黒の祭壇

黒の祭壇

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59(連載中)

 軍の行動は早かった。

 翌日には、レイブンの罪状は確定し、裁判が始まった。
 奴は横領した金を返すためにほぼ全ての資産を没収され、退職金もなくなった。懲役何年になるかは分からないが、しばらくは臭い飯だろう。生きてるうちに刑務所から出られるかどうか。
 自業自得なので、同情するつもりはない。
 もし出てきたとしても、俺を身請けなんて不可能だ。住む場所すら押収されている。正直死ぬまで刑務所にいる方が幸せかもしれない。
 後ろ盾がなくなったハクロは暫く慌てていた。今も慌てている。
 おそらく、奴も横領の片棒とか担いでたんじゃないかと思っている。
「あいつ馬鹿だから、逃げられないだろうな……」
 軍部が、ハクロみたいな下っ端まで捕まえるつもりならだが。
 今回、レイブンを捕まえたからといって、軍の闇が一掃されたと考えるのは総計だ。軍はそんなに簡単なところじゃない。今回レイブンを捕まえた奴は、単にレイブンが邪魔だっただけだろう。自分に利する人間なら、そいつが汚職していても目をつぶる。軍というのは哀しいかなそういうところだ。
 まあ、奇跡を信じるならば、レイブンを捕まえた人間が、軍人とは思えないくらいいい奴で、心に正義を持って悪を許せないタイプだった場合だろう。
 諦めることはしないが、奇跡は信じない人間なので、エドワードは、そんな夢を見るのをやめた。

「珈琲のおかわりは」
「あ、お願いします」

 いつもの喫茶店で一人、マスターの珈琲のおかわりを堪能しながら、軍部の入り口を見る。
 この店にはもう、来られないと思っていたのに、今もこうして、通い続けている。本当に、レイブンを捕まえてくれた人には感謝してもしたりない。
 この店に来るのは、もう、ただの日課だ。珈琲飲んで、頭を空っぽにするために来ている。
 大佐に会えないのが普通なので、逆に今現れたとしても見逃してしまいそうな気がする。
 もし、一度会えたら、俺はどんな気持ちになるんだろう。
 俺が年を取ったように、あいつも年を取っているはずだ。
 新聞の写真は白黒でぼやけていて、昔とどう違うのか分からない。ただ、ああ、おっさんだな、と思うだけ。
 会いたい気持ちが麻痺してくる。
 気を抜くと、会いたいと暴れ出す自分の心の病。発症タイミングは、あいつの写真とか記事を見たり、その他諸々、生活のどこに潜んでいるかわかったものじゃない。
 だから、その都度、頭のスイッチをパチン、と落とす。

 考えたら、壊れる。
 後先考えずに行動したら、ろくなことにならないと分かっている理性を簡単に凌駕してしまうこの感情は、本能に似ていて恐怖を覚える。
 忘れたら、どれだけ楽になれるだろうと思うけど、忘れたくない、とも思う。
 なぜなら、今の俺を作ったのは、間違いなくあいつでもあるからだ。
「そもそも、無理だよな、忘れるとかさ」

 この言葉はどうやって覚えた。
 帳簿の書き方はどうやって覚えた。
 軍内部の派閥構成はどうやって覚えた。

 人の急所も、クレーマーのあしらい方も、食事の時のマナーも、接待の時の礼儀も。
 生きていく上で必要な知識は、誰が教えた。
 ロイを忘れるということは、自分の一部を忘れることだ。多分そうなったら、スプーンでえぐり取られた不完全な豆腐みたいな自分ができあがる。
 あの男は、小さいエドワードの心をここまで鎖で縛り付けただなんて、思ってもないんだろうけど。
 珈琲のたゆたう色まで、大佐の髪の色に見えて困る。
 俺の人生の中で、あいつと一緒にいた期間はほんの少しだった。
 なのに、あの数ヶ月が、別れてからの数年よりもずっとずっと濃くて忘れられない。刻印みたいに。
 人生の中で、過去に戻れるとしたら、どこを選ぶだろう。
 昔の俺ならきっと、母さんが死ぬ前のゆりかごの中を選んだ。
 でも今は……多分、あの最初のときを選ぶんだろう。

 あいつが、俺に声を掛けてくれた、あの時を。

(終わり)