8(連載中)
「おっさん、最近よく来るな」
「……だから、おっさんではないというのに」
アルを一回抱き直して、どうしようかなと思った。エドワードは客のこんな姿を見てしまったが最後、やらなければいけないことがある。だが両手には弟。手放せない。
ちょっと一旦寝かせてこよう。
「そこで待ってろよ、アル置いてくるから」
「ああ、別にかまわんよ。コートぐらい自分で持つ」
その台詞で三歩進んでいた歩みが止まった。
本来ならばこのような状況に遭遇したら、エドワードはお客様のコートを預かり、待合室に案内しなければならない。周りに誰も居ないのでなおさらだ。
「それより、どうしたんだ今日は。出迎えてくれたのもカトリーナだけだったし」
そのカトリーナは先ほど将軍を連れて二階に上がっていった赤毛の女性のことだ。ロイがここに来たときには彼女しかいなかったらしい。
「今日は、健康診断だから多分みんなバタバタしてるんだと思う」
答えながら、どうしよう、と思った。
玄関を無人にするわけにはいかない。
独りで留守番していたカトリーナは、将軍が来たせいでいなくなってしまった。客が来たのに誰も出迎えがなければ、その客はもうこの店には来てくれなくなるだろう。店の評判まで悪くなってしまう。
(だからといって、俺が赤ん坊抱いて玄関で立ってても……)
男の子供がいらっしゃいませ、と迎えても、それはそれで妙だ。
「……私が見ていようか?」
「え?」
何も口に出していないのに、ロイが突然声を掛けてきて、エドワードの思考を切り取った。
「アルフォンス。私が抱いておくからその間に誰か他の人を呼んでくればいい」
ほら、と両手を差し出されて、一歩下がった。
思わずぎゅうと胸の中の弟を抱きしめる。
ロイが悪い人じゃないのは分かっているけれど、無性に気味が悪くなってしまう。
警戒心が拭えない。
「……やっぱり、私に渡すのは嫌かね」
苦笑して、ロイの腕が降りる。その陰りのある頬に、彼を傷つけたことに気がついたが、エドワードもこれはもう、反射的な物で。
自分でもどうにかしなければと思っている。だけど怖いのだ。
弟をその度に抱きしめるのは、アルフォンスの為じゃなくて自分の怯懦を葬り去るため。毎回成功しないけれども。
「……俺が、さ、働くところを探して彷徨ってたとき」
忘れようと封印していた記憶をいやいや呼び戻す。
なぜか、そこまでしてでもロイには理由を話さなければいけない気がした。
「あるお店で、何人かの男の人が優しくしてくれて、おまえが仕事に行く間、アルを預かってやるって言ってくれて、……渡したんだ。そしたら………むぐ」
続きの言葉を言うために、喉を一回鳴らしたらそこで声は止まった。
もごもごと、エドワードの声は声帯から肺に戻される。
男は黙ってコートを片手に持ったまま、時計を見ながらもう一方の手をエドワードの口に当てて発言を封じていた。
「別に言わなくていい。脳が忘れたがってることは忘れさせておきなさい。自己防衛本能なんだから」
「……、むー!」
「もうこんなに時間が経ったのか。君はここにいなさい。私が誰か呼んでくるよ」
エドワードよりも時計に目線を向けたままの男は、そのままぱっと手をエドワードの口から離すと、さっさと右の廊下へ消えていった。振り返りもせずに。
「…………」
離れた人肌の暖かさ。ぽつんと玄関に弟を抱いたまま取り残される。
うう、と唸って俯いた。
いやだな、動悸がする。
悪い病気かな。
ぺたん、と床に座り込んだのは、暑くて暑くてたまらなくなったから。
着物は通気性のよいものだから暑くなんてなるはずがないのにな。
アルフォンスをくるんでいる毛布に頭を擦りつけたら、きゃはは、と弟の笑い声がしてああ、幸せなんだなと、今改めて痛感した。
(終わり)
