黒の祭壇

黒の祭壇

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『正解です』
 ホークアイ中尉の珍しい微笑みに、二人でばったりと倒れ込む。
 全力疾走した心臓はぜえぜえと荒い息をついており、その瞬間に、広場の時計がかちり、と6時を指した。
『本日の宝探しゲームは終了いたしました』
 半径1km以内に響き渡る放送。結局見つからなかった番号を読み上げる声がするが、13番以外の行く末はどうでもいい。
「ご苦労だったわね、二人とも」
 へたばる俺達の目の前に座り込んで、誉めてくれる中尉。
「ああ、もう、こんなに走ったの久しぶり…」
「ふふふ。やっぱりあなたたちが取ったのね、13番。わざわざ番号まで同じにして願掛けしてたんだから、取って貰わないと困ると息巻いていたけど」
 嬉しそうな中尉の顔を穴が空いたように見つめる俺。
「なに、それ」
 汗がつつ、と頬を流れ落ちる。別に冷や汗な訳ではないが。今日は朝からこの言葉ばっかり言っている気が。
「貴方の年齢の番号に決まってるじゃない。アルフォンス君の12とどちらにしようか悩んだみたいだけれど。…今回のこの壮大な祭りは本当はあなたたち兄弟の成長を願うために大佐がやったことなのよ」
「…うそぉ」
 思わず、頬が引きつる。ハボックに言われたときには話半分だったが、中尉にまで言われたら、さすがに心が揺れる。
 そんなわけないだろ、あんなにいつも喧嘩腰で、相手になんかされてないと思っていたのに。
「嘘じゃないわよ。私たちみんな、貴方たち二人の幸福と成長を祈っているんだって事は忘れないでね。…あの人、特にそういうこと素直に言わないから、誤解されるんだけど」
 同じく、でもそこがかわいいんだけど、滲ませた声で中尉が笑う。
 …ハボックと言い、ホークアイと言い。
 大佐の方こそ、甘やかされすぎだろう。
 息を整えながら、そう愚痴る。
 景品が欲しいなら、大佐は今は司令部にいるかもしれないから、探してみてね、私は仕事があるから。と。  ばいばいと手を振って中尉が去っていく。
 とんでもなくかっこいい。颯爽とした後ろ姿。自分の人生に誇りを持っている女性。
 大佐の部下でありながら、大佐以上に大人すぎるその勇姿。いつでも隣で銃を構える鷹の目は、大佐に近づく物はすべて打ち落とすのだろう。
 …多分、あそこくらいまでいかないと俺みたいなのは大佐にはいつまで経っても子供に見えるんだろうな、と思った。





 司令部に行ったが、男はいなかった。
 ただそこにいた軍人が、大佐なら西地区の路地で先ほど会った交通事故の事後処理に当たっている、と言うから二人で走っていったのだ。
 そうして西地区に行けば、もう大佐はおらず。道路を掘っていた軍人に東地区で窃盗事件があったから、そちらに駆けつけていったよと言われ。
 そんなことを何度か繰り返して繰り返して、東方中を走り回って気がつけば。

