 失敗した、と言わんばかりの表情。触れた左の手首は温かくて、脈の音がする。だがロイの苛立ちは収まらない。
「いつも君に会った途端に寝てしまうのは、自分が疲れているからだと思っていた。だが、――――――――――違うのか。君は私になにかをしたんだな?」
「………………催眠術を、前習ったことがあって」
 観念したのか、一瞬瞳を伏せると、エドワードは苦々しげに呟いた。
「何ヶ月か前にあんたにかけたんだ。俺に会って、「無能」って言われたら大佐が寝るような催眠術」
「……………」
 そう言えば、今までロイが意識を失ったのは全て、エドワードがその台詞を吐いた後だった。
 謎が解けて霧が晴れたのと同時に、今度は雨雲が現れた。一気に沈殿し、ハリを失う内臓と精神。
(催眠術……)
 まさか、それは想像してなかった。
 ずきりと痛んだ頭に手を当てる。
 自分の知らない間に、この脳味噌は彼の操人形にされていたらしい。ぞっとする。術を掛けられた記憶もない。だが何かの時に、けろっとした顔でそんな悪辣なことをしでかしたのだと思うと、正直気味が悪かった。
 こちらは必死で彼との食事や会話の時間を取ろうと思っていたのに、そんな気持ちでいる自分を眠らせる術なんかを掛けていたのだ。
 話しかければ、苦笑したり嫌そうな顔をしながらも、普通に受け答えはしてくれていた。よく寝てしまう、と愚痴る自分に「老化現象だろ」とかあんまり洒落にならない台詞で返していたというのに。
 すべて、嘘だったのだ。ロイが昏倒する理由も知っていて、しかもそれを自分がもたらしていたくせに。
 自分で自分に同情する。さぞかし憐れなことだろう。そんなに嫌がっていたとも知らず、一人で必死に時間を作ろうとしていたのだ。

「そこまで……嫌だったか」
「え?」

 黙っておけばいいのに、女々しくも口から漏れた。
 手を離すと、エドワードは反射的に一歩退く。その動作ですらも拒絶に思えて心臓が泣いた。
「そこまで私の顔を見たくなかったか。……それもそうだな、報告書を出す用事さえなければ、私と顔などあわせたくないだろう」
「え?」
「さっさと出て行きなさい。報告書は机の上か?」
 エドワードは彼にしては珍しい力のない声で動揺していたが、顔を見る気にはなれなかった。勝手とは知りつつも、一発殴りかねないと思ったからだ。
 戸惑った様子で、行動を決めかねているエドワードに溜息をつく。

「出て行きなさい」

 先ほどより重い口調で繰り返せば、エドワードはその言葉に込められた拒絶にさすがに気がついたらしい。一瞬俯くと、黙って踵を返した。



 最後まで、顔を見る勇気はなかった。エドワードが出ていく扉の音がするまで、ベッドの上の自分の手の甲から視線は逸れなかった。
 別に、もう会わないってわけでもないのだが、あんな事実を公表されたすぐ後では、冷静に話し続ける自信がなかっただけだ。だから追い返す。
 仮眠室から出て、もさもさと上着を着ると欠伸をする。
 エドワードの姿は当然ない。執務机の上には茶封筒が一つ置かれていて、中を開くと相変わらずの汚い字の報告書だった。
 どっさりと高級椅子にもたれ掛かって溜息。
「はぁ……」
 この静謐がまたまずい。視界が狭くなり、脳も混乱していくだけだった。
 腹が立つは通り過ぎて、哀しい。
 エドワードの口が悪いのはいつものことなので、嫌い嫌い苦手、と口ではいいつつも本気の本気ではなかろうと思いこんでいた。
 まさか、こっそり黙って顔を見ないように画策するとは知らなかった。
 その当人にばれないよう気をつけながら距離を置くのは、本気で嫌いな相手の時だ。その相手をあからさまに拒絶することが己の不利になるなら、なおさらだ。自分だって苦手な将軍や令嬢との関係を改善するために、湾曲な手を使って会う機会を減らすことはよくある。
 つまり、エドワードは本気の本気で会いたくないのだろう。しかし明確な拒否は、兄弟の旅にとって不利益でしかない。姑息な手段だが、確実だ。ロイには気づかれずに接触を防ぐことが出来る。
 それに催眠にまんまとひっかかるのがありえない。軍人のくせに。
 相手がエドワードだからおそらく気を抜いていたのだ。惚れた相手にこんなに簡単に気を許してはダメだろう。
 己の中で感情が色を変えていくのが分かる。
 今までの一緒に食事をしよう、などの前向きな気持ちは霧散して、すっかり真っ黒の諦め色になった。
 彼に対して日々罵詈雑言でも吐いていたならば、嫌われても仕方がないと思えるが、そこまで酷い態度を取っていただろうか。自分が嫌っていない人から、いきなり嫌われるのは辛い。しかも本人は、うまくやっているつもりでいた。
 その上、惚れた相手と来るとこれはもう王手だ。
 制御不能な苛立ちと絶望が、脳を暴れて身体を動かそうとする。
 理性的な頭脳がつけようとする結論を咀嚼されたくなくて、ロイは首を大きく振って思考をよそに廻した。
「………そういえば催眠術を解除して貰っていないな」
 いつでもエドワードの思うがままにされるのはむかつくところだ。
 どうしよう、まだ東方にいるだろうか。旅立つ前に解除だけでも頼みたいところだ。
「……頼む?」
 いらっとした。
 なんで私が彼に頼まなければならないのだ。人の心を勝手に操ったのはあちらで、こちらが頼み込むのは逆じゃないのか。
 でも、頼まなければ解除はしてもらえないわけで。
 向こうとしてもどうやら少しは罪悪感があるようだったので、頼めば解除はしてくれるだろう。催眠術はその当人でないと解けないという話は聞いたことがないので、しようと思えば他人でも頼めないことはないのだろうが。
 ロイの頭はエドワードに解除を頼むことに決定していた。
「…馬鹿だな、私は……」
 そういう理由にすれば、どんなに嫌でももう一回は会ってくれるんじゃないか、と。
 ここまで嫌われていながら、女々しすぎる。
 ごつん、と頭を机に落としたところでノックの音が響いた。
 
 
 
「大佐、お目覚めですか」
 顔を上げれば、扉を開けて入って来たのは美貌の副官だった。
 手にはどうやら追加らしい書類を持っている。
 うげぇ、と思ったが表情には出せない。
 扉が閉まると、珍しく微笑みながら、ホークアイはかつかつと近寄った。
「さきほど、エドワード君が凄い勢いで部屋を出て行きましたよ。あの様子だと、ばれましたか?」
「…………知っていたのか」
 一瞬、中尉にまで怒りが沸いて、慌てて押し殺した。いつも自分の側で一緒に戦ってくれる彼女までもが、こんな趣味の悪い騒動に乗っているなんて、思いたくなかったからだ。
「まあ、潮時でしょうし。でも、よく眠れたんじゃないですか?」
 ふふ、と優しそうに微笑むホークアイの表情に、ぽかんと口を開ける。
 どうもおかしい。ホークアイはエドワードのあの行動を黙認の上、悪くは思っていなかったようだ。
 先程までの苛立ちは、疑問に変換された。
 どういうことだ?と呟くロイに、
「あら?ご存じなかったんですか?」
とホークアイは首を傾げた。


(終わり)