黒の祭壇

黒の祭壇

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56(連載中)

 マスタング大佐、中将に昇進。

 翌朝の新聞記事を見て、手が止まった。
「うわ、マジか」
 二階級特進。
 死亡でもしないとあり得ないはずのスピードアップ出世。
 毎朝恒例、まだ夜が明ける前に、裏口の前に座り込んで新聞を読む。
 他の奴らの昇進報告よりかなり遅いのは、あまりに多大の貢献をしたため、精査に時間がかかっていたのだろうという予想がされている。
 人事発令情報の項目には、ドラクマとの和解交渉の担当者などの役職名がまずは並んでいたが、そこにロイの名前はない。
「陸軍特殊作戦部隊司令官……」
 名前があったのは、別の場所だった。
「なるほど、殲滅部隊の司令官かよ」

 陸軍特殊作戦部隊は、アメストリス軍隊の中でも最強と言われる特殊部隊だ。主に暗殺や、少数精鋭での敵地突破などを担当する。
 和平交渉などの表舞台には立たせず、その戦闘能力を最大限いかせる部隊への配属。彼の戦場での活躍を考えたら、戦闘部隊の長を勤めさせることは、妥当とも言えた。新聞記事にも適材適所だの、これで我がアメストリス軍は無敵だ、などの勇ましい台詞が並んでいる。
「悪い配置じゃないんだろうけど……」
 なんとなく、あいつはそんなこと望んでない気がして、少し胸が痛い。
 戦場でロイがどれだけ人を殺したかは知っている。見ていたわけじゃなくても、軍の情報と新聞だけでだいたいのことは分かるのだ。

 戦場において最強最悪の人間兵器。

 敵ではなくてよかったと騒ぐ国民達。雑誌の中には、殺しを楽しむ殺人鬼のようにロイのことを掻き立てている物もあった。
 だけど、エドワードはあいつがそんな奴じゃないと知っている。
 少なくとも、俺の知るロイ・マスタングは、楽しんで人を殺す人ではなかった。
 小さい俺にたくさんの知識を詰め込みながら、あいつはいつでも言っていた。
 命はとても大切な物。失えば二度と戻ってこない。戦争などくだらない。平和が一番なのだと。
 何より平和を望んでいた男が、なにより戦場で人を殺す。
 それは、自分の心に嘘をつく行為だ。
 心に嘘をつくと、人は壊れる。壊れたくないなら、凍らせるしかない。
「……おっさん、今どんな顔、してんのかな」
 笑ってくれるんだろうか。心は壊れてないだろうか。もし出来るなら、軍人なんてやめて欲しいと思うのは……アメストリス中で、俺だけかもしれない。
「でも、よかった」
 生きて帰ってきてくれた。会えなくても、それだけでエドワードの心には、暖かい灯火がともっている。
 立ち上がって伸びをする。
 顔をあげると、空にやっと太陽が顔を出し始めていた。
 呼吸して、吐き出す息はもう白くない。
 ――朝の空気は冷たくて、みずみずしくて嫌いじゃない。
「――働くか」

 この家で働けるのも、今日まで。
 レイブンの身請けの件は、店の人は誰も知らない。
 ハクロはもちろん知っているが、どうやら軍を退くレイブンにはあまり興味がないらしい。噂によると今は他の軍人にすり寄っているとか何とか。
 まあ、ハクロはどうでもいいのだ。この店の経営に口出したり、俺を飼うとか馬鹿なことさえ言い出さなければ。
 今のうちに洗濯洗濯、その合間にご飯炊いて姉ちゃん達の食事だ、と数時間の計画を頭の中で練り直して台所に向かったエドワードの上機嫌な気分は、だが、すぐに打ち砕かれることになった。
 
 
 
 朝食の用意はエドワードの仕事だ。
 姉ちゃん達は朝方まで働いているので、朝食は昼近くになる。
 大家族分の食事の用意をするのも、何年もやっていると手慣れた物で、朝、魚屋が持ってきた鰺が今日の朝食のメインだ。
 豆腐屋からもいい豆腐を貰ったことだし、朝摘みほうれん草も味見したら美味しかったし、エドワード的には大満足で食堂に食事を持って入った、の、だが……
「あれ、なんでみんないるの?」
 いつもなら、食事を並べてから全員を呼ぶのに、珍しく今日は既にみんなが部屋にいた。
 入るなり、じっとりとした視線でねめつけられる。
「……?」
 どう見ても歓迎されていない視線をぶつけられ、エドワードは俺、何かしたかな、と考えた。
 お盆を抱えたまま固まる俺の前で、チェルシー姉ちゃんが立ち上がる。
「聞いたわよエド」
「なにが」
 なんか聞きたくないけど聞き返す。
 中には目尻に涙を貯めている人までいて、何がそんなに悔しいのか分からない。
「なによレイブンの身請けって」
「……あー……」
 彼女たちの、鬼気迫った表情の意味を、やっと理解する。
 そしてがっかり。
 隠し通せるかなと思っていた。あと数時間だったし。
 だけど、やっぱりそう都合よくはいかなかったようだ。
「誰から聞いたんだ?……いや、誰でもいいか、どうせハクロあたりか」
 キンブリーかもしれない。まあどっちでもいい。
 ハボックさん、というのはあまりあり得ない気がする。
「なんで教えてくれなかったのよ!」
「そうよ! 今日なんて聞いてないわよ!」
「酷いじゃない! なんであんな爺にエドが取られなきゃいけないのよ!」
 一人が叫ぶと後は芋づるだった。
 呼応するように次から次に怒鳴られ、エドワードはお盆を持ったまま、俯く。

 まいった。

 こうなることが分かっていたから隠していたのに。
 だいたい、姉ちゃん達に聞きたいくらいだ。

「だったらどうすれば?」

 と。
 何とか回避できる策を探そうにも、断るイコール店をどうにかすると脅されている状態では何も出来ない。
 いろいろ考えた末に、奴のところに行くフリをして、そのまま逃げ出すのが一番だと考えたのだ。
 だが、どこから漏れるか分からないので、逃げ出す事は言えない。
 エドワードの計画では、レイブンの家からさっさと逃げ出し、ドラクマに渡り、孫娘を捜すつもりだった。
 そんなことを彼女たちは知らない方がいい。知っていれば、余計なことに巻き込まれる。
 黙っていると落ち着くかと思ったけど、三分経っても彼女たちの怒号は病まず、なんだかだんだん、何故俺が怒られているのだろうかと考え始めた。
「とりあえず、飯食ってからにしない? スープが冷める」
「……」
 一気に場が静かになった。
 冷たいスープと冷たい魚の効果は、思った以上に絶大だった。
 食事は偉大だ。

(終わり)