黒の祭壇

黒の祭壇

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76(連載中)


 数日後、ハクロが持っていた全ての権利書は、ウィンリィ・ロックベルに譲渡された。

 ハクロは、刑務所に入ることはなかったが、これだけの揉め事を起こした後では、これ以上の出世は望めないだろう。
 そんな話をロイに聞かされても、未だにエドワードには実感がわかなかった。
「どうした」
 斑鳩の間は、もう、仕事で使うことはない。使うのは、こいつがここに来るときくらいだ。
 ぼんやり座る俺を見て、仕事が終わってから訪れたロイは、目の前に座ると、頬に手を伸ばしてきた。
「元気がないな。嫌なことでもあったのか」
 おずおずと見上げてみる。軍服のコートを脱いだ男は、乱れた服を直しもせず、いつも通りの凛々しい色男だった。シャツの胸元から見える鎖骨に、酷く動揺する。恥ずかしくて唇を噛んだ。
 この男を好きになって何年が経つだろうか。
 違う世界の人間だと思っているのに、奴があまりにも側に来るから自分の情けなさばかりが強調されてしまう。
「なんかさ、情けなくて」
「情けない?」
 ロイは首を傾げる。
「ロイは、この一ヶ月ウィンリィを探したり、ハクロの不正を掴んだりしてたからここに来なかったんだろ? なのに俺、寂しがったり嫌われたのかと悩んだりして、自分の視界の狭さに情けない」
 こんなに狭くなるんだろうか。頭の中はいつも来月の売り上げとか、姉ちゃん達の体調管理とか、明日の朝ご飯のことばっかりだったのに、今やそれらを追い出して、頭のど真ん中にこの男が居座っている。
「ここまで馬鹿になるとは思わなかった」
「……君こそ、私をすっかり馬鹿にしてくれてることに気づいてないだろう」
 ロイは呆れたように溜息をつく。不思議に思って見上げる俺を、そのまま抱きしめた。
「君を店に出すような事態に陥らせたのがあのハクロだと知ってから、私こそ馬鹿みたいに一生懸命彼女の行方を捜して、使えるコネは使えるだけ使ったよ。権力など、嫌いだと思っていたが、そんなことはどうでもよかった。私がここに来る度に、君の寂しそうな笑顔が辛くて。私の方こそ、頭の中が君のことでいっぱいだ。馬鹿になったのは私も一緒だ」
「……」
 責任はよくわからない。けど、ロイの鼓動が聞こえるのが嬉しくて、身体から力が抜けていく。

 ハクロはいなくなった。

 ウィンリィは、この店の経営は俺に任せると言ってくれた。そして、貴方の夢を叶えて見せて、と言ってくれた。
 こいつが帰ってきてから、俺の周りはあまりに環境が激変して、ついていけないくらいだ。
「……あのさ」
「なんだ」
 その声だけで泣けてきたのは不思議だった。いろんな悩み事がなくなって、心の檻が壊れてしまった気がする。全力疾走した後に、もう走らなくていいと言われたような気分。
「……ありがとう。俺、助けられてばっかりだ」
 子供だった頃、こいつの知識がなければ、今までやってこれなかった。
 そして今も、こいつがいなければ、ウィンリィは多分見つかっていなかった。
 自分は何も出来ていない事がふがいないのに、離れられるほど大人でもなく、エドワードはロイの服に顔をすり寄せた。
「エドワード」
「あ」
 そのまま暖かい感触に身を委ねていようと思ったのに、無理矢理剥がされる。
 思わず不満がましい声が出た。
 何するんだ、と顔を見上げると、男はどこか真剣な瞳で、顔を近づけてくる。
「ん、んん……っ」
 いきなり唇を塞がれて、肩が震えた。ロイはそんな態度を許さないように、肩を掴み、そのまま布団に押し倒す。
「え、あ……」
 性急に奴の手がふくらはぎを触り、着物の裾を割りながら上に上がってくる。思わず息を吸い込んでしまったら、逃げた舌を掴まれた。
「わ、え、な、なに……」
「何って……」
 慌てる俺を見て、人にのしかかっていた男が少し眉を寄せる。
「分かるだろう。ここまで来たら」
「え、まさか……する、の……?」
 そもそもはここはそういう部屋なので、当然の流れなのかもしれないが、そんなことになるとは、なんだか思っていなかった。
「嫌か?」
 まっすぐに瞳を見つめられて、真っ赤になる事はあれど、首を横に振るなんて出来るわけがない。
「ロイがいいなら、いいけど……」
 だが、前のときはほとんどあいつもおかしかった。いろんな激情が溢れていた気がするが今のロイは冷静そのもので、前みたいに流されるままで許されるような気がしない。
「俺、全然そういうの勉強してないんだよな、どうしよう」
 手管という物を仕込まれていないし、知識もない。姉ちゃん達に教えて貰えるのかもしれないが、今まで必要としていなかった。
「……エド、君……まさか」
 何故かロイは、愕然とした顔をして、手を止めた。
 少し身を起こすと、額に手を当て、何かを考え込んでしまう。