 すでに空には浄妙なお月様。すっかり日は落ちて、ほうほう、と虫の音だけしか聞こえなくなってしまった公園の橋の上。
「…見つけた!」
 男は、瓶のビールをラッパ飲みしながら、眼下に広がる川の流れを見つめていた。
 蒼い軍服が、闇に紛れて黒く映る。
 コートの両裾を握り締めて、はあはあと息を吐きながら叫べば、男はうん?とこちらを向いた。
 橋にもたれかかったまま、顔だけ向けて。
「なんだ、鋼の」
 そのままごくごくと酒を飲み続ける男になんだか神経が尖る。
「なんだじゃねえよ!てめえふらふらしすぎなんだよ!」
 さっさと近寄って、鯉の置物を突きつける。
「ほら!」
「…ああ、やっぱり君が見つけたのか」
「当たり前だ、俺を誰だと思ってやがる」
 嘘、本当は結構危なかった。
「…つまらんなあ、他の人間に取られて、じたんだを踏む君を見ようかなと思っていたのに」
「…………」
 うぐ、と喉が詰まった。
 俺はもう、これが大佐の嘘だと知っているのだ。
 ほんとは、最初から俺に取らせようとしていたくせに、そんなことは決して言わない。あくまでもこちらをからかうようなそぶりばっかりして、心配なんかしてないって顔して。…どうして大人は、そんなに嘘ばっかりつくんだろう。
 心配するなら心配する、って口に出してくれればいいのだ。
 手渡された鯉の置物を黙ってポケットに突っ込むと、大佐はまた視線を逸らして川を眺め始める。
 いつもならうるさいくらいに構ってくるこの男が、ここまでエドワードのことに興味のないふりを見せるのが珍しい。
 大佐の見つめている川には、やっぱり昼間見たのと同じ、鯉幟がぱらぱらと泳いでいて、エドワードも同じ風景を見たくなった。
 ととと、と近寄ると大佐の隣に並ぶ。橋の欄干に手を伸ばして、下を覗き込もうとしたら、ちょっと身長が足りなかった。
「…………」
 涼しい顔してエドワードを見る大佐の視線を感じて、さっさと踏み台を錬成する。
 50cmほどの踏み台を橋に作り上げて、よいしょ、とその上に登れば、やっと大佐と同じ位置で風景が見れた。
 左を振り向けば、呆れ返った顔の大佐。
「…ぶっ!」
 耐えられなくなったのか吹き出されて、思わず又足を振り上げそうになった。
「なんだよ!」
「いや、やっぱり君は面白い。川を泳ぐ鯉が見たいなら、抱えようか?」
 両手でおいで、と言われて一瞬赤くなった。薄暗くて見えていないのをいいことに、喉まであがった熱気を、追い落とす。
「余計なお世話!あんたに頼んだらそのまま投げ落とされそうだからいい」
「…まさか」
 男はまた、視線を外して酒を飲む。エドワードがいてもいなくても関係ない感じ。
 …一人、こうして酒を飲んで。しかもこんな他になにもないところで。
 なんだか胸がざわりと蠢く。
「金色の鯉。あれだけしかないんだな」
 呟けば、大佐は又一口酒を飲む。
「そうだよ。4つだけ。黄金なんて、そんなに簡単に見つかるもんじゃないからな」
「それで三角形にgoldか」
「君には見易かったろう?」
「…あそこの鯉が、消えてなけりゃな」
 おかげで、多大なる苦戦を強いられた。
「黄金の鯉がね、見つからないんだよ」
「…え?」
 青白い川を漂う色とりどりの魚たちは、今もそのまま尻尾をなびかせ、規則正しく並んで川上へと向かっているのに。
「今日の朝か、昨日の夜に紐から外れたみたいで。…一日中探したが見つからない。多分海まで出て行ったか、誰かに取られたかなんだろうがな」
「昼、少尉も探してたな」
 黄金の鯉など、一個もなかったからそういうもんだと思っていた。
「笑いがこみ上げたよ。ほんとうに、君みたいだと思って」
「なんだ、それ」
 思慮深く、大人な笑み。あくまでもペースを崩すことはなく、大人が子供を宥めるように対応される。どうやら、それが不満に思えるらしい俺。
「糸で縛っても、やっぱり金色だけは逃げるんだな。捕まえようにもどこにいったかわからないし。中尉達は誰かに盗まれたんじゃ、と言うが私は海に行ったんだろうなと思ったよ。もともと縛れる物じゃなかったのかもしれないね」
「…わかんね。鯉は鯉だろ」
「本当だね、鯉は恋だな。他の誰かに捕まるくらいなら、海に出て行ってくれた方がいい」
 暗闇の中、ただでさえ漆黒の男は、まるで表情を隠すことが出来て幸いとばかりに、いつもは言わないであろう変な情緒めいた台詞を口に乗せる。
 夜の男は、その真価を見せる場所を与えられたのか、嫌に饒舌で、でもさきほどから何かを誤魔化すみたいにこちらを見ない。
 月の光に照らされた横顔はあくまでも失われた黄金の恋ばかり見ているようで、エドワードの心を散らした。
 …子供に、抱きつかれたら嫌かな。
 今、無性にこの男に抱きつきたいと思う。でも昼にそれをしようとしたら、ハボックは走って逃げ出したから。
 大佐も走って逃げるかな。…そんなの、似合わない。
 そうじゃなくて、多分突き放されるだろう、甘えるな、とか言われるかもしれない。

 話したかったのは、こんなことじゃなくて。ただ、一言。

 澄明な空気、冴えた玉輪がそれを後押しする。
 エドワードを置物みたいに無視するくせに、どうして見えないところで、そうして優しくしてくれるんだろう。
 ずきりと鳴る動脈が、必要以上に血液を運搬する気がした。鯉が空を泳ぐ、ばさばさという羽音。まるで鳥のように。
「なんで、こんなところで一人で酒飲んでるんだ?」
 沈黙が何故か耐えられなくなった。大佐はきっと気にしていないのに。
「祭りの間は私たちは全然楽しめないからね。明日は撤収作業で一日潰れるし、最後に見ておこうかと思っただけだよ。君たちが間に合って良かった」
 最後の最後、男の本音に、もう水深に情動が辿り着いた。

(終わり)