黒の祭壇

黒の祭壇

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 渡された人体錬成の本はそれはもう素晴らしかった。
 暗号もそれなりに難しかったがまあ解けないレベルではなかった。
 などと、数ヶ月解読にかかったことは棚に上げて格好いいことを言ってみる。
 わくわくしながら次を読んで、さすがディーターの図書館だとじーんと感動した物だ。普通手に入らない。

 さて、ここから実際の人体錬成について語りましょうか、といったところで本が終わったことを除けば。



 ばたりと書庫で倒れ込む俺達兄弟。
「そうだよねえ…普通、人体錬成がどうのこうの、って話になったら一冊じゃ終わらないよねえ」
 さすがのアルフォンスも期待が大きかっただけに、ショックも大きいらしい。
「もともと一冊って条件だから二巻をください、なんて言えないよな」
 一体全何巻なのかはしらないが、番人が渡してくれた本が一巻なのは全然悪くない。人体錬成について、という条件で渡してくれたわけで、番人の行動は全くどこも悪くない。

 でも一巻だけ貰っても全く役に立たないのだった。

 これはどこかで二巻以降を手に入れるか、他の方法で頑張るかしかない。番人と直接交渉したいが、大佐が教えてくれるかどうか。そもそもそんなに簡単に手に入るなら、きっと大佐の方からくれているはずだ。
「…今度返しに行こうか」
 弟の言葉には、もうこの本にはこれ以上見るべき物はないから、と言う裏の意味がある。
 そうだな、と答えて、この役に立ったんだか立たないんだか分からない文献をぱたんと閉じた。

 東方まで、汽車で五時間。
 急いで返す必要もないが、物が物だけにあまり長いこと持っていたくないのもたしか。無くしたりなんかしたらどんな目に遭わされるのか。
 大佐の嫌味だけではすむまい。噂のクリフォトの抹殺機関とやらがやってくるかもしれないのだ。冗談ではなかった。
 対象物をその痕跡まで消し去るらしいという奴ら相手に戦うのはもう少し力を磨いてからにしたい。

 下唇を舌で嘗め取る。
 唇の傷は、一週間で消えた。
 脳裏に浮き出る男の顔はいつも通りの嫌味な笑顔。

 …会って、抱きついたら、また引きはがされるかな。

 どうも大佐はアレが嫌らしくって、エドワードがやると一瞬固まった後、ひっぺがすのだ。嫌がられるのが切ないけれど、嫌がらせには丁度いいので、嫌がらせ嫌がらせという口実を漬けて何かにつけては抱きつく俺を、大佐は切羽詰まった顔でいつも「鋼の。」と呼んで諭す。
 でも、やめなさいとは一度も言われたことがない。そう言えばいいのに言われるのは一寸怖くて。

『その傷が消えるまでは、私のことを忘れないだろう?』

 嘘だと思う。
 消えたって、全然忘れないし、毎日思い出す。
 椅子をぶらぶらと揺らしてその中に体育座りをすると、唇をさすった。
 まだ、じんじん痛いのは、その名残だ。
 忘れるほど、存在感の薄い奴ではないのだけれど、男だけがそれを分かっていない。
「こんど、俺がやってやろ」
 大佐に傷つけられたら、仕返しにやってやろう。
 思いついたこの考えは何故かしっくりと胸にはまった。
 でもまあ、結局、大佐が俺を傷つける事なんてあんまりないから、俺の復讐は数年先になりそうだが。
「…行くか」
 がたん、と椅子から降りる。
 机の上の本を手に取り鞄に詰める。東方まで五時間。
 その間にほかにどんな嫌がらせが出来るか、知恵を絞って考えよう。子供が大人を出し抜くには、事前の計画は必要なのだ。




 数日後、大佐の机の上に放置されていたのは海に出る前に見つかった黄金の鯉幟。
「…本当に、戻ってきた」
 そろりと手を伸ばして色を確かめる。
 少年は、逃げたら又捕まえればいい、と言った。
「…早く大人にならないかな」
 墓穴な台詞を吐いたことを、大人になったらきっと彼は後悔するだろう。
 そんな未来予想図が、ロイにはとても待ち遠しかった。

(終わり)