「? なんだよ」
「――三つ、心配になった、正直に答えてくれ」
「? うん」
「一つ。君は私がいいならいい、というが、それは私に対する負い目だったりするのか」
「負い目?」
「……自分でも、下心があったことは認める。君を救えるなら救いたかったけれど、君に感謝されたいという気持ちもなかったとはいえない。だけど、そのせいで、したくもない我慢を君にさせてしまうのは本意ではない。そんなつもりではなかった」
「俺が、ロイにいろいろ助けて貰ったから、抱かれるのも我慢してるってこと?」
「私に対する感謝で、相手をして貰っても意味がない。私が欲しいのはそんな同情や、感謝ではない」
「俺を抱くことがお返しになるともあんまおもえねえんだけど。ほんとにロイにお返しするなら、俺の持ってる情報の方がよっぽど価値あるぜ」
 特に理由もなかったので話してはいないが、この数年間情報屋もどきの事をしていたので、知りたいことがあればかなりの確率で手に入れられると思う。本当にロイに礼をしたいなら、頭で返した方がいい。
 と、告げると、ロイは頭を抱えて、違うそう言う意味じゃない、と言った。
「まあいい。次だ。君は、私が君に他の女郎のようなテクニックを求めていると思ってるのか?」
「違うのか?」
 俺みたいな奴を相手にするって事はそういう意味かと思っていた。
 その返事に、今度こそロイは苦々しげに眉を寄せる。

「最後だ。君は、私の事ををどう思ってる」
「え……、前も言ったじゃねえか」
「もう一度聞きたい。自信が無くなった」
「……」
 やばい、顔が熱い。分かってる癖に何で何度も言わせようとするんだろうこいつは。今だって、胸を触られたら俺がどれだけ緊張してるか一発でばれそうなのに。
「ず、ずるいおっさん。何で俺ばっかそんなこと言わせようとするんだよ。分かってる癖に」
「私は君を好きだよ。愛している」
「――――っ!」
 ののしってやろうとした口からは、空気しか出なかった。
 人の手首を掴んで、起き上がれないようにした男は、そのまま顔を近づけてくる。
「前も言ったな。君のその聡明さも、強気なところも、金色の瞳も、全部愛しくてたまらないんだ、と」
「き、聞いてない……」
 この言葉を言うだけでも必死だった。あまりに緊張しすぎて声が喉を通らない。
「ああ、言ったのは前のときか、君はほとんど記憶を飛ばしていたから覚えてないかもしれないな」
「な……っ」
 体温が沸騰寸前まで上がる。こいつ、天然にしてはタチが悪い。
「な、なんでそんなことあっさり言うんだよ……! 意地張ってる俺が馬鹿みたいじゃねえか!」
「いや、そういうところも気に入っているから気にしないよ。どうも君は、私の愛情をよく分かってくれていなかったようだから、反省したんだ。前のときは私もいろいろ誤解をしていて、乱暴だったし」
「そ、そういうこと、いうの、やめ……」
 忘れたいのに思い出してしまう。思い出すと当然身体が、火照ってきて触れられたくなっている自分に気づいてしまう。
「いや、今日はどんなに耳を塞いでも言わせて貰う。そうしないと、君はいろいろ余計なことを考えると言うことがわかったからな。朝まで気絶しないように頑張ってくれたまえ」
「な、なにそれ……っあ、や、やだ……っ!」
 止まっていた動きが再開する。いきなり太ももを撫でられ、思わずずりあがった。
「――悪いが、私も一ヶ月、禁断症状で飢えてたんだ。その上、長い間の懸念事項もなくなって、少し浮かれてる。逃げられるとは思わない方がいいよ。朝まで誰も来ないように言ってるし」
「へ? な、なんだそれ誰にそんな……っ」
 朝まで誰も来ないイコールそういうことするから邪魔するな、の意味だ。誰に言うも何も、相手なんて一人しかいない。店の姉ちゃん達である。
 つまり、それって俺とロイのこういう関係がばれてるということで……え、ちょっと待て、マジか。
 どういうこと、と聞こうとした口は塞がれ、その隙に帯がするりと身体から離れていく。前回とは違う雰囲気で性急に進む行為に、待ってというものの、大人の手管に経験のないエドワードが叶うわけもない。
 あっという間にそんなことも忘れて、奴の手の中に溺れていくだけになった。
 
 次の日、エドワードは始めて仕事を休んだ。
 

(終わり)