65(連載中)
分かっていたんだ、とロイは言った。
「君が望んでこんな道を選んだわけではないことも、こうなっても君は相変わらず強く前を向いているんだろうと言うことも。でも、あの時着飾った君の姿を見て、何もかもが吹き飛んだ。こんな姿を他人に見せて、人に組み伏せられているのを想像すると、まるで、宝物が奪われたような気持ちになって、怒りしか浮かばなかった。君は、相変わらず優しくて、たまらなくなった。……私も、きっと、おかしかったんだろうな。だからといって、君を怒りや衝動をぶつけていい権利なんて私にはなかったのに」
自己嫌悪が復活したのか、胃が痛い、と言いながら男はこちらに向き直った。
「すまなかった。君の気持ちも考えず、こんな目に会わないようにと考えていた彼女の思いを壊した上に、君に辛い思いを……」
土下座しそうな勢いで頭を下げられ、焦る。
正直、何故こいつがこんなに謝罪するのか分からなかった。
「別に気にすることねえよ。ばっちゃんは、俺が好きでもない男に仕事で抱かれるのが嫌だろうって考えてただけだと思うし」
「いや、だから気にするだろう! 好きではない男に、仕事で抱かれたくないだろうに、私は」
「?」
きょとん、とロイを見る。
やっぱりよくわからない。
「仕事のつもりなかったし、相手が好きな男だし、何が悪いんだ?」
「……え?」
「?」
首を傾げる。
おっさんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「俺は、あんたのぴりぴりした気配が消えたから、ほっとしてるんだけど。ここに来たときのロイってなんか崖の上にいるみたいにぴりぴりしてたけど、今そんな感じじゃないし。前のおっさんに戻ってるもん。俺抱いたことで、そうなったんだったら、役に立てたかな、ってさ」
「――違う」
なぜか、最後まで満足だった俺の声に被せるように、重低音の不機嫌な声が乗ってきた。
「違うって、……やっぱ俺じゃ」
「違う。どうしてそうなる。たしかに君を抱いて、落ち着いたという君の感想は正しい。始めて、戦場の夢も見なかった。君を抱いているとき、幸福すぎておかしくなりそうだった。同じくらい辛くて、それでも身体の中から、黒い毒のような物が抜けていく気がした。戦争から帰ってきても、生きている気がしなかったのに、やっと、頭の中の霧が晴れた。もやもやしていた気持ちが、雲が晴れるように消えていく気持ちが分かるか。どれだけ歓喜したと思う。そういう意味では役に立ったんだろう。だが、それではまるで、私が君を道具みたいに使ったみたいではないか。だから私は」
「……」
別に道具でもよかったんだが。多分、それ以上の事をして貰っているし、等価交換にはなっていない、と思ったが、口に出せる雰囲気ではなかったので黙っていた。
「……君じゃないといけなかった。君がよかった。戦争に行く前に知り合った、小さな天才少年が、無事に育ってくれることだけが、私の願いだった。いつの間にか、いや、戦場でだ。気づいた。ああ、あれは恋だったのかもしれない、と」
「え?」
ロイは、聞き返した俺を見て、自虐するように笑った。
「馬鹿だろう? 一回り近く年の離れた十歳かそこらの少年相手にだよ。とうとう気が狂ったかと思った。だけど、君がどんな風に育っているかを想像するのは楽しかった。成長した君に会いたくて、笑顔が見たくて、死ぬわけにはいかない。戦争を終わらせて帰りたい、と思った。そうしたら気がつけば英雄と呼ばれていた」
それはけして楽しいことではないだろう。だが、戦争を終わらせるためには、圧倒的な力が必要だったのだ。
「帰ってきて、すぐに会いに行こうと思ったら、嫌な話を聞いた。君が店に出ていると。レイブンが実質上の主人だと。それで私の目的は変わった。――速やかにこの糞爺を排除して地獄に突きおとしてやる、と」
ロイの声音が急に怒気を帯びた物に変わって、エドワードは気がついた。
「あっ、まさか。レイブンが失脚したのって……」
『相当恨まれてたんだろうな』
ハボックさんとそういう話をしたことを思い出す。男は皮肉を帯びた嘲笑を見せた。
「悪事を掴むには、何ヶ月かかかったよ悔しいことに。だが英雄の肩書きはすごいな。私とレイブンでは、私の方につく奴が多かった。もうすぐ退職の将軍よりは、若い私の方に価値を見いだしたというわけだ。おかげでなんとか退職前に追い込めた」
「……おっさんだったのか……」
ハボック探偵と話していた、レイブン逮捕の立役者は、「確率が低いけど正義感のある人」というパターンだったわけだ。
「そしてここに来て……。最初は、レイブンはもういないから安心しろ、っていうつもりだったのに。……でも、戦場で私が戦っている間に、好いた相手が他の爺どもにいいようにされていたのか、と思うと、君に……理不尽な怒りをぶつけてしまった」
会えないから、心の中で、勝手に相手を想像する。
ロイの頭の中の俺は、少なくとも店に出ている俺じゃなかった。だから、理想と現実の差に、ただでさえ弱った心は耐えきれなかったのだ。
そこまで言って、心の中を空っぽに出来たのか、ロイは溜息を吐いた。
黙って聞いていた俺をまっすぐ正面から見て、男は真剣そのものの目つきで聞いた。
「エドワード。君がさっき言っていた台詞をもう一度言ってくれないか」
「? レイブンが失脚」
「違う、その前」
「? 役に立てた?」
「もうちょっと前だ」
男は焦れたように、人を指さしながら言う。少し照れくさそうな顔は、数時間前とは別人みたいだった。
「仕事のつもりなかった」
「今度は戻りすぎだ!」
「ええー。注文多いなてめえ……何が悪いんだ? だっけ」
「わざとか君は! その前」
「……やっぱそこ?」
嫌そうに眉を顰めたが、男は逆に指をパチンと叩いた。
「そこだ。もう一度言ってくれ」
「……相手が好きな男だし」
ロイのことが好きだというのは、数年前からエドワードの中ではしごく当たり前のことで、心の中に根を下ろしていたので、それこそ日常みたいな物だった。
だから、何も考えず口から出たのだが、よく考えるとそうとう恥ずかしいことを言っている。忘れてくれればよかったのに、男は覚えていたらしい。
「――ああ、私も、ずっと君が好きだったよ、エドワード」
「……っ!」
そして、男は、約束通り、綺麗に笑ってくれたので。
惚れ直してしまったなんて、一生言ってやらない。
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(終わり)